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孤島の檻  作者: 森心安
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車輪の下を掻い潜る 4

 暫くして、この風景を舐め回す程見ているとあることを思い出した。それは彼女が見せるあの悲哀の表情のことだ。それは彼女の心の最深部にある傷から産出された毒が生み出す悲痛の表情。彼女が僕の抱えていた傷や地獄を理解してくれた代わりに僕もそうしなくてはいけないと思い、聞かなくてはならないと思った。とはいってもどう切り出せば良いかは分からなかった。突然「僕と同じように辛い思い出を語ってくれ」といっても誰も素直に答えないだろう。僕だって言わされたのではなく自発的に喋ったのだから。


 なのでとりあえず「そういえば君は何故蝶になって飛びたかったの?」と以前聞きそびれた疑問を問いかけることで彼女の背景を探ろうとした。仮にそのような表情を見せなくても彼女のことをより知りたかったということもあるけど。


 「そのこと?そういえば前に話してなかったね。うん……聞きたい……?」と突然、目の前の景色よりも更に遠方を見つめる目をして言った。


 「言いたくなかったら別に良いよ。無理させる必要もないし」と彼女の様子が変わったことを察知し直感的に深追いすべきでないと思い、そう言った。


 「……でも聞いて欲しいかも」と膝に肘を置いて頬杖をついていた姿勢から両手を膝に置いき、僕の目を意を決した表情で言った。


 「言ってくれるなら聞くよ、どんな話しでも君がしたかったら」と彼女の口からどんなことが語られるか、まったく考えずに答えた。


 日差しが西へと傾き始めていた。一日の半分が過ぎ、終わりへと準備し始めたのだ。これからどんどん空は暗くなっていくだろう。彼女の表情もそんな空の変わり目のように徐々に暗い色を見せ始めた。


 ――私のお父さんがもう、生きてないってことは……前に話したよね。あのお花畑に行った年と日にちはもうあやふやなんだけど、お父さんが死んだ日は数年経った今でもはっきりと細かいところまで覚えてる。小学校四年生の丁度この月のことだったよ。

と再び彼女は視線を遠くの、それは現在というよりは過去に歩いた道筋を見ている目であった。


 ――正月は普通に過ごしたんだ、その時は元気だったの?と僕は問う。彼女の父親が病死であると思ったからだ。


 ――うん。あの年のお正月も普通に過ごしたよ。いつもと何にも変わらない……あっでも伯父さんが来たんだ。あの時、初めて会ったんだよね。


 ――なんで今まで会ってなかったの?結構面倒見てもらってるみたいだから、ずっと前からの面識があると思ってた。


 ――失業しちゃったらしくて、お金に困ってたからご馳走になったみたい。申し訳なさそうな表情をしてたのも覚えてるよ。でも、私を見たらよく話しかけてくれた。凄い気に入ってくれて何度も笑顔で


