夢日記(仮)
――夢日記?――
――そう、夢日記。書いとくと、好きな夢が見れたりするんだってさ――
私は夢日記をつけている。
毎日、見た夢を綴る。それだけ。
これからお見せするのはそんな私の夢の記録。
でもここしばらくは凡庸な夢しか見ていない。つまらないこと極まりない。
今夜こそは日記につけるにふさわしい、エキサイティングな夢をお願いしますよ。
それでは、おやすみなさい。
『友達と仲良く笑い合う。
普通に恋をして、喧嘩して、涙して。
そんな日常がいつまでもいつまでも続いていく……ありきたりな風景、家庭、学校、部活。』結局、平々凡々な夢。
普通……。
面白味の欠片もありませんよこれじゃあ。
普遍で不変な幸福のかたち。そもそも夢で見る必要すらない代物。
それでいて見落としやすい不形物。
こんな飽和した夢じゃなく、もっと冒険とか、超人的なパワーとか、アドベンチャーとか。
ハラハラドキドキな夢がいいな。
まあまあ、次に期待だね。それじゃ、おやすみ。
『毎日がカラフルに彩られて、あったかい何かに包まれて幸せを感じる。そんな』夢。
抽象的だよ……なんでこんな曖昧な表現に限られる夢を見たんだ、私。
今日の夢は暖彩色のイメージ。きっと、大切な大切な何か。
そしてそれはたぶん、壊れやすいものなんだと思う。
うん、やっぱり抽象的だ。
変な夢よりかはずっとマシだけどさ。
でもこれで日記つけてる意味あるのかな?
うーん、継続は力なりって言うわけだし。
やるだけやって、飽きたら終わらせればいいし。
よし、おやすみなさい。
『当たり前のことができなくなった。
私はいろんなモノに縛られた。
一体いつからだろう、ソレが少しずつ私の体を締め付け、蝕んでいったのは。』ちょっとした、怖い夢。
縛られる夢……ちなみに言っておくけど私にはマゾヒズムのケはない。断じてない。
ちょっぴり怖い夢だったから、夢診断を見ておこうかな。
……やっぱりやめた。夢なんかじゃその人の本質なんてわかんないしね。
所詮は夢だ。私が生きる未来に、過去の事象である夢なんて、関係ないもんね。
そんな私が目指すのは夢のコントロール。夢の中で好き勝手するのが小さい頃からの夢だったの。
まあそのために夢日記をつけてるんだけど。
今日はそんなところで、おやすみー。
『それは高1の記憶。
中学生とは違うという希望、期待。
全然違う環境での不安、現実と理想のズレ。
誰も私の話を聴いてはくれない。
教室の中に私はいなかった。』嫌な夢。
だんだんと情景描写が省かれていってない? 起きた直後に書いているとはいえ、実体験じゃない夢は記憶に残らないからかな。
どちらにせよあんまりいい夢じゃないね。
高1か、なつかしい。入学式の時は緊張したもんだよ。
初めてのことばかりで前も後ろもわからなかったけど、その分あの頃は未来を信じることができたんだよね。
そういえば今って何時なんだろう。
ま、いいや。おやすみなさい。
『けたたましい罵声。
わけもわからず振るわれる暴力。
みんな。ずっと。
なぜ私?
私がなにをしたの?
理由なんてなかった。私が私だったから。
助けてほしかった。ただ救われたかった。
だから疑った。これは本当に現実?』悪夢。
最悪。なんでこんな夢をみるのかな。
最近じゃいい夢はほとんど見てない気がする。やるせないね。
日常が崩れ、顔を出す非現実。それを私は夢と呼ぶ。
こんなにも酷い、現実でないものに何の意味があるのかな。
でも、夢の中で「これは夢かな?」と疑問を抱けるようになったよ。
これは進歩だね。やっててよかった、夢日記。
あれ、日付が書いてないや。
今日って何日だったっけ。
どうでもいいや。おやすみ。
『暗闇の中に私はいるんだ。
何も見えない閉ざされた黒。
誰の手も届きはしない。届かせようとはしない。
やっと気づいた。ここが私の居場所だったのだ。
この孤独な闇は眠りを意味しているのだ。
はやく、ユメから醒めなきゃ。』飛び起きる。
ついに自分の意思で目覚めることに成功しました。
明晰夢ってやつまであと一歩かな?
あれって夢……なのかな。
ただただ真っ暗で、救いのない影。
私の望むものはこんなものじゃない。
だって……夢ってのは輝かしい未来を、描くものでしょう?
ひどく気分が悪い。
夢ってなんだったっけか。
いい加減愉快な夢を見せておくれよ。
見せてよ。おやすみなさい。
『ありとあらゆるケッカンを切り刻んで死亡。』死んだ夢。
嫌だ。死にたくない。なんでこんな夢を見なきゃいけないの?
