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孤島の檻  作者: 森心安
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孤島の檻からの脱獄(下)

 乳白色の朝日が昇り、それに照らされた僕は躊躇することなしに起き上がった。排他的な風が吹き荒れる季節に終わりを告げる、乳白色をした太陽。僕の目覚めのように、地中や洞穴から出てくる生物は昨日よりもきっと多くいるはずだ。その日差しよってすぐにでも外出したいという気持ちの芽が姿を現し、同時に体の動きは忙しくなっていく。意思と体が合致している証拠だ。


 その動きから足音を激しく立てて居間に行くと家族がいた。そして僕の気持ちの高揚から生まれる動きを目障りそうに見つめ、こう言った。

 

 「なんだ、騒々しいな。朝から耳障りだ。そんな馬鹿みたいに騒ぐんじゃない、イライラするな」

 

 「今日で二年生も終わるのに、こんなに落ち着きが無くて……大体そんなんだからテストも一位になれないのよ。偏差値もこのままじゃ一流の高校、大学には行けないのよ、それなのに馬鹿みたいにぎゃあぎゃあ騒いで。危機感は無いの?春休みはどうするの、もう高校受験じゃない?どこの塾でも良いからさっさと春期講習の申し込みをしてきなさい。……ただ無名の塾は駄目よ。そんな所で勉強しても無駄だから。……まぁ今の感じじゃろくなトコ行かないでしょうけど」

 

 「それじゃあ困るんだよ弟が偏差値の低い高校なんて行ったら、誰にも言えないじゃないか。世間体というものを考えてくれよ、弟がそんなんじゃこっちも困るじゃないか。だからもう誰かと遊ぶのはやめろ。どうせ中学までの付き合いさ。友達ごっこしてても偏差値の低い高校に行く以外何も得られないぞ」と。


 それらの言葉はまったくの無意味だ。耳に入ってもすぐに分解され塵みたいに細かくなってしまい心に何ら害を与えない。僕は表情を一切変えることなしに家中を回り、準備をひと通り終えた。そして玄関に向かう途中に再び居間を通り去り際に

 

 「医学部まで行く頭脳も、患者以外の相手には嫌味を言うことにしか回らないんだね」と言い残して。

 

 終業式に行くために学校に向かう途中も、先程の言葉に家族がどのようなしかめ面をするか創造するだけで微小を禁じ得なかった。僕の姿をほとんど認識できないくらい遥か上から見下していて、人間として扱ってなかった十代の子供に逆に言い返される屈辱。それは高い自尊心が精神的根幹をなしている彼らには到底耐えられないものだろう。中学受験以来必要最小限の行動以外、意思も何も制限されていたあの建物で初めてそれらを解き放ったのだ。これからは堂々としていよう、例え何を言われても。僕はそんなことを考えながら、学校へ快活に足を運んでいた。

 

 学校に着き、校舎を見つめる。以前は体内にある人間たらしめるものを食い散らかそうと、僕に襲撃しにくるような見た目をしていた校舎だ。今ではただの鉄の塊でしかなく、躊躇なく校舎内に入ることができ、恐れていたこと事態が滑稽に感じられた。逆にこちらが学校という社会を全て食い散らかし、亡き者にすることもできるのだという自信すら湧き上がり膨張し続ける。それ程までに死んでいた自尊心がこれまでの遅れを取り戻すかのように、活性化しているのだ。


 校舎内に入ってもそれは変わらない。上履きの中に大量に入っているゴキブリの死骸。それを生きる糧にとばかりに共食いをする、まだ生きているゴキブリもいる。それもただの模様と変わらず、模様替えとばかりに上履きを揺さぶり、それらを振り落とした。僕と同じように下駄箱にいて反応を伺っていたクラスメートに見せつけるかのように、敢えて彼らに視線を送りながら。


 教室に入ると僕の席に行くと椅子に置いてある画鋲、机の中にはクラスで育てていた金魚の死骸とその悪臭、苛立っているクラスメートが加える僕への暴力などなど数々の演目が用意されていた。見世物ならばこれに答えなければならない、ここは見世物小屋同然なのだから。拒否すればどのようになるかも分かっている。だから今までは感情すら殺して機械さながらに演技をし続けていたのだ。


 だが、今日の僕は無言を貫き通した。それは自らの意思を持って!


