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孤島の檻  作者: 森心安
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蟲娘 6

 校舎を過ぎ、更に何分か歩くと公園が見えてきた。先程見た学校の校庭よりも大きくてベンチもあるから一見学生が寄り道して遊ぶには丁度良いように感じた。


 しかし公園の真ん中に遊具が自分の存在を主張するかのように建っていたのである。幼児向けで短い距離の滑り台やらトンネルやら登り棒が一緒になった遊具。子供の目を惹くように原色だけで色付けされていたから、とても中学生が遊ぶようなものではなかった。そんな物が公園の真ん中にあるからサッカーとか野球をするわけにもいかず、この季節にわざわざ運動もせずじっとベンチに座っているのも寒いので学生は誰も寄り付かなかったのだ。対象である幼児もお昼前で家族と昼食でも食べているのかいなかったのでその公園は再開発をおこなっても寂れてしまったニュータウンのように殺風景だった。またあまりにも広かったので公園の奥の木々がある所まで歩けば人の声もほとんど雑音同様だった。

 

 だから一息つこうと奥のベンチまで歩き、寒風で死人のような色をした木材でできたそれに座った。その左手の方向には公衆便所が設置されている。遊具もそうなのだが、この公衆便所といい最近設置されたのか新しくまた人も大して寄らないからか比較的綺麗であった。どの設備も人とさほど触れられないから目立った錆や汚れも無い。人の手に過剰に触れられ過ぎて手垢や靴に付着した土や汚物で一杯になった設備を見ると、どうしても綺麗のままであり続けるそれの方が羨ましさを感じた。例えそれらの設備に心がありぼろぼろになるまで使用されてきたことに誇りを持っていたとしてもだ。僕がそう思うのは恐らく僕自身の心が人々に乱暴に触れられ過ぎてしまったからだろうか。

 

 男女のトイレの間には身体障害者用のそれも設置されていた。そこを開けば、便所にしては広々として過ごしやすい環境が整っている。誰も使いそうな人がいなければ、罪悪感は多少あるが使いたくなってしまう。思いの外家や学校にいるよりも孤独を感じることなしに、快活に生きることができるようになるかもしれない。

 

 今もそんな人が入っているのだろうか。中から音が聞こえてくる。ベンチから便所までそんなに遠くはないのだがわざわざ便所の音に耳を澄ませる必要も無いので意識を遮断しその音を他の雑音同様に気にかけなかった。

 

 しかしその音は段々と大きくなっていく。何だろうかと意識を取り戻し、そちらに耳を傾けるとさっきまで雑音だと思っていたがそれは声であると気づいた。叫び声や悲鳴が聞こえる。だが何を言っているのかは聞こえない。もしかしたらここでは言えないような犯罪でも起きているのではないかと思い、巻き込まれたくないとは思いつつも近寄って言葉の内容を聞こうとした。

 

 声の主は全員硝子を削るような金切り声で叫んでいたので、同年代の女の子であることが分かった。そんな子達がわざわざ身体障害者用の便所に集まり、一体何をしているのだろうかとますます関心を持った。

 

 「やめて!」一人の女の子の悲鳴が上がった。「切らないで!」

 

 甲高い悲鳴なのだが、掠れていて聞き覚えのある声だった。男一人もいないで女の子だけで便所にいるなんて一体何をしているのだろう。

 

 「動いてんじゃねぇよ」聞こえてきたのはとても女の子とは思えない乱暴な口調だった。「ほら、お前らもつっ立ってないでこいつの体抑えろ」

 

 「分かった分かった」悲鳴を上げている少女とは対象的にこれから玩具で遊ぶ子供のような喜びの感情を持った声で返事をした。

 

 「嫌だ、嫌だ」少女は恐らく抵抗しているのだろう。

 

 「動くとぶん殴るぞ」先刻の口の悪い少女はまた金切り声を上げる。

 

 「殴るのは不味いよ」体を恐らく抑えてる少女が言う。「そうだよ。証拠が残ると、チクられる。内申に響くと面倒だよ」体を抑えているもう一人の少女が乱暴な少女を咎める。

 

 舌打ち混じりに乱暴な少女は「早く鋏貸せ」と言った。

 

 「髪の毛だけはやめて。どうしてこんなことするの?」恐らく涙ながらに言っている。


 最初はあの声の主が蟲娘かと思ったがこんなに感情を剥き出しにするわけがない、と思いつつ髪の毛という言葉が出てきたからその考えを捨て切れなかった。だから、このままばれないように聞き続けようと思った。

 

 「まだ気づかねぇのか。本当にイラつく奴だな」

 

 「ホントだよ。でも一から説明してやるよ」

 

 そこから始まった話の内容と、声の雰囲気から分かった。今この中にいるのは蟲娘なのだ。今まさに虐めを受けている真っ最中なのだ。しかし彼女は文字通り無視されていたはずなのに一体どういうことなのだろうか?

