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孤島の檻  作者: 森心安
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芽むしり仔撃ち 6

 彼女が住んでいる部屋は三LDKだ。入って左手には浴室と便所があり、その隣に彼女の部屋がある。正面進むと居間があり、居間の後ろ側に母親の部屋がある。僕達は正面を歩き、八畳くらいの彼女の自室へと入った。


 そこのふすまにもたれていると彼女は居間から水を持ってきてくれた。それを勢い良く飲んで十数分すると嗚咽自体は完全には収まってはいないものの、徐々に落ち着きを取り戻していた。その間も彼女は気を使わせまいとずっと語りかけず、同じ体勢でただ僕の手を握っていた。


 平静に戻ったのを確認した彼女は僕に先程と同じ質問を始めた。


 「どうしてああいう風になったの?言いたいことだけで良いから。ほんの少しだけでも良いから教えてくれる?」と。

 

 僕は病院に行った日から今ここにいるまでの全てのことを話した。一度話すと、彼女の表情を一瞬足りとも見ずに間断なく、言葉の洪水で部屋は満たされていた。にもかかわらず彼女は氾濫した僕の言葉に流されることなく一字一句耳に受け止め話の内容を理解したようだった。僕の口調とは異なり、身を任せ揺蕩ってみたいという情動に駆られる程に穏やかな川さながらに返事をした。

 

 ――あなたはまず、大きな勘違いをしているよ。人間にニセモノも本物もないと思うよ。私達がどうして以前は人間じゃないと思ってたというと、「人間じゃない」と思っていたからだよ。つまり人間が人間であるのはその人本人がそう思うかどうか、だと思うの。だから私はあなたのことを勘違いした人とも思わない。むしろその逆だよ。学校に行きたくないとも思ったし、先刻も耳が痛くなるくらいに泣いていたんだから。誰かにすがりたいくらい嫌な思いをして泣くのも、本当の人間らしいと思うよ。それにどうして私の言葉で人間であるかどうかなんて決めようと思ったの?

 

 ――もう君以外に僕が人間であると思ってくれる人がいないんだよ。家でも、学校でも。久しぶりに会話らしい会話をしてくれた君にすらそう思ってくれなかったら、もう僕はどう存在していいか分からないんだよ。君がこの前「もう独りじゃないから人間であるとまた少しでも思うようになった」と言ってたように、僕も独りじゃなくなればしっかりとした人間になれると思ったんだ。

 

 ――もちろん他の人にそう思われてるから、人間だと思うきっかけになるんじゃないかな。現に私がまた人間であることを取り戻してくれたのはあなたが植物園で話しかけてくれたからだよ。あれがなかったら……私もその考えに至る芽なんて育たなかったから。でもそれはあくまで一つの要因だと思う。それが大半を占めることは間違いないにしても……

 

 ――でも、最近あの植物園にも喫茶店にもいないから、すっかりその時のことなんて忘れてしまったのか、見捨てられてしまったのかと思ってしまったんだ、もしかしたらそう意識してなかったとしても……

 

 ――それが余計に辛い思いをさせてしまったならごめんなさい。お母さんの病院が変わって少し場所になったから……でもこの前の病院より設備が良いの。お母さんの生まれた場所には変わりないからそっちの方が良いと伯父さんにも言われてね。でもやっぱり少し遠いから暇な日に行くことができなくなってしまったの。

 

 ――そうなんだ……気を悪くしたらごめん。ただそうなると気になるのは僕は君にとって必要な存在になってしまったのだけれども、君が僕に対してここまでしてくれるのは何で?もう君は学校に行って話しかけてくれる知り合いもいるみたいだし。

 

 ――話しかけてくれるといっても、男の子だけだよ。昔のように女の子は話しかけてくれないな……まだ無視されたり虐められたりするよ。でも、それでも私が昔のように笑えたりできるようになったから平気なんだって思えるようになったんだ。それはあなたのおかげだよ。あなたが話しかけてくれたり、髪を切られた時も助けてくれたから……また笑うことができて人であることに戻れた。だから私にとってもあなたは必要だよ。

 