 僕は彼女とあの公園に行った次の日からそのような態度を続けている。それからはクラスメートが日に日に様子の変化に戸惑い、捌け口が無くなったことの苛立ちが眼に見えて現れていた。何とか以前の状態に戻そうと画策した彼らによって、僕は倉庫にも何度も閉じ込められた。更には僕の椅子や机が屋上のプールに捨てられるなど虐めも過激なものになった。もはや拷問というよりは殺害を目的とした残虐な攻撃である。


 それでも僕は一つの人間として、自分の意思によって無言を貫き通した。時には嘲り笑うような微笑を浮かべながら。そして今日にも彼らの不満が爆発する時が来るはずだ。今日、その状態に再び戻して良い気分で春休みを浮かべたいだろうから。孤島の檻の拷問者は檻を抜けだした僕を殺さんばかりに追いかけるのだ。だから僕は彼らが二度と追いかけないようにしなくてはならない。


 突然クラスメートの一人が近づいてきて、僕の机を力の限り蹴りつけた。机は飛び跳ねて僕の鳩尾に当たり、止めどなく咳をしてしまった。僕を虐める主犯格である、以前倉庫に閉じ込めたあの男だったのだ。元々のっぺら坊だった顔を鋭利物で切り目を入れたような細い目で僕を睨みつけてくる。


 「最近さ、お前調子に乗ってるだろ」と僕の胸ぐらを掴み鼻と鼻がぶつかりそうなくらい顔を目の前に寄せてきた。


 以前透明な存在として扱っていた彼が胸ぐらを掴んだのだ。人間扱いしなかった人間に無視されることに耐えかねて。あまりに以前から予想していた通りの反応をしたために思わず微笑を浮かべてしまった。構ってもらえない子供みたいだ、と思いながら。

「なめんなつってるんだよ!」と怒りが最高潮に達した男は僕の顔を運動部で鍛えた腕を振りかざして殴りつけた。


 椅子が倒れ仰向けになった僕に乗りかかり何度も目を、鼻を、口に拳をぶつける。それに他のクラスメートが続き、頭が蹴られ脛の近くまでライターの火をむけられ今にも皮膚が溶けそうだった。


 血や青痣や火傷がどんどん増えていく。昔これが正常だと誤認しかけた傷だ。昔感情を殺しす程に苦しみもっとも恐れた痛みだ。しかし今は不思議と屈する気はまったくおきないのである。むしろ不思議と勇気と雄大さがこみ上げてくる、それはどんな痛みを我慢させる気力となりうるのだ。


 「さすがに死んでしまう」とクラス中が騒然となり、女子がyamenayoという音を発する。


 Yamenayo.ああ「やめなよ」か、と暴行を加えれている衝撃で聞き取りづらくなっている女子の声を数秒後にようやく聴きとることができた。しかしいつものようにあまりにも無意味で本当にやめさせる気の無い、とりあえず加害者側になることを避ける自己保身のための、片言の機械じみた非難の声だった。つまり僕にとってまったくもって無意味な、むしろ聞くだけで腹立たしさすら覚える。


 「大して答えてなさそうだな、これはどうだ!」


 僕を虐める中心人物の大柄な男は美術の授業で扱うカッターナイフを取り出した。いつもダーツのように僕を的にするから随分と先端が赤黒く、太陽に反射し鈍く光っている。そしてその先端を僕の首に軽く当てる。軽く脳に伝えられる危機、痛覚。


 「おい、今後そうやってすかした顔でシカト決めると、これで刺すからな。頸動脈だ、頸動脈を切る。どうしようもないくらいの血が出て、恐怖で震え醜い顔で死んでいくことになるからな。ほら、今全裸になれ。そして泣きながら教壇に立って土下座しな。そして三年になってもひぃひぃ言いながら過ごしてろ。そしたらこのナイフでお前を殺さない。ほら脱げよ、脱ぐんだ、聞こえないのか!」と喚き立てる。


 「それをどかさなきゃ。脱げないだろう。どかしてくれないか」と僕は久しぶりにクラスメートに対し、自分の意思によって声を発した。決して演技の声ではない、僕の中のある感情がいよいよ爆発したその音みたいなものだ。


 男は不服そうに、顔に皺を刻みながらナイフを首から遠ざける。僕は自分の机に再び戻った。


 「今まで、ここの見世物小屋で働いてきた。毎朝教室に入れば『お代は見てからで結構だよ。さあさあさあさあ入って入って、間もなく始まるよ』という絶望的なアナウンスが耳に入ってた気がするよ。だけどもう僕は嫌になった。だから閉幕だ、閉幕!今日が最終日だ。最後の演目の役者は僕じゃなくて、お前らにやってもらう。これまで僕がされた『ネタふり』にお前らも応えろ、それだけでいい。さぁ、始めるぞ!」


