芽むしり仔撃ち 1
一月八日、つまり始業式の日の朝を迎えた。朝目覚めると体が重く感じたのは、毛布の枚数を増やしたことによって増した重みによるものではないだろう。まるで体の奥底に内在する冷たい不安の感情が体中に染み渡り、神経の機能を低下させているかのようだったからだ。窓を開け太陽を覆う厚ぼったい雲を見ると、冬の冷たい水が溜まった深い穴ぼこの中にいつまでも居続けるような閉塞感に襲われた。そのような感情は今日に限ったことではなく、新年を迎えた頃にその萌芽が芽生え、日を追うごとに発育していった。
年を越すまで僕は彼女と連日会い出かけていた。とはいっても双方のクラスメートに会うと厄介なので学校から離れた公園や喫茶店でいつまでも喋っていた。短い期間ではあったし、会話の内容も好きな本とか音楽とかこの年代によくある取りとめもないありふれた交流に過ぎなかった。
しかし以前の負の雰囲気が漂っていた会話とは異なり、このありふれた日常的な会話が安らぎを与えてくれた。それは第一に生気を取り戻し実に人間らしく、あらゆる顔を見せてくれる蟲娘に惹かれていたからだ。笑う時は薔薇色の頬を紅潮させ瞳は閉じられ、その代わり長い睫毛がより一層際立った。また少し不満な時は眉を八の字にし、上目遣いに僕を見、頬を膨らませるなど、とにかく全力で今抱えている感情を顔全体に精一杯浮かべ僕にそれを伝えようとするのだ。僕が包み込まれた彼女の美は顔もそうだがその行為にこそ産み出されるものであった。以前は蚕のような皮膚をし、虫さながら無表情でクラスメートからも害虫やら虫やら呼ばれていたが、今ではその要素はいくら探してみてもその片鱗すら見出だすことは不可能である。「蟲娘」と呼んでいた僕自身も恥ずべきだったのだが当の彼女は今も以前語っていた「いつか綺麗な羽が生えて、飛んでみたい」という将来の夢を抱いていて、そのあだ名も咎めることはまったくないのである。
だから十二月のある日、その年に彼女に会った最後の日、いつものように初めて彼女と向き合って会話をしたあの古ぼけた喫茶店にて、どうしてそれについて何も思わないのかと問うと「あなたのその呼び名には悪意が込められていないの。いくら『馬鹿』とか言われてもそこに悪意が無ければ、さらにそこに好意が込められていれば悪い気よりむしろ良い気分になると思うの。ドラマや漫画でも良くあるよね『馬鹿』って言われても微笑む人。それと同じなの。悪気があって呼んでいるわけじゃないって私は分かってるよ」と言い、僕の意識を全て彼女に向けさせる微笑を浮かべたのだった。
その言動から「人間」としてのアイデンティティを復活させたのは間違いなかったのだが以前からあった「虫」としてのアイデンティティもまだ継続されているようだった。だから完全に人間になったわけではなく、まだ半分、僕と同じ半人間なのだ。一時期人間であることを諦念した彼女は、僕より状況が悪かったのである。
「どうしてそんなに虫になりたがるの?『人間でいること』にもう苦悩は感じられなくなったように感じたんだけど」と僕は気になったので聞いた。
「別に『蟲娘』と呼ばれるのは嫌じゃないの。だって『羽が生えたい』なんて言ってるんだもの。でもそれは虫の『綺麗な部分』のことを言ってるの。誰だって『綺麗な部分』には憧れるよね。あるものに憧れるって『綺麗な部分』をすごく信じて『汚い部分』を見ないで、またそこに憧れはしないよね。私は蝶とかそういう虫がすごく綺麗に見えてそんな風になりたいって思ったの。それは虫の『綺麗な部分』。でもみんなは虫の『汚い部分』を私に当てはめたの。見た目の気持ち悪い虫とかそれこそ人に害を及ぼす、そういう虫の『汚い部分』をね。それだけじゃなくてお母さんまで酷いことを言われたから……そういう意味での虫になってしまえば、『自分は元々そういうものだから言われても仕方ない』って諦めもついたしね。今は別のつまり虫の『綺麗な部分』に憧れを抱いてあなたに『蟲娘』と呼ばれても落ち込んだりしないよ、決して。でもそれだけじゃない。あなたに助けられて……何か『人間として生きても良いんだ』って思えたの。まだ……まだほんの少しだけど……」だからきっとクラスの子に害虫扱いされても何食わぬ顔をできると思うよ」と艶やかになった前髪をいじりながら答えた。
「『人間として生きても良い』というのはどういう意味で?」
