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孤島の檻  作者: 森心安
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蟲娘 3

 彼女の話は実際に何度も脱線を繰り返したので思った以上に長くなった。その話を理解するため要点を絞りできるだけ短く、なおかつ分かりやすく脳内で纏めた。

 

 彼女は今年からこの町に引っ越してきた。この町自体はそこまで田舎ではなく、電車に乗れば十数分で都心へと着くのだが町単体で見てみると大規模なスーパー屋や電気屋も無く、施設という点からも図書館一つ無い不便利な町であった。


 そうまでしてわざわざこんな町に越してきた理由というのは彼女の母の育った故郷であるらしく、その母が重い病気でもう長くないとのことで、せめて人生の最期をこの町で過ごしてもらいたいという意向があったからであるそうだ。

 

 今でこそ死人みたいな肌の色をしているが昔は今程肌も白くなく、下ばかり向くような暗い子ではなくて日差しのような肌をしてよく笑っていたそうだ。しかしどこか抜けていて失敗ばかりやらかしたり、よく人に変わっていると言われたり(この点に関しては僕もそう思った。少し天然というか不思議な子なのだろう)したそうだ。その性格もあってか転校当初から周りにはいつも誰かが、取り分け何か作業する時(例えば体育の用具の出し入れとかだろう)には「ほっとけない」とばかりに男子を中心に彼女の手伝いをしてくれたそうだ。その状況から段々と女子が主に非道いことを彼女にするようになったという。


 「何がそんなにいけなかったんだろう」


 彼女は理由を探る時必ずそう思ったという。しかし僕が思うに、この性格に原因があったのだろう。無論彼女の性格が悪いからというわけではない。しかし笑い愛嬌も良くそして少し色々抜けてる子。顔こそは分からないが男子ならば決して見逃さない子である。きっと新参者がチヤホヤされてる図が女子としては気に食わなかったのだろう。

 

 最初は女子達も隠れるようにノートや教科書や上履きを少しの間盗むだけで彼女もほんのいたずらで決して虐めているわけではないと思ったそうだ。しかしそれがどんどんヒートアップしていくのは他でもない僕自身も体験した。段々と教科書やノートは盗まれ


 「死ね」

 「天然ぶってキモイ」

 「見ると吐き気がする」といったことを書かれたようだ。


 いつも通り男子と作業をしていると偶然を装ってボールをぶつけられたり、図工では鉛筆削り用の刃物を顔に向かっって投げられ、それを庇ったために腕が血の色に染まったことがあったようだ。ここまでくると流石に「クラスの女の子に虐められている」と分かったらしくそのことを先生にも伝えたのだが、担任の教師は男だったらしい。中学生くらいの女子を指導するのが厄介なのは何となく想像がつく。厳しく追求すればやり返されるだろうし、それで社会的地位をも没落させてしまう話はよくあることだ(例えばセクハラをされと嘘を言いふらすとか)。だから彼女は何度も教師に伝えたのだがまったく状況は改善しなかったしそもそも教師が追求する場面を一度も見たことは無かったという。

 

 そしてそのことを教師に言う度に「チクった」とばかりに虐めは加速したという。最初の頃は「やめて」と言うと笑ったり、怒ったりするなどの反応があったそうだがついには地面を這う小さな虫を踏みつぶすように無反応になってきたという。授業間の小休止でも昼休みでもそんなことが行われるようになったからなるだけ人目を避けるように陰でこそこそと、陽のあたる世界から追い出されるように過ごすようになった。

 

 そして目が見えなくなるくらいまで伸びた白い髪に、それと同じ色をした肌。その容貌から彼女は陰で「蟲娘」と呼ばれるようになったという。

 

 そのあだ名についてはどう思っているか分からない。

 

 「そんなあだ名、嫌じゃない?」と聞いてみても

 

 「もう……慣れちゃったから。それにあだ名自体にはそんな嫌だとは思わないの。問題はあだ名の意味とか、呼ぶ時のニュアンスじゃない?だからあだ名そのものに意味は無いの」と答えた。

 

 だからと流石にそう呼ぶのは億劫だと思ったので、本当の名前で呼ぼうと聞いてみても

 

 「蟲娘」で良いのだと言いはるのだ。自分の名前の存在の行方を追うことに諦めてしまったかのように。

 

 やがて机にも「害虫」とか「ウジ虫」とか書かれるようになったり、「害虫駆除」という名目で物で殴られたり、カッターナイフで切り刻まれたり、それこそ害虫駆除用のスプレーを噴きかけられたりするようになったという。芋虫は葉っぱを食べるからと給食に校庭にある葉を加えられたり(それも地面に落ち、泥まみれになった)、ゴキブリは何でも食べるからと髪の毛やら爪やらが入ったこともあったそうだ。またいくら大切な用事、例えばその子が学校を休んで代わりに授業内容などを伝えるように先生に言われそれを伝えようとしても


 「さっきから虫の鳴き声がする」と無視されてしまうのだ。


 そして結局「あの子から伝えられてません」と言われ先生に怒られてしまうのだ。事情を知ろうともしない無知蒙昧な教師に。

 

 「だから、本当に私の声が誰にも通じないのか分からなくなっちゃったんだ。あなたが私の声が聞こえるって言った時、本当に驚いた」

 

 だから初めて会った時から問い詰めたのだと合点がいった。

 

 「せめて、肌は急に黒くしろとは言わないまでも、髪の毛を切れば良かったのに。虫みたいに目が無いように見えるから余計そう思われるんじゃないの?」

 