 僕は彼女に対して必要だと言ったこと、そして同じ内容の返事をされた時、思わず赤面してしまった。背中や頭皮、顔に細かい汗をかいてしまう。


 ワタシハアタナをヒツヨウトシテイル、そのニュアンスの言葉を二人で言い合ったのだ。それは英語に翻訳すればI need you.という意味であり、まさに告白の言葉以外の何者でもなかった。それを意識した瞬間、再び彼女の顔を見ようとするが、以前は直視できたのにもうすることができない。そういう意味で僕は彼女を必要としていたのだろうか?ただこの人に僕の存在を認識してもらいたいし、僕という人間を受け入れてくれたらその時再びあの日浮かべた笑顔と喜びの感情を湧き上がらせるに違いない……

 

 しかしじっくりと顔を上げ、ようやく彼女の顔を見ると彼女自身はまったくそうは思っていないのか、表情は変わっていない。もしかして僕を必要としているのは彼女を人間と見てくれる便利な、まるで鋏とか鉛筆といった道具のような意味でのことかもしれない。そう思うと赤面していた顔色は再び真冬の空をそのまま現したような青灰色に戻った。やはり僕はものなのか……そう思った僕に彼女は

 

 ――まだ疑ってるのかな?きっと自分を人間だと信じ切れないから私の言葉も嘘っぽく聞こえてしまうのかな。

 

 ――確かにここでいくら君が「信じて」という言葉をどんな口調や表情から言われたとしても僕は信じられないと思う。どうしたら良いのだろう?

 

 そう言うと彼女は僕の両手を握る。脈が活発に鼓動し暖かい。僕に再びまとわりついていた氷が再び溶解し涙腺が膨らみ、瞳から涙が溢れそうになる。


 更に彼女は厚ぼったい雲を裂き、わずかに部屋に差してきた橙色の夕日の光を浴びながら温和な笑みを浮かべていた。先日見せてくれた冬の朝日のように生まれたての幼児が浮かべる健気な笑顔ではなく、自我が芽生えつつある少女特有の成年の色合いをやや帯び始めている艶やかな笑顔だった。そこに魅力を感じ、自我が芽生えていない幼児さながらの

 

 僕はそのままあひる座りをしている彼女の膝に顔を埋めたくなった。


 やはり彼女は僕にとって必要な存在なのだと強く思った。ひつようだ、ヒツヨウダ、必要だ、I need you.そのようなニュアンスを含んだ言葉を僕の知る限りでどれだけ言い換えても、彼女の姿がパッと思い浮かぶ。今は日本語と授業で習う程度の英語しか知らないがきっと今、フランス語を、ドイツ語を、中国語を勉強していたらそれらの言葉でもきっと同じことが起ったに違いない。そう考えていると彼女は再び、夕日の色を浴びた顔に相応しく確信を持った表情で言った。


 ――あの時のように、二人で喋って笑えば、あなたは自分を再び取り戻せるはずだよ。


 ――でもどうすれば?


 ――そのために明日、一緒にでかけない?前に言ったお花畑をもう一回探したら見つかったの、行ってみたいな。と彼女は握った両手を上下に揺らしながら言った。


 ――そこに行くだけで僕は自分が人間だという自信を持てるのかな?と僕は疑い気味に答えた。


 ――行くだけなのが嫌だったら、画材を持ってきても良いと思うよ。最近また絵を描き始めたみたいだしね。好きな事を好きなようにやれば良いの。学校も休んじゃって。好きなことのために合理的なことをやらないのが、いかにも人間らしいと思うよ。あなたがいう「社会」の中で感情を殺してまで生きようとするよりよっぽどね。


 彼女は半ば強引に話を決めた。しかしそれが僕の乾き切った心に水を与えてくれた。明日は学校を休もう。本能から指示される声も物ともせず、自主的に。そう思って僕は同意の意味を込め、頭を下げた。


 ――決まりだね!明日は十二時頃にC駅で待ち合わせね。ありがとう、行くって思ってくれて。と再び彼女は幼い表情を浮かべた。


 僕はそれを見、まだ笑顔を浮かべることはできないが、心の中にあった靄のような不安は取り除かれ、後は光を取り戻すだけという状態になったことを感じた。地獄の中で蜘蛛の糸を見つけた時の気持ちはきっとこのようなものなのだろう。


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