「今まで、ずっと独りだったから……家にいてもお母さんもお父さんもいない……学校に行けば人間扱いされない。その元々の原因は私が……原因なんだけど。私が原因で独りになってしまった……けれどもあなたみたいな人が最初に話しかけてくれたり助けてくれたりしてくれたから『もう独りじゃないんだ』って思えるようになったの。人って本当に独りだと……一人の人間とすら思えなくなっちゃうの、分かるかな……?そういうことだよ」
僕はそれをよく知っていたし今現在も一人の人間と思えていない。だから分かるよ、と同意したように頷いた。
しかし彼女がここまで虫に拘るのかは分からなかった。孤独の原因なるものもそれが起因しているのだろうか。
だから「何で虫の『綺麗な部分』に憧れたの?単刀直入に言うと、何で虫なの?別に羽なら鳥でも良いしね」と聞いた。
大量のシロップと砂糖で苦味が消失したコーヒーを、柔らかそうな唇に染み渡らせて口に含み、飲み込んでから答えた。
――私が「蟲娘」と呼ばれてたのは今に始まったことじゃないの。もう大分昔……まだお父さんがいてお母さんも元気だった頃のことなんだけどね。小学校一、二年生くらいの時だったかな。私ね、どんなに多くの虫の鳴き声が飛び交っても、聞き分けることができたの。ここは全然虫がいないし今は冬だし実践のしようがないんだけどね。私にこんな特技があるといってもピンとこないよね。でも……例えば同じ蝉にしても
「エゾハルゼミだよ」とか
「エゾゼミだよ」とか先生やクラスの子に得意気に話してたの。
特にいつも虫に囲まれてたわけじゃないけど、お父さんは虫の鳴き声が書かれた図鑑をそれを真似しながら読み聞かせたり、虫の鳴き声が収録されたカセットテープを持っててそれをドライブ中に流したりしてたんだ。五十種類くらい暗記できたのかな。だから最初はみんな珍しがって褒めてくれたんだけど……ある時誰かから
「あいつは蟲娘だ」って呼んできたんだ。
どこからそんな名前が浮かんだかは知らないけど……それからみんなにそう呼ばれるようになったんだ。最初は我慢して誰にも言わなかったんだけど、ある時「お前の仲間だ」と言わんばかりに芋虫とか投げつけられた時にはもう耐えられなくなって泣いて家に帰ってきたんだ。そうするとお父さんがいてね、心配そうに
「どうしたんだ」と聞いてきたの。
だから私「虫なんて気持ち悪くて、変な声がして、オマケにどんな鳴き声をしてるか分かったら虫って呼ばれて……大嫌い、虫なんて生き物」とお父さんに抱きついて言ったの。
そうしたら「虫にだって綺麗なのがいるよ。気持ち悪いように見える芋虫だってやがてすごく綺麗な蝶になるんだ」と言ったの。
更に半信半疑で納得のいかない表情を浮かべると「今度、久しぶりに出かけられる日があるからお母さんと一緒に確かめに行こうよ」と返してきたの。
お父さんは昆虫の研究者でいつも大学での講義や学会であまり家にいなくて……そもそも虫の鳴き声が載っていた図鑑もお父さんが買ってきたものだった。カセットテープももちろんお父さんがどこからか手にいれたのか、自分で収録したものだと思う。お父さんがそんな人だから私にも好きになってもらいたかったんだと思うな。この時も大好きな虫を嫌がったから少しムキになったように久しぶりの休日を私のための「講義」に費やそうとしたみたい。
「それでどこに行ったの?」
――昔のことだから……よく覚えてない……。一回乗り換えて、そこから長い時間……一、二時間はずっと同じ電車に揺られていた気がする。私は少し退屈だったけどお父さんとお母さんで、出かけるなんてそうそうなかったから、嬉しくて一瞬で消えて手の届かない景色よりずっとお父さんとお母さんの手を握って顔を見上げていたことははっきりと覚えているの。
「最寄りの駅に着いてからはどうしたの?」。
――うん。そこに着いてからまた暫く歩くと、公園があって中に入るとお花畑があったんだ。辺り一面に紅白の色をした花が一杯で……お花畑以外にも山々や森林もあってそれも綺麗だったのかもしれないけど、とにかく私はそれしか眼中に入らないくらいに夢中になったの。その時にね、お父さんが後ろから肩を叩いて
「見てごらん」とお花畑に舞う蝶を指したの。
種類はまったく覚えていないんだけど……お花畑と同じくらいに見入っちゃった。人々の立ち入らない、静寂に包まれた森の中にある湖で羽を休めている白鳥みたいで……綺麗だったな。少し涙が出ちゃった。きっとあのお花畑にいたから蝶はあそこまで美しく見えたんだし、その蝶がいたからあのお花畑もより一層美しさが際立ったんだと思う。
