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孤島の檻  作者: 森心安
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蟲娘 1

 一週間後空気はますます皮膚を刺す氷のように冷たく乾燥し、傷口により一層の痛覚を与えるからますます僕の気を滅入らせた。


 夕暮れになるもの早くなり、僕がいつものように植物園に行くためにバスに乗ろうとする時間には、空は既に黒色に染まり淡黄色く、星が点在しているのだった。毎年変わらぬ季節の変化を遂げている。バスの窓から空を見、そのことを考えるとこのような生活もいつまで経っても不変であるのかもしれないと思った。今日も発した言葉はほんの僅かだったし、それ以外はただクラスメートから提供される振りに僕が応え周囲を笑わせる見世物のような生活を強いられ、虐げられていた。

 

 家に帰ってもさして状況は変わらない。さして家族とも口を利くわけでもなく、時たま僕を見下すように説教をかまし、僕が学校でどんな立場に追い込まれているのかといった個人的な事柄にはまったく興味を示さないし僕も僕で話題に出そうともしない。前も思ったけど、それは居場所が無い証拠で僕はいてもいなくても変わらないし、僕を見つめても反対側の壁がうっすらと見えるような半透明人間だった。そんな毎日であるから最近では数々の疑問がイボのようにぽつぽつと湧き出るのだった。

 

 僕はどうしてここにいるのか、居場所は無いのか

 僕はどうして生きているのか、こんな扱いだったら死ぬべきじゃないのか

 

 それらを思うと感情を押し殺した今でも、もやもやした、また害虫の体液のようにねばねばとした感情を胸に抱えていたのだ。それら抱え、時にのたうち回る姿はまるで瀕死の芋虫さながらだった。

 

 そんなことを考えながら、いつものように植物園の建物の前にバスは止まり、僕は外気の寒さに悶えつつ温暖な屋内へ、それは辛い現実から断絶された別の社会へと逃げ出すために入りこんだのだった。そして相変わらず小規模な水槽の群れを無意識に見渡した後に熱帯植物が植えられた生暖かい部屋に入った。

 

 「そういえば」と僕はふと思いだしたことがあった。「この前変な人に会ったな。今日もあそこにいるのだろうか」

 

 それは前回訪れた時に僕と同年代らしく、しかし言動は不可思議な発言の妙な気分にさせた女の子のことだ。いつもここにいるのは僕独りだったのでその世界を無神経に崩され少し嫌な気分になって冷たい反応で言葉を交わし、そして逃げ出したことを思い出した。ここに通うようになったのはここ約一年のことだったが、閉園前のこの時間帯に僕以外の人はほとんど見かけたことはなかったし、ましてや熱帯植物を見に来る同年代の女の子なんてそうそういるもんじゃないと決め込んでいたから、虚構と現実が入り混じった世界にいるような違和感をも感じて驚きを隠せなかった。

 

 「同年代の人と会話したのは久しぶりだったからな。上手く喋れなかった」


 というのも学校に行っても誰からも無視されるし、たまにパシリにされる時に僕が軽い返事をするくらいだったのでとても会話する機会などなかったからだ。そのため僕は女の子を外国人に遭遇した時のような物珍しそうな目をして見ることもある。

 

 「最後に長い間誰かと喋ったのって……いつかな」

 

 ふとそんな疑問が湧き出て来たので記憶から探ったのだがあの悪夢の中学受験に家族にありとあらゆる罵声を浴びせられた時に言い訳をした時以来、そんな会話は無かったと思いだし体がより深い粘膜のような暗闇へ沈む感じがした。


 いつも通りぼんやりと進み、やがてトリフィドの写真が視界に入る、最後の角を曲がった。再び元の空間に戻ることを気にしているのか足を引きずるように、無心に歩くことに抗うようにゆっくりと。

 

 するとトリフィドの写真が目に入る前に僕は別の何かが目に入った。それはトリフィドの写真をぼんやりと、恐らく意識をどこか遠く彼方へと追いやりながらじっと見つめているに違いない少女だった。