『朝、重い重いデンシャとぶつかって死亡。』死んだ。
ふざけるな。
『ドクとクスリを飲み干して死亡。』死。
やめろやめろやめて。
生きたい。
『違和感。
考えて考えた。
きっとどれも違う。
夢を終わらせる方法、それは子どもの頃から決まっている。
終わりだ。終わらせてやる。こんなユメ。』こんな夢。
そうだよ、起きなきゃ。
でもどうやって?
わからない。それでも夢日記は書き続けなきゃ。
止めちゃいけない、止められない。
だって私は夢を見ていたい。
夢を見ていたいの。
信じていたいの。夢を。
そのためにも、眠らなきゃ。
でもどうやって?
もう、わからないや。
“おやすみ”
『私は震える手でこれを記す。
これは夢なのか、ユメなのか。
これは夢なんだ、ユメなんだ。
何もかも、わからない。でも私にとっては全部ユメだった。
この現実も、みんなも、私も、全部。
そう信じたい。そう信じなくちゃいけない。
――でもサイゴに訊かせてほしい。
今、私は起きていますか?
起きて現実にいますか?
それとも――』
――でも、夢日記を書き続けると記憶がちぐはぐになったり、頭がおかしくなったりするんだって――
――えー、やだー。なにそれー――
――
――――
――――――――
――――
――
「あァ、こいつぁ酷い」
デカ一筋25年、数々の修羅場を潜り抜けてきた男、矢渡謙造が唸りを上げる。
「うわぁ、完全に頭の中身ブチ撒けてますねぇ。自殺ですかね?」
生真面目そうな刑事が矢渡にお決まりの文句で尋ねる。
矢渡はこの若い刑事を多少ばかり苦々しく思っていた。
というのもこの土井刑事は若かりし日の矢渡と酷似しすぎていた。カッとなってしまう熱血さや、刑事魂を貫こうとしすぎる頑固さもだ。
どこかで足元を掬われなければいいが、そうならないためにも自分が見ていなければならない、か。とベテラン刑事は平素から自らに言い聞かせている。
しかしそれはまた別の話。
「あァ、遺書もあるし、この仏さんは飛び降り自殺ってぇことで間違いねぇだろ。ただな――」
あまりにも、若すぎる。
こんな仕事だ、死体とは切っても切れない縁がある矢渡でも、先行き明るいはずの子どもの死体を見るのは心苦しかった。
――え?
待ってよ。なんで?
私、死んでなんかいないよ。
気づいてよ!
私はここにいる……ここにいるでしょ!?
「まだ未来もあったろうによ。ったく、うちのガキもちょうど今年で高校上がるってトコなんだよ。そいつと変わんねぇトシだってのに、人の親としてはキツいもんだねェ」
煙草をふかし、土井にぼやく。
――私を見て!
お願いだから……私を……
こんなの、おかしいよ。私、生きてる。
こんなにも生きていたいのに……!
「最近増えてるみたいッスね、若者たちのこういう自殺。……あっ、自分これから聴取行かなきゃなんないんで、失礼します」
形式ばった敬礼をした土井に、矢渡は「おう」と気の抜けた生返事をする。
何の慰みにもならないが、現場を立ち去る際には年端もいかないその少女の亡骸を優しく覆い隠してやった。
息白むこの季節に、野ざらしは辛いだろう。
彼は踵を返し、警官がざわつく青シートの内側を抜け、短くなった煙草を踏みつけてなかったことにする。
そして晩秋に凍てつく高空の空気に晒され、身を縮めながらも、鑑識から預かった“遺書”に目を通していった。
――どうして……?
ねぇ、早く気がついてよ……
だって……まだ、夢は終わっても、始まってもいないじゃない……
なぁんてね。全部ウソウソ!
はいっ! 夢オチでした!
今までの悲劇はすべて、余すことなく、ただの夢だったのでした。
だってそうでしょ? これは“夢日記”なんだから。
退屈しのぎにはぴったりだったよ。
これから夢日記を書き終えた私は朝御飯を食べて、友達とお喋りしながら学校へ行って、お昼にはみんなでご飯を食べて、好きな人にドキドキしたりして幸せに過ごすの。
ありふれた日々の中に隠された幸福ってやつ?
それはいつまでも変わらない。
ずぅっと、ずぅっとね。
おしまい
「お嬢ちゃんよォ……」
矢渡はそこだけくしゃくしゃに汚れ、インクも滲みぼやけたノートの1ページに語りかけるように呟いた。
「これが、お嬢ちゃんが最期に見た“夢”……だったのかい」
寂しげな木枯らしが吹き抜け、草臥れたコートと、丸みを帯びた字で題打たれたノートが微かに揺らされた。