芽むしり仔撃ち 3
けれども今日はあまりに運が悪かった。朝から厚ぼったい雲が空を覆って皮膚を裂かんばかりに冷たい風が吹いていた。そしてついに嘔吐を我慢しきれなくなった人さながら雲から一気に雨が降りだしたのだ。そうなれば部活は室内練習に変更となりわざわざ雨風に晒され、倉庫を開けるものはいなくなる。授業後のホームルームに僕がいなくとも担任教師はクラスメートの琴線に触れることを恐れ、深く追求はせずに僕を探そうとは決してしないはずだ。彼らはこのことを知って僕を閉じ込めたのだろうか?今回はいつもと違う、その思考が徐々に体全体に浸透していった。
倉庫の中に閉じ込められて四時間が経った。冬の倉庫内は冷たい風からは逃れられるがそれでも扉の隙間から寒気が襲い、どうして安易に倉庫内になんか入ったのだと冷蔵庫の中に入って内から出られなくなった人間の気持ちになった。夏の倉庫内とは異なり急激に生命を脅かす要素は無く、凍えそうであればバットでも振って体温を上げることでそれを避けることも可能ではある。つまりは人間の機能的な意味での心配はまったく無いのだ。
しかし今の僕は機能的な意味ではなく、人間の心理的な問題が発生しているのだった。耳を凝らすと例え倉庫内でなおかつ雨が降っていても、下校する学生の声は聞こえてくる。それらの声がやがて消えると学校内から微かにだが、吹奏楽の音、ホイッスル、さらに掛け声も耳に入った。そして部活が終わり、彼らが下校する際にも声がまた生まれる。みんな今日も一日特別な何かが無かったが確実に充実していた日であると感じさせる笑い声が絶えず挙がっていたのだった。そして僕は毎日笑いや期待、希望……そういった熱い感情を常に体験している彼らの生活が急に羨ましく感じてきた。
それに対して僕はどうだ?最近は彼女にも会っていない。その交流によってようやく蘇った熱い感情を彼らは笑える話をしあったり、じゃれあったり、恋をしたりすることで常に得られる輝かしいものだった。しかし僕のそれは虐めに対し虚勢を張ることで得られる虚しいものであり、鈍い嫌らしい光沢を放っていた。にも拘らず最近の僕は彼らのそれと同質のものと勘違いし、やがては彼らと同じような人間に再び戻ることが可能だ!と息巻いていた。しかし今僕は彼らから隔離された人ならざるものが入る倉庫に篭っている。それも最初は「こんな所にいるだけで良いのか」と安堵感すら覚えつつここにいたのだ。僕の一瞬見えた人間への回帰はただの幻にすぎないのだと気づかされた。
彼女はどうだろうか?最近植物園や古びた喫茶店といったこれまた倉庫と同じく人間社会から隔離された場所にはまったく顔を見せてはいない。もはや人間社会にいても迫害されなくなったとしたらあそこに行く必要も無いのだろう、僕とは異なり。
元々顔は良かったのだ、誰にでも笑顔を振き、母親を思う良い子なのだ。きっと髪を切ってその外見からほとんどの男子を味方につけ、虐めていた女子を少数派へと追いやり、人間としての日々を過ごしているだろう。中学受験の失敗を恐れ、周りに当たり散らし存在を認めない家族を恨めしい表情で常に見ている僕がそう安々と人間らしい生活ができるなんて虫の良い話だったのだ。彼女は能動的に人間であることを取り戻しつつあったが、僕は自ら行動したとは言いがたく彼女に存在を認められただけという受動的かつ、ニセモノの人間への回帰だったのだ。僕は彼女からも間もなく見捨てられ、その存在を忘却の彼方へと追いやるだろう。そうなると僕に残るのは虐めを物ともしない自分を装う虚栄心と、それによって生まれでたニセモノの熱い感情によってのみ支えられた陰惨な生活だけだ。それは以前の感情のない生活よりもよっぽど悪質なものだろう。今や彼女の笑顔を思い出すだけで、本当の人間であることを取り戻したという勘違いを思い出し、惨めになりその恥ずかしさから震えるしかなかった。そしてその震えから涙腺が膨らみ、やがて瞳から涙を流し喚いた。
――僕は感情を取り戻し、もう周囲に迫害されても生きていける、人間としての自信を得たと勘違いしていたのだ!本当はそれはニセモノに過ぎなかったのに!