 

 「天然ぶってて、キモイんだよ、害虫が」鈍い音が聞こえた。その後、蟲娘と思われる少女が咳き込んだから恐らく、鳩尾を蹴り上げたのだ。

 

 「やばいよ、それは」一人が焦って言った。

 

 「腹だから証拠なんて、残らねぇだろ。それよりもこの髪、さっさと切っちまおうぜ。誰かの邪魔が入る前にさ」

 

 「何で?どうして切っちゃうの……久しぶりに口を聞いてくれたと思ったのに、どうしてそんなことするの?」

 

 ここまで感情の篭った彼女の声を聞くのは初めてだった。虚構の世界にいるような、そんな違和感を与え、これが異常事態であることを感じ取った。

 

 「それだよ。それ」体を抑えている少女の一人が言う。

 

 「最近じゃ虐めても何も反応しねぇし、本当虫けらみてぇになっちまったからな。こっちもつまんねぇんだ」と言う。

 

 「そこでさ、あんたがその髪の毛を丹念に弄ってるの良く見たんだ。来た時からありえないくらい長い髪だったから聞いてみたら『お母さんが好きだから、その分長くしてるの』って言ってんの聞いたんだよ。あんた、前に母親の話を絡めたら死んだ奴みたいな顔してマジ面白かったんだよ。だから母親が好きな長い髪の毛を切ったら、また面白いことになるだろうなって思ってさ。もっとも今はぼさぼさになってるからもっと前にやるべきだったな。ま、きっと楽しいことになりそうだけど」

 

 それを聞き目は眩み、耳鳴りがし、吐き気に襲われるなど五感から嫌悪感を示し一体どちらが人間なのだろうか、こいつらがすることは十代女の子ではなく悪魔の所業としか思えなかった。

 

 「そういうわけだよ。大体お前の母親はその髪好きだって言ってるけど、こっちからしたら芋虫の体毛が伸びたみてぇでキモくてしょうがないんだ。目が見えないところも芋虫とかゴキブリみたいだろ?」

 

 彼女が蟲だとしたら、一体こいつらはなんなのだろうか。耳にいつまでも残存する金切り声から発せられる音は鬼の泣き声のようで蟲以下の存在にしか思えなかった。

 

 「今日はお母さんに会うの。だから、もし髪を切られたらガッカリするし虐められてるなんて知ったらもう、私どうしたら良いか分からない。私のことは良いの。お母さんのことを思うと……」

 

 大切な人を思っているのにこれがどうして害虫なのだろうか。ゴキブリや蠅やノミやシラミの子供は母を思い、涙するのだろうか?

 

 「どうせ、もう寝たきりなんだろ。死んじゃうから良いじゃん。害虫の母親らしく声も上げないで死んでいくなんてサイコーだね」

 

 他人の不幸で汚い笑い声を上げる奴らが人間なのか?その人が一番傷つくことを言う存在が人間呼ばわりされてそれで嗚咽混じりに泣く存在がどうして害虫なのだろうか。

 

 入って、そう言いたかった。もしかしたら奴らが人間ではないとしたら言葉が通じないかもしれない。それだったら女の姿をしているが殴っていたかもしれない。今の僕の体みたいに「正常な部分」をとにかく増やしてやるのだ。


 しかし僕はこれ以上便所に近づこうとしても足が石化したように動かなかった。どうして動かないんだ!勇気が無いのか、ここで動けないなんてそれこそ僕も人間ではないじゃないか、この野郎と怒りとやるせなさで静かに涙を流して太ももを何度も拳で殴りつけた。そこは痣だらけで殴ると痛かったが、それよりも心臓が冷たい針を何本も刺されるように痛くて気持ち悪かった。

 

 蟲娘はどうやら口も抑えられたのか何も聞こえなくなった。そして鋏が髪の毛を切る音だけが辺りに響いたのである。心はきっとポキっという音を立てて折れる程硬いものではなく、髪の毛ように容易く抜けたり、切れてしまうものなのかもしれない。髪の毛を切る音がしなくなり不快感しか与えない笑い声が上がっても、何も声を発しないし動く音もしない蟲娘の様子を感じ取ってそう思った。幼児が蟻の胴体をちぎったり巣の水攻めをしたみたいに、残虐な好奇心から生まれる殺戮行為を見、久しぶりに感情を、だがしかし冷たく気持ちの悪い感情をほんの一時蘇らせたのだった。


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