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孤島の檻  作者: 森心安
28/31

孤島の檻からの脱獄(中)

 最寄りの駅を出て真っ直ぐに歩くと、以前行った病院がそびえ立つ。ここで彼女は右手に、僕は左手に歩くからここで今日は解散ということになる。

 

 「また……会おうね。私、これからはできるだけあの植物園に行くから」

 

 「僕もそうするよ。……バス代が無くならない限りはね。お金にもっと余裕があったらあの公園にも行こう」と笑って言う。

 

 ――またね。

 

 僕達は互いに手を振って解散した。本当はもう少し……二人で何かしたかった気がした。それを言うのが恥ずかしくてとても言えなかったけど。時間の許す限り彼女といれたことに胸は満たされていたが、後ろ髪に引かれる思いで彼女の家とは反対方向に歩き出した。


 数歩歩き出すと微かに声が聞こえてくる。以前聞いたことのあるような耳に不快感を与える声だ。

 

 「あれ?……じゃん。どう……こんな……ろに……んだよ?」

 

 似たような声は複数聞こえた。粗暴で威嚇的な声は以前公園で聞いたあの声とまったく同じであると思われた。胸の中で毒素みたいな分子が踊り始めたから事態を確認しようと咄嗟に体ごと後ろを振り向く。しかし既に彼女の姿がいななっていて悪い分子はさらに広がり体中で猛々しく腰を振っているのだ。僕の顔は血の気が引き青い肌をした、それこそ人形みたいなになり、画材など走る負担になるはずの荷物を持っていることを物ともせず早々と足を動かして追いかけた。

 

 「何持ってんだよ?」

 

 「学校サボってどこ行ってたんだよ?」

 

 道路を渡り、彼女の住んでいる団地に近づくにつれ、声はだんだん大きくなるのに、居場所がまったく掴めず、焦燥感がただただ増していくばかりである。一体どこにいるのだろうか、姿を見せてほしい、何か大変なことが起きているはずなのに、と。

 

 「おい、来いよ」声は着実に荒々しくなっていく、整備されていないグラウンドみたいに。

 

 僕は病院から一度も走ることを止めることなしに団地内に入った。時間帯が時間帯だけに人気が無く、寂れたゴーストタウンという印象すら与える。声を頼りに辺りを駆け巡ると敷地内にある公園に彼女達の姿があった。急いで助けようとしたが彼女の知り合いだとバレるのはよくない気がしたし、いきなり助けにいっても貧相な体をした僕では返り討ちにあうと思ったので、付近の物陰に隠れて様子を窺った。


 あまり校則らしい校則が無い学校なのか、女らの髪の色は夜空に馴染むことなく、抵抗しているかのように明るい茶色をしていた。彼女が立っているし、辺りもすっかり暗いから顔ははっきりとは分からないが、目付きは見ただけで胸を貫通し精神的苦痛を与える禍々しいものである。確実にあの日彼女の髪を切った、人間であるかも疑わしいと思った奴らであった。あの時のことを思い出し吐き気に似た熱い怒りが沸々と湧いてきた。今、体中の体液が沸騰しているみたいだ。


 「ズル休みだったんだ、へぇ……最近お前調子に乗ってるだろ?」と言うのは四人固まって彼女を追い詰めている中でも、特に過激的な声や顔の女である。


 恐らくこの女がこのグループのトップなのだろう。その威嚇に体の自由を奪われた彼女はただ首を横に動かすのがやっとだった。後ろ向きだから分からないがきっと捕食寸前の小動物さながらの表情だったに違いない。しかし


 ――助けて!と声なき叫び声をあげていたのは間違いなかった。そしてそのような声は確実に誰の耳にも入らないから、助けなど決して到来しないだろう。


 「髪切ってから男に媚びて、味方につけて平気な面して学校歩くようになったもんな?偉くなったもんだよ、どうやって味方につけたんだよ?ただ口だけじゃないだろ、何したんだよ。ここじゃ大声で言えないこともしたんだろ?」


 彼女は再び首を振る。すると女の一人が


 「嘘をつくな、この糞女!」と髪を力の限り引っ張り、最後は押し倒した。


 「意味の分からないことばかりいつも言って……天然ぶって、ちゃっかり男に色目使うところが気にくわないんだよ!」と砂場にある粒子の細かな砂を空っぽの鞄一杯に入れ、彼女に殴りつけるようにかけた。


 「そんなことしてない……してない……ただ、普通に学校に行けるようになりたかっただけ……普通の子みたいに……遊んだり、笑ったりしたかっただけ……本当に、それだけ……」と口に含んでしまった砂を懸命に吐き出しながら言った。


