戦勝
ちゃぶだいの上には、お頭付きの鯛が真ん中に鎮座しており、それぞれの茶碗には赤飯が盛られている。
赤飯なんて何時ぶりだろう。
おそらく光二の七五三の折に炊いたきりではなかろうか。
「兄ィ、鯛に赤飯だよ!何かいいことあったのかなぁ!」
まだ幼さの残る光二は興奮気味にそう言った。
「ああ、凄いことがあったんだぜ」
僕には全て承知の内であった。
昨日、乃木司令官率いる帝国陸軍がロシアの二〇三高地の要塞を陥落せしめたのだ。それは圧倒的勝利であった、と号外では報じられていた。
小国と言われてきた日本が大国ロシアに勝った!
僕はその号外を手に入れたとき、勲章を授与されたような、そんな興奮で一杯になった。そしてそれは今も僕の心を冷まさせることなくあり続けている。
「あなたたち。もうお座りなさいな。おじいさまもお待ちになっているから」
母にそう言われ、僕と光二は夕飯の席についた。
祖父は気難しい顔をして座っていた。
僕の祖父は幕府の頃は戊戌で幕府の武士としてあちこち転戦し、さらに明治十年には鹿児島の西郷隆盛率いる旧士族と戦った歴戦の猛者である。
そして何よりも国を愛している男であった。
おそらく今回の戦争に関しても、祖父は気難しい顔をしているが、内心は飛び上がりたい気持ちでいっぱいに違いなかった。
食事のあと、僕は祖父の晩酌に付き合った。威厳のある人だが、こういう気軽さのある人だった。
「どうかね、学校は」
「おもしろいですよ。僕の住んでいる世界がどれだけ小さなものか、日々思い知らされています」
祖父のおちょこに酒を注ぎながら、僕は笑った。
「それにしても、この度はおめでたいことです」
「めでたい……か」
祖父の表情に翳りのようなものが浮かんだのを、僕は見逃さなかった。
「どうかしましたか?」
祖父は少し考える様子をした。そして語り始めた。
「この戦は、ただの殺し合いではないか、と思うてな」
「元々戦は殺し合いじゃないですか」
僕は祖父の言葉の意味がわからず、ついそう言った。
「うむ、その通りだ。しかし、だからこそ尽くすべき礼儀というものがあったように思える」
祖父には何か含むところがあるようだった。
「どういうことですか?」
「鎌倉の頃、武士は名乗りをあげた。無論それは論功に響くからという俗な理由もあっただろうが、それよりもこれから殺し合う相手に対して、最後の礼儀を尽くしていた証ではなかったのかと思う。わしは戊戌、西南と戦ったが、だんだんと礼儀がなくなっていったように思う。名乗ることもなく、名乗られることもない。今自分が討ち倒した者を何者か知ることがないだけならまだしも、自分が誰を討ち倒したのかもわからない。わしは清との戦は行ってはいないが、似たような話しか聞いたことがない。なら今回の戦もたかが知れているさ。これから先に起こる戦も、きっと殺伐とした、いたたまれぬものになるだろうよ。文明開化とは、人を人たらしめていたものを奪っていく、そんなものだったのかのう……」
祖父の寂しそうに見つめる先からは、戦勝を祝う人々の活気あふれる声が聞こえてきた。しかし祖父の視線はそのさらに向こう、空間も時間も越えた、遥かなところを見据えているようであった。
祖父は数年前に死んだ大哲学者のことなど知りもしないだろうが、これがニヒリズムというものなのかもしれない。戦を乗り越えてきた人としての、そして何よりも人としての誇りが、大哲学者と同じ結論を導き出したのだろうか。
「ま、しかし、国が勝つことはめでたいことじゃて」
祖父は僕に酒を注いでくれた。
あの号外の向こうにある無価値な死。
僕は一気に酒を呷った。苦い味が喉を潤してくれた。
初めまして。神夢菜七瀬と申します。
この作品は私が10年ぐらい前に書いた落書きです(作品と呼ぶのも烏滸がましい(笑))。
本当はファンタジーとかが好きで、そういうものを書くのが好きなんですが、短編を暇つぶしに書いてたらこういうものが出来ました。
どこかに投稿する訳でもなく、データの片隅に残っていたので、少し加筆修正してここに投稿させていただきました。
お目汚しになるかとは思いますが……。
歴史マニアな人から見れば、多少時代考証が変なところがあるかもしれませんが、見逃してくださいネ。
ではでは、また次の落書きでお会い出来ると嬉しいです。