車輪の下を掻い潜る 2
これまでの彼女の記憶は明確で、次に行こうとした場所までは間違いは無かった。しかし一つだけ、だがしかし最も核心的な部分の間違いがあったのだ。
彼女は意気揚々と数多くの木々(今は季節上枯れてはいるが)に囲まれた公園へと入っていった。
「ここがね、この前私が言ったあの場所なんだ。ちゃんと調べたから記憶違いは無いよ。私にとって一番の思い出の場所……だからあなたにもその思い出の跡を通って何か、思ってもらえれば……って。昔私がそうだったように何か自分が取り戻せるんじゃないかなって思って連れてきたんだ……私自身行きたいっていうのもあったんだけどね……だから今日は来てくれて本当にありがとう」と年上が年下に語りかけるような大人びた目で微笑んで語りかけた。僕も彼女とそこに行けば自分を取り戻すきっかけになりそうな気がした。
しかし公園の中に入り、道案内の役割を果たす看板を見ると彼女は口を大きく開け驚愕の表情を浮かべた。突然冷え切った手で心臓を鷲掴みされるような、苦しみや悲しみも含まれた驚きの表情だ。
「そうだ……ここにお花畑があるのは知ってたけど、何のお花かまでは覚えてなかったんだよね。だけど昔の記憶だと長袖で着てたし風が強くて寒い記憶があったから冬の中頃か終わりの時期だったかな……そう思ってた。でもここのお花畑に咲いているのは『芝桜』だったんだ……じゃあまだ……咲いてない、咲いてないよ……冬でもお花が咲いてる場所があるって聞いたことがあったからここもそうなのかもって思ってたけど……ごめんなさい。今は何にも無い場所なのに連れてきちゃって……」と言って何度も頭を下げた。
「やっぱり私……何もできないのかなぁ……」と呟きながら。
「取り敢えず、行ってみよう。せっかく来たんだし。広い公園だし、風景も色々見れるから昔とはまた違った良さを見つけて楽しめるかもしれないよ」とその動きを止めさせた。
彼女の意思に反して僕の気分は先程から明るかった。体内の奥底に数多くの鍵をかけ閉ざし誰も(そして僕自身も)開くことのできない「人間である自分」が開かれつつあったのだ。複雑な形状をした鍵穴が複数存在する南京錠を彼女が開いてくれたのだし、その姿を見、僕自身もこじ開ける活力を得たのだった。そしてそれに伴って感情も再び蘇生しつつあるのを確認できた。
奥に進むといよいよ本来芝桜が咲き乱れているという場所へ着いた。やはり芝桜は咲いていなかった、というより咲いているかどうか確認できない程の雪が辺り一面を覆っていた。しかし顕微鏡を通して見れば確かに花の形に似た氷の粒がこの高原全体に開花していたのだ。隅々にまで同じ色に染められた花畑は人間の皮膚さながらだった。そしてそこには葉が生い茂る樅の木々が点在し上空から見下ろせば、先程のイカ墨の付いた蟲娘の顔を想起させる図になるに違いない。角度によって見え方は異なっていたが、どちらにせよ人間みたいな意思あるもののように感じられたわけである。それに加えてその奥にある山々がこの花畑自体の存在を見守るように存在している。それ持ってここの木々、花のような雪、その内面に混ざり合っている芝桜、土は確固たる自信を持って存在しているように感じられ、僕は羨望の眼差しでこの辺りを見回した。
深呼吸をし、ここにある空気を一気に体内に取り込む。冷たい気候が気持ち良く、体内にある生ぬるい不快な空気を排除してくれる。代わりにここに存在している全ての要素を抽出した気体が入り込み、僕にそれらが備わったような気がした。
「季節外れだと思ったけど、凄い綺麗だね……良かった……」と彼女が嘆息して言った。
僕は同意し言葉を出そうとした。しかし代わりに出たのは涙だった。
「どうしたの?」と彼女が慌てて聞く。
言葉を出そうとすると嗚咽混じりの泣き声になってしまい「うん……」と言い頷くのが精一杯だった。
こういう風になりたかったんだ……
心の中でそう呟いた。