「すごい綺麗な蝶だね」って言うとお父さんは続けてこう言ったんだ。
「虫の中でも綺麗なのがいるだろう?」
でも私はまだ納得ができなかったから「でもみんなは私のことを蝶じゃなくて芋虫みたいに思うの。虫の鳴き声を聞き分けられるのがみんなと違って、それが気持ち悪いって思われてるの。だから気持ち悪いと同じだからって芋虫を投げてきたの」と言ってお父さんに少し反論してみたんだ。
僕は彼女が昔から蟲娘と呼ばれ、「芋虫」と見なされていたことを知った。自分とは異なる性質の者を(その程度に関係なく)人ではない何かに例え、迫害する人々はいつの年代にもいるのだとも知った。年齢を重ねる内に自分の中での「普通の人間」像が固まると、より異質なものへの嫌悪感と攻撃性は凶暴化する。中学生になり「芋虫」から「害虫」と呼ばれるようになった彼女のように。
――そう言った私をお父さんはホッとするような優しい目で見つめながら答えてくれた。
「芋虫も今は気持ち悪いように見えるかもしれない。やがて蛹になったらもっとそう見えるかもしれないな。でもね、小さい頃から蝶になることを憧れて、我慢に我慢を重ね、自分にできることを一生懸命やっているんだ。そしたら芋虫はやがて羽が開いて、今まで地面にへばりついていたのにこんなに綺麗に、自由に空を飛べることできるようになる。なりたい自分になるために努力している虫を馬鹿にはできないと思うよ。立派な虫だ」
その時にね。私思ったの。蟲娘と呼ばれても良いって。私も今は芋虫みたいに気持ち悪いって思われているけど、やがて綺麗な蝶みたいになろうって思ったの。そんな感じのことをお父さんに言ったら、笑顔で頭を撫でてくれたの。近くにいたお母さんは微笑みながら手も握ってくれて……暖かったな。それからはもう、何を言われても……さすがに芋虫を投げられたりしたら嫌だったから泣いちゃったけど、もう深くは傷つかなくなった。大好きなお父さんが……そこまで言ってくれた虫みたいになれるならと思ってね。それがきっかけなの。
そう言うと彼女は再び笑顔を浮かべた。
ただ少し気になったのはその夢を語る時だ。夢を語る時の彼女はもちろんにこやかな笑顔を見せてくれた。もはや人間を諦めた時の彼女ではない。しかしその表情は完全に喜びだけで生まれたものではない。むしろその笑顔は喜びとは逆の感情も配合されているのか、どこか悲哀に満ちた表情を浮かべている。感情の雪解けは彼女のそんな一面も垣間見せたのである。一体何故なのだろうかと思ったがその時は蝶に関する話題の方が気になっていたのでそちらを優先し次の問いを投げかけた。
「じゃあ蝶になりたかったのはそういうわけだったんだ。じゃあ何で空を飛びたかったの?綺麗なだけなら別に『飛んでみたい』とは言わないはずだし」
――そう、この話にはまだ続きがあるの。あっ……
時計は既に八の数字を指していて、辺りは暗く近くのあらゆる建物はシルエットさながらだった。話を最後まで聞きたかったが時間が時間なだけに僕達は別れた。彼女は翌日からこの町から離れた町に住んでいる叔父の家で年末年始を過ごす予定らしい。
「じゃあね」と先程の照れくささから素っ気なく別れを告げた。
しかし僕の素っ気ない言葉に反するように彼女は「うん、来年もよろしくね」と僕の手を握って微笑みながら答えた。
その手は以前のような虚無的な白色のそれではなく、冬に人々が吐息のように生を感じさせるものだった。この冬一番の寒さで、彼女自身の手もまた冷たくて、当然手の温度は下がった。しかしそこ以外の血の巡りは盛んになり、体中の体温は上昇し額や首からは汗すら掻いていた。それは体内で死に体だった感情が再び活気を取り戻し、働きかけた運動だったのだ。彼女同様、僕もまた「人」としてのアイデンティティを取り戻しつつあるということだった。僕も彼女と同じ収穫を得てその年最後となる交流を終えた。
僕は彼女と病院に行ってから徐々に枯れていた感情が再び働き始めていたのを感じていた。彼女に会えば胸に内在している重い塊の何かが体外へ飛び出そうとしているかのように蠢き、吐き気に似た、しかし負の側面を決して持ち合わせておらず、むしろその逆の感情が活性化していた。自分以外の誰か、つまり彼女に存在を認めてもらえたことによって再び感情が蘇生したのだ。