 「制服着てズル休みするようになったもんな、それくらい舐めきってるわけだ。お前の死にかけの母親が見たら何て言うんだろうな!」


 「今日は事情があって……それなら分かってくれる……と思う……」


 「事情ってどんな事情だよ、そういえばなんかの帰りみたいだったしな。何しに行ってたんだよ?」


 「それは……」


 「……ん?ズル休みなのに鞄の中に何か入ってるみたいだな。わざわざズル休みなのに教科書持ってる奴はいないしな、おい開けてみようか」


 「やめて!」と言うと鞄を抱きかかえて団子虫のように丸まり、それを死守しようとしたが一対四ではさすがに、鞄は引き離され、中に入っていた絵が抜き取られた。


 「何だこれ、絵か。暗くてよく見えないな」


 「返して!」と立ち上がり特に過激的な女を押し倒して奪い返した。


 「ふざけるな!おい、それ奪い返してずたずたにしろ!その後は髪の毛も全部切って、顔も痣だらけにしてもう二度と学校に来れないくらい酷い面にして家から一歩も出させないようにしろ、この害虫を殺せ!」と制服に付着した汚れを払いながら指示し取り巻きが

その行動に出た。


 「やめて、誰か、誰かいませんか!」とか弱い声を必死に虚空に向け発していた。


 その時僕は思ったのである。以前公園で似たようなことが発生した時足が石みたいになって動きがとれず涙ながらに無力な自分を呪ったことを思い出しながら。


 ――このまま、彼女を助けないでいたら再び人間であることを諦めてしまうかもしれない、いや最悪死を選んでしまうかもしれない。それくらい彼女は僕と同じように強くない人間なんだ。周りが強すぎるのか、僕達があまりに弱すぎるのか……とにかくあの時のことを繰り返してはならないのだ。彼女ヲ失ッテハイケナイ。彼女ヲ失ッタ時、僕モ同ジ末路ヲ歩ムコトニナルカラ!ソレ抜キニシテモ……失ッテハナラナライ存在ダカラ!アイツラヲ、トテモ同ジ人間トハ思エナイアイツラカラ彼女ヲ救ワナクテハ、アノ時ノヨウニボンヤリト見テイテハ駄目ダ!


 僕はそう思うと咄嗟に制服の胸ポケットに常備しているカッターナイフを取り出した。古い刃を折ってから右手にそれを握りしめこの孤島の檻の拷問者を殺してやるんだとばかりに向かっていった。僕達は、この孤島の檻から抜けださなくてはならないという、固い決心を持ちながら。


 ――オ前ラ、彼女ヲ離セ!絵ヲ離セ!俺達ハ二人イナクテハダメナンダ!と繰り返し発しながら!


 僕は空を切るようにカッターナイフを振り続けた。刃が月に照らされ厭らしい光を放つカッターナイフ、それで最初は彼女を背後から抱き動きを止めていた女の背中を、続いてすぐ隣にいる絵を持っていた女、更に砂場にいた女の腕を斬りつけた。僕のそして彼女の


 悔恨を

 憎悪を

 未来への希求を

 

 載せた刃が弾力性のない餅みたいな皮膚を襲う。皮膚一杯に詰まっていた血が溢れる、黒々しくて恐怖と危機を脳に伝える血が。やがてそれは全身を貫くように伝わり、震えと金切り声が発せられる。

 

 「誰だお前、誰なんだよ!襲われる、いや殺される!」

先程までの威嚇的な目付きは皆消え失せてしまい持っていた荷物を全て捨て、全員逃げ出していった。彼女はあの時便所から逃げ出すこともできなかったのに、その権利はあいつ

らにあつのか?と憤りは消えない。


 ――徹底的ニヤラナクテハマタ同ジコトヲヤルニ違イナイ!リーダーヲ叩カナクテハナラナイ!

 

 そう思った僕は取り巻きを見向きもせず追い抜かし、過激的な女を追いかけ、押し倒した。思い切り額と鼻の骨を地面にぶつけたので女は思わず呻いた。

 

 「誰だ、誰なんだよ、お前は!何でこんなことするんだよ……」と恐怖から涙を流し始めていた。

 

 後ろは金網でとても逃げられる状況には無い。まさしくこの前便所で囲まれて脱出不可能になった彼女と同じ状況というわけである。強者ですらその状況でおぼえて涙するのだから弱者である彼女は一体どれほど怖かったのだろう、と想像するだけで胸が潰されんばかりに苦しくなっていく。それだけではない、潰されそうになった胸からは憤怒の炎が絞り出されていくのだった。

 

 ――オ前ニハアノ子ニ与エタ以上ノ痛ミ、苦シミヲ与エテヤル!