 「可愛い子だね」って言って髪を撫でたり、手を握ってくれたりしたんだよ。


 いつも周りの大人の人に、具体的には先生に怒られてることが多かったから優しくしてくれる大人の人に会えて、私も嬉しかったよ。ちょっと照れくさかったけどね。

あの中年の男からそんな言葉が出るのかと意外に思った。きっと見た目こそよくないがやはり性格の良い人なのだろう、だから僕は変に疑った目で見たことを少し後悔した。


 ――「将来綺麗になるよ」って伯父さんは特にお父さんとお母さんに言ってたんだ、何度も。


 「さすがにお前にはやれないよ」ってお父さんも呆れた顔で、でも笑いながら言い返してたんだ。


 それでも伯父さんは「そんなことないよ、なぁ」って言ってて一瞬、本気でそう言ってるのか分からなくなっちゃった。


 さすがに四年生の子供に本気なわけ、ないけどね。今思えばあれがお父さんとの最後のお正月になるとは思わなかったな……


 僕はここで彼女の父が病死ではないことに気づき、彼女がこれまで辿った足あとが決して均一された綺麗なものではないことを予感させた。


 ――それからまた二日後の夜にお父さんが倉庫から埃だらけの望遠鏡を出してきたんの。


 「あいつと話してたら昔のこと思いだしてな。最近は忙しくてずっと使ってなくてすっかり忘れてたよ」ともう小さい子みたいに笑ってベランダまで持ってきたんだ。


 昔住んでいた所は、今の前の前の家になるんだけど……ここよりも田舎だから夜になると星が見えて凄い綺麗だったの。ここは少なすぎて星が白胡麻みたいだから星があると反って変な感じがするけど……何でそんなもの持ってたというと、お父さんが昔は虫とか星が見るのが好きな子だったみたいなの。結果的に虫の方がいくらか好きだったからそっちを仕事にしたんだけど、ほとんど同じくらいだったみたい。だから仕事や私の育児で忙しくなる前は毎日見てて、お母さんも呆れるくらいだったそうだよ。その日も嬉しそうに望遠鏡を眺めはじめちゃって……最初は小さい子みたいだったけど、暫くするといつもの

 

 お父さんの顔に戻ってね、私をベランダまで連れてくれた。


 それで「お父さんは昔、星を見るのが凄い好きだったんだよ、特にこうやって覗き込むのは。虫と同じくらいにね。ほら、見てごらん」と言って私に見させてくれた。

覗き込むと本当に、異世界を見ているような、それでも不思議と昔そこにいたような懐かしさや暖かさを感じたんだ。初めて見たのにね。私たちを見守ってるみたいだと思ったなぁ。それを実際にお父さんに言ったら

 

 「そうだよなぁ。うん。その通りだよって頷いたんだ。何でだと思う?」と聞いてきたんだ。

 

 分からないから首を傾げたら

 

 「人は死んだら、お星様になるのさ」と望遠鏡を覗いてる私の頭を撫でながら言ってくれた。そしてこう続けたの。

 

 「お前のお祖母ちゃんはお父さんが小さい頃に亡くなったんだ。お前と同じくらいだったかな。お父さんは泣き虫だったから毎日学校に行ってもどこに行っても泣いてた。死んでしまったらもう会えないわけだからな。そんなある日お前のお爺ちゃんがこの望遠鏡を買ってくれたのさ。そして『それで見てみろ』って言ったんだ。何を考えてるかさっぱり分からなかったけど、覗き込んだ時に丁度お前と同じ気持ちになった。それをお前のお爺ちゃんに言うとさ『母さんはここからお前のことを見てるんだ。人は死んだらこうやって星になって……生きてる人をいつまでも見つめている。だから母さんはお前のことをずっと見てくれている。死んでしまっていても。それだけは知ってもらいたかったから、この望遠鏡を買ってきたんだ。辛くなった時はこれを見なさい。母さんはいつもお前のことを見守ってるから』と言ったんだ。その次の日からようやく泣かなくなったなぁ。死んでもいてくれると思ったからね。辛いことあった時にはこれを見ると安心できたよ。これはそんな思いのある物なんだ」と懐かしそうにいってた。

 

 「いつまでも、そうやって見守ってくれるの?」と聞くと

 

 「そうだよ。もしお父さんが何かあって死んでしまっても……お前のことをずっとそうやって見守ってるよ」と言ってくれたんだ。

 

 ――お父さんはもしかして何か感じ取ってたのかもね。

 

 「お父さんが死ぬのなんて嫌だ……ずっと死なないでね」と目を潤ませて言っても少し困ったような、それでも宥めるような微笑を浮かべて

 

 「ああ。そうだな。いつまでも、そうしてるよ」と言ってまた頭を撫でてくれたんだ。

 

 ――夕食を済ませたら今度はお母さんともずっと見ていた。その後私はお父さんがあんなこと言うから急に怖くなって久しぶりに川の字になって一緒に寝ていたんだよ。あの時は一人部屋が欲しいなんて駄々こねてた頃だった、そういえば。当時はそろそろ大人ぶって進んで独りになることに顎がれてた気がする。……あれが……最後だったのにね……その後嫌ってほど独りになれるのにね……

 

 ――何で?どうして?

 

 焦りから心境がそのまま口に出てしまった。

 

 ――その十日後にね。お父さんは死んだの、私のせいでね。

 

 先程から吹いていた冷たい風が一瞬止んだ。


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