 そして襟ではなく机を掴む。そして、それを背後にいる男に向かって投げた。普通に投げたのでは重くてとても男の顔の高さには届かないし、スピードも出ない。だから男とは反対向きに立って、野球選手やプロゴルファーさながらに腰の回転を利用する。そして勢い良く飛んだ机は男を倒す凶器と化したのだ。それは男の顔にぶつかり、硬い地面に後頭部から倒れて鈍い音をたてた。


 「何するんだ、殺す、殺すぞ!」と鬼の形相をしながらナイフを僕に向けて走ってきた。教室からは金属をすり潰したような甲高い悲鳴が上がる。


 僕は同じ要領で他の机を男にぶつけ再び倒れた所で体に乗る。そして机から出した広辞苑の角で顔全体、そして鳩尾を絶えず殴りつける。


 ――コレハオ前ガ今マデ俺ニ作ッテキタ痣ダ!

男は何か言い返そうとするが、その都度唇や喉を辞書で殴りつけ一種の言論弾圧を行った。


 ――コウヤッテオ前ハ俺カラ言葉ヲ発スル意思ヲ奪ッタノダ、分カルカ!

悲鳴も許さぬ徹底した言論弾圧。声なき声が聞こえる能力があるとしたら、今男は何を発しているのだろう。


 後悔か

 悔しさか

 死の恐怖か

 

 やがて顔が水死体みたいに痣と血で膨らんでしまった男は気絶こそしてないものの抵抗、反逆する意思を失い、ぐったりとしてしまった。いつそれが回復するか分からないからナイフだけは奪った。それの先端を切り傷をつくらないように舐める。血だ、僕の血だ。金属の味と入り交じっているが確実に伝わる僕の血の味。僕から離れ、絶命していた血が再び体内に入り、蘇生している感じだった。

 

 「お前いい加減にしろ。これ以上こんなことをするとぶっ殺すぞ、おい!」と他の男達が声を揃えて言う。

 

 この男の取り巻きで、やはり僕の虐めに加担していた奴らだ。僕を取り押さえようとして数人がかりで、襲いかかる。僕が大柄な男を痣だらけにしたのがまぐれでもあるかのような自信に満ちた顔で。

 

 ――イイ加減ニシロ?ドチラガ!マダマダ演目ハ終ワラナイ!

 

 襲ってきた男達に攻撃するために机を、水槽を、教室のあらゆる備品を男達に投げる。それは襲いかかった男だけではなく、今まで僕の虐めに加担してた者全員に対して行われた。

 

 ――コレハコレマデ俺ニ対シヤッテキタコトダ!痛イダロウ、教師ニ救イヲ求メタイダロウ?シカシソノヨウナコトヲシタラ、ゴキブリノ死骸ヲ机ニ入レルゾ!水槽ノ水ノ入ッタ給食ヲ食ワセルゾ!ソレデモ俺ノ満足シナイ反応ヲシタラ、ナイフデ切ルゾ、辞書デ殴ルゾ!ドウダ、コレガオ前ラガコレマデヤッテキタコトナンダ!

 それらをされたから僕は人間であることを諦めてしまったのだ。


 自由な意思を持って生きることが周囲に認められない

 人間として誰も見てくれない

 感情も殺した


 そんな毎日にあるのは楽しさも悲しさも無い空虚な生活だけだ。


 でも今はその存在がいるからもう独りではない。それは僕に今追いかけてくる拷問者、追手を反撃する力を与えてくれた。僕はもう、檻の外、孤島からも抜け出し何にも捕らえられない自由ない生活を享受できるのだ。全員が息絶えたみたいに静まり返ったクラスを見、それを実感することができた。

 

 騒動が一通り終わると、教師がやってくる。クラスが寝癖の如く散らかっているが教師は僕ではなく、大柄なあの男がやったと思ったのか、反撃を恐れ注意すらしなかった。僕が反逆を試みるなんて教師は思ってもいないはずだから、それを利用したわけである。一旦教師が来ればいつも通りの教室に戻っていたし、クラスメートも僕の思わぬ反逆を忘れようと必死に平常を装っていた。


 しかしこの事件は春休みを挟み新学期を向かえても、彼らの心に深く刻み込まれるだろう。そしてもう僕が以前の見世物のような生活を強いられることは無くなるはずだ。今日を持って、この見世物小屋は閉幕である。最後の演目は僕ではなく、いつもは観客である彼らが演じることになったのだった。僕を殺さんばかりにやってきた追手は僕の手によって葬られたのだ。僕はその成功にただただ心の中で拍手をし笑みを浮かべていた。


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