女は顔中に醜い筋をつくって僕に何か訴えかけている。しかし興奮して女の声がまったく耳に入らず、反逆行為を開始したのだ。


 まず髪の毛を常に頭皮が見えるくらいに切るに切る、それはまるで焦げた木だけが残る、焼け野原みたいだった。


 続いて頬を、背中を、太ももを斬りつる。先程よりも強く握り深く肉を抉ろうとした、それは僕らの心の痛みにも連動しているようだ。白い肌の所々が赤色に染まる、ジタバタ暴れる、死の危機を感じた生物は虫であろうと人間であろうと同じような行動を取るということが分かる。


 そして喉をすり減らして発せられた鳴き声のような悲鳴を一瞬上げたが、僕はすぐに口元を抑えた。


 ――今叫ンダラ、コノコトヲ誰カニ言ッタラ殺ス!俺トアノ子ヲ切リ離スヨウナコトハ一切シナイコトダ!と女達に聞こえる最低限度の大きさでしかし、今度は喉を潰したような凄みをきかせていった。


 脅迫に聞こえるかもしれない。だがそれは僕のとって哀願であった、いつまでも彼女といられるように、この檻から抜けだして自由な海原への船出ができるように、という願いを込めたこの女への直訴だったのだ。


 ――俺達ノ人間ノ生活ヲ壊ソウトスル奴ハ許サナイ!とカッターナイフを女の顔に突きつけて哀願を続ける。


 そう、これは「俺達を解放してください」という人生を賭けた一世一代の直訴なのだ。僕は突きつけているカッターナイフを震わせながら答えを待った。


 「もう、しません。二度とそんなことはしません!だから助けてください。もう、やめてください、お願いします!」女は血と涙を混じらせ顔中に苦痛の筋を刻みながら許しを乞うた。それは拷問者が屈服する姿だ、何て醜いのだろう。


 その様子を見、僕はもうこの女達がもう彼女を加虐することは無いと判断し、誰にも口外しないことを条件に解放した。


 女達の姿が消えるまで見届けるた後、思わずへたり込んでしまった。心臓は僕自身にも動く音が聞こえるくらいに激しく鼓動して、そのままこの町全部を消滅させるくらいの大爆発が起きてしまうのではないかと疑う程だった。加えてこのまま脱水症状でも起こしそうなくらいの大粒の汗をかいて湯気が湧き上がっていた。全身には疲労感とだるさが纏わり付く。しかしそれらと共にやってきたのは膨張し続け体中に充満していく達成感だ。

彼女は一瞬僕が来たことに目を丸くしていた。しかし一度事態を認識すると僕の奇声じみた叫び声にも動じず、救い主が来たように、微小しながら涙を流していた。


 危機を追い払うと彼女は僕の元へ駆け寄った。そしてその勢いのままに彼女は顔を埋め、両手を腰に回した、僕は咄嗟にそれを受け止める。彼女の体温はこの時間帯にそぐわない暖かさで燃えるような気分だった。しかし当の彼女は窮屈な檻の中に閉じ込められ、恐怖しているみたいに体を縮こませ、震えていた。

 

 「あぁ……あなたがいなかったら、私また前と同じようなことになっていたと思う。怖くて……何もできなかった、本当にありがとう……」と埋めた顔から流れる涙。それは人間として生きている他ならぬ証拠となっていた。その涙が直接僕の肌を貫通し体全体を浄化してくれるようだった。

 

 「僕も君が大丈夫そうで本当に良かった……ありがとう……」と僕もこれから作り上げる彼女との日々を守り通すことに成功したに安堵し、同じように涙を流した。

 

 それから僕達は互いの存在を確かめ合うように、気が済むまで、涙を流し嗚咽しながら抱擁し合っていたのだ。

 

「あなたがいれば、もう何かあっても大丈夫だよ……」

 

 「僕もだよ。これから先これに近いことが何度あっても、君がいればそれに耐えられるはずだって確信できた。弱すぎる僕でも生きられると!」と互いに言って。

 

 その時に僕達が絶海の孤島に存在し、日々拷問の日々を加えられている檻、孤島の檻の出口を二人でこじ開け、抜けだしたことを実感した。視界に広がる広大な海原を見た気分だった。それは僕が今得たもう何にも縛られない開放感に似ていた。


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