 

 「またいるのか」

 

 この前は何となく自分のテリトリーを侵害されたような気持ちや意図を理解出来ない言動で気味の悪さを感じささっと逃げてしまったのだ。また誰かと会話することに対しても妙な抵抗感があったのも事実だ。しかしよくよく考えたら久しぶりに誰かと会話できるかもしれないと考え僕はその少女に近づいた。

 

 ずっと誰とも会話しないでも辛いとも感じなくなってたはずだった。しかしそれでも交流を図ろうとするのは、再び会話できる対象が見つかったから飢餓に苦しむ猿のようにそれを渇望したのだろう。

 

 横から見ると少女はとにかく白かった。それは少女の着ている制服がセーラー服も(スカーフも含め)ジャンパースカートも革靴も、靴下を除いては全て黒色だったからより際立ったのかもしれない。白く、淫らに散らばった髪の毛も腰の辺りまで伸びていたし肌もまた同じ色をしていた。それはしかし雲や花にの色のような純白の白ではなく灰とか虚無を連想させる退廃的な白色だった。そして全体としては陽ではなく陰、生ではなく死に近い印象を与えていたので見た人をも暗く気分にさせ近寄りがたいオーラを発しているようだった。だから近づいて話しかけようという意思がまったく湧かなかったのである。


 もちろんあまり同年代の人、とりわけ女の子に関しては最後に人間的な日常会話をしたことが中学受験前までに遡らなくてはいけない程に交流をしていなかったら、女の子に苦手意識を持っていたことも間違いないが。更に僕が元々内向的なのもあって仮にあの出来事が無かったとしても、とても話しかけようという気持ちにはならなかったのである。話したい気持ちがあるのにそれに反抗する意思もあるという、矛盾した思いが僕の口を封じ込めた。


 しかし少女も少女で僕がいくら勇気を持って近づいてもまるでそこにいないかのように目線すら合わせなかった。

 

 「やっぱり僕がしっかりとした人間でいられない半透明人間だからかな」と自嘲気味に少女の隣までやってきて共にトリフィドの写真を見始めた。

 

 僕はそれを見、何たる醜い奇怪な生物だろうと思った。三本の太い根が地面を食い入るように這い、また頭部から生えている刺毛には毒が含まれそれを生物(動物や人間)に打ち、殺した死体から栄養を摂取する姿は不気味以外何者でもない。人間扱いされない僕ももしかしたらクラスメートからこのような生物、または物に思われているのかもしれない。もしかしたら僕は半透明人間だなんて言ってるけど実際は人間の定義に見た目以外は片足も突っ込んでいない怪奇な生物や物なのだろうか。


 そんなことを考えている内にふと意識を現実に戻すと枯れ木が風に揺られた時の寂しく弱い声が聞こえてきた。

 

 「ね、私の声が聞こえないの。この前は聞こえてたみたいだけど」

 

 僕は寝耳に水を打たれた気分で少女の方を向いた。まさかそっちから話しかけるとは思わなかったからだ。

 

 「あ……うん。聞こえる」

 

 同年代だろうから先日みたいな敬語はやめようと思った。そっちの方がきっと交流しやすいだろうから、というせめてもの努力だ。

 

 「そう、聞こえるの。……何で?」

 

 少女の顔を合わせると、前髪もまた鼻くらいにまで伸びているから瞳はまるで人目を避けているかのように隠れていて今どんな感情を持って、つまりは本気で僕に話しかけているのか最初からからかい馬鹿にするつもりで僕に話しかけているのかは微塵も理解できなかった。しかし声を聞く限りでは真剣味は帯びているか判断しかねるものの疑問の感情を抱いている気がしないでもなかったので、とりあえず僕も真剣さを持つ必要があると思ったのでそのように彼女に接することにした。

 

 「君に声があるからじゃないかな。無かったら聞こえないわけだし。姿だって普通に見えるよ」

 