 そう言うと彼女は髪の毛の存在をアピールするように手櫛をしこう答えた。

 

 「この髪ね、お母さんが大好きだって言ってくれてたんだ。こんだけ良い髪なら長ければ長いほど良いって。流石に目が見えなくなるまで髪を伸ばすのは良くないって思ってたみたいだけど、長ければ長いほどお母さんが褒めてくれる気がしたんだ。……もうずっと前から意識がほとんど無いのにね。もういくら伸ばしたって貶されるだけなのにね。でも今でもお見舞いに行くと、私の髪を見て笑顔になってる時があるからどうしても切れないの」

 

 今蟲娘(不本意だけど便宜上そう呼ぶことにした)の髪を見ると綿ぼこりでできたようなぼさぼさした髪だが彼女の母曰く、昔は「夜空に降る雪のように輝いてる」と評したそうだ。

 

 蟲娘は自分の母のことが大好きだったようで、実際に褒められたから虐められてる時でも決して髪だけは綺麗に保とうと地面に頭を擦り付けられても手で庇ったりしていたそうだ。風呂に入る時も手がくたびれるくらい時間をかけて洗いケアするという。しかしその母が褒めてくれた大切な髪すらないがしろにしてしまう程に傷ついたことがあったという。

 

 それは虐めにもある程度慣れてしまい、どんなことをされてもやや無反応になってきた一学期の最後の授業日にその事件は起きた。教室に彼女が入りいつものように落書きされた所有物を見ると目を疑った。


 「母親と一緒に死ねば良いのに」

 「害虫の母親が害虫を産んで死んだ」

 「母親が死ねばもう悪い虫は生まれない」

 「お前の母親が死にそうでうれしさで涙が出そう」


 その他にも母親を織りまぜた誹謗中傷がいくつも書かれていたという。中には「ここではとても言えない」という言葉も。

 

 それまで虐められては何度もその場で声を上げ誰かの救いを待つみたいに泣いてきたという。それでもその事件が発生する直前には虐めにも慣れきってしまい、以前より大袈裟に感情も表すことは無くなった。その無反応ぶりに女子はつまらなく思い、もっと傷つけてしまう新しいやり口を探そうと思ったに違いない。実際に母の命がもう少しであることなどクラスの誰にも伝えてなかったみたいだが先生などからその情報を仕入れたみたいだ。「心配されたくない」という思いから先生以外には伝えず、また「絶対にクラスの子には教えないでください」とこの学校に来た当初から言っていたのに。気弱そうで下心の丸見えな意地汚い顔や体型(蟲娘の恨みが込められていたのか彼女はそう評した)をした教師はきっと女子に問い詰められ頼られたことを良い事にほいほいと教えてしまったのだろう。

 

 まさかお母さんまで誹謗中傷の対象になってしまうなんて、とショックを隠しきれず瞳から口から、体全体から悲しみの感情を剥き出しにして教室から走り去ってしまったのだという。

 

 「ごめんなさい、ごめんなさい、お母さんごめんなさい。私のせいで、私のせいで……」と何度も何度も呟いて。

 

 それから母にお見舞いで会い、良い冬の日向のようにか細くはあるがそれでも暖かい微笑みをかけてくれる度に胸には罪悪感が不穏の感情で育っていったという。

 

 「ごめんなさい。私のせいでお母さんまで貶されて」と心の中で詫び続けて。

 

 母親まで傷つけられ、ついにそれまで耐えていた心の最後の柱が音を立て、崩れてしまった。母以外の家族がいないので誰の目を盗むまでもなく学校には行かず、家の中でそれこそ地中で冬眠する虫のように音も立てずに過ごしていた。ただ一つ立てていた音と言えば母に対し嗚咽混じりに謝罪の言葉を発している時だけだった。


 涙が枯渇するまで泣いた

 虫の断末魔のような声が枯れるまで叫んだ

 それは感情が虫のように無くなるまで続いた。

 

 一学期最後の授業日から試験をも休み、夏休みも何処へも行かずただうずくまりそうしていた。母があれだけ褒めてくれた髪も、すっかり手入れをしなくなり乱雑に空気中に舞う埃のようになってしまった。そして夏休み最後の日に一つの決断に至ったという。

 

 「もう、虫でもいい」と。

 

 自分は人ではない。

 あの優しい母から生まれた娘ではない。

 虫なんだ。

 

 だから踏みつけられても地面を這いつくばる虫だから仕方が無いし、いくら話しかけても会話が通じないのは人と虫が会話できないのと同じだし、いくら母が貶されても、お母さんは私とは関係のない人なのだと思うようになった。

 

 それからはどんなことをされるようになっても虫と同じく感情が無くなったからまるで平気になったという。容貌だけは人間の娘のような姿だけど中身は虫、それはまさしく蔑称の通りとなった。全てを諦念してしまったのだ。虐めをやめさせることも、反抗することも。もはや捕食されるだけである。

 

 しかし「自分が虫だって思うようになってから凄く気が楽になったの。所詮現実逃避でしかないと思うけど。けどね、色んな事から逃げられてすごく楽になるの。もちろんその色んな事を突然思い出したりすると……もう生きていることにも耐えられないくらいなってしまうのだけれど」


 色んな事?それは追求しそびれたのだがとにかく蟲娘が様々なことを抱えているのは間違いない。しかし自身を虫だときっぱりと言った時には本当にその一人の人間では抱えきれない重荷から解放されたように、寂しげな様子だけど気は楽そうだった。



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