 そのように他人が聞けば恐らく無視するか適当に答える質問を僕は目の前にいる少女の納得のいくように答えたのだ。するとこの一度火を点け灰色とも白色ともつかないけど、終わりを意味するような色になったマッチ棒のような風貌の少女は少し語気を強めてこう返事をしたのである。

 

 「よくよく考えたら…あなたは私の言ってることが分かるの、どうして?」

 

 僕はだんだんと本当に馬鹿にされている気がして少し不機嫌になった。もしかして僕がいかにも虐められているような風貌だと察知し、久しぶりに他人と会話するという前向きな気持ちを逆撫でするつもりなのではないか?と被害妄想はどんどん広がっていく。だから思わず肺を押しつぶし思い切りため息をつき、苛立たしげに答えた。僕のやや芽生えた前向きな芽が泥だらけになったような気がしたから。

 

 「ごめん。からかってたり馬鹿にするんだったら、僕じゃなくて他の人とやってくれないかな?」

 

 いつもは安寧を求めここに来ているのにそれを再三侵害された気がしていよいよ腹立たしくなってきた。元はといえばそのきっかけとなったのは僕だが無意識の中でまた一刻の気まぐれでその機会をつくってしまったことを激しく後悔した。

 

 しかしもしかしたら普段から友人がいて楽しく遊んだり普通の日常生活を過ごしている者ならばこの風変わりな質問をする少女にも反って機嫌を悪くすることなく対応していたかもしれない。僕のように突き放すような言葉を投げかけないかもしれない。前髪が長すぎて瞳が見えず、よく意図の掴めない質問をするこの風変わりな少女であっても話しかけてくれたことには違いない。


 僕は思案する内にやはり自分に非があるのだと思い、少女に強くあたったことこそを後悔した。だからもうこのことを忘れることによって、それを打ち消したいと思いさっさと帰宅し、自室で独りでぼんやりと過ごそうと決めた。

 

 「じゃあ……そういうことだから。何かごめん……」


 別れの挨拶を適当にすると早々と出口に向かって一歩足を踏み出した。

 

 しかし一歩歩き出すと後ろから制服のブレザーの端っこをつまみグイと軽く引っ張った。僕は後ろを振り返ると荒廃した土地に生えている枯れ木の小枝のように細い少女の腕に引っ張られていたのだ。振り払おうと思えばそれこそたまたま体に引っかかった小枝を手で振り払えたのだが少女の表情(目は見えないのだが)を見て、どうにもそんな外道じみた酷いことをしたら良心の呵責に苛まれるに違いない。仮にも僕に話しかけてくれたのだから。少女はあと指一本で体を押せば奈落に落ちる程追い詰められた表情をし、答えというより救いを求めるかのようにその小枝程の腕を精一杯力強く握りしめていた。

 

 「気分を悪くしたらごめんなさい……でもどうしても知りたかったの」

 

 この少女は最初から決してふざけているのではないとこの時初めて気づいた。本気で僕からの答えを望んでいるのだ。だからこれまでの態度の反省の意味もこめてできるだけ、穏やかにいつもよりゆっくりと答えた。


 「あっ分かるよ。それは……君が人間だからね。そりゃ人じゃなくて他の生物だったら鳴き声に聞こえて到底理解できないだろうけど」

  

 すると彼女は今度は


 「じゃああなたも人ではないの、人間であることをやめてしまったの?」とまたも耳を疑うような言葉を発した。

 

 しかしこの問いは今現在の僕自身の境遇や立場を振り返ると決して全身全霊で否定することは不可能極まりないことだ。また僕は実際には人ではないのかという疑問も常々感じていたのもまた事実である。だからその質問に深い興味を示し


 「何でそう思ったの?」と答えを追求しようと問うた。

 

 「それは私が人ではないから。人以外の発する言葉は人には分からないから」

 

 その刹那、僕は生まれてからこれまで顔や存在すら知らなかった兄弟を見つけたような一体感が得られた。この少女は僕と同じなのだと。


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