寂しさについて考えて
淋しいのは、毎日のこと。
いつも泣きたい気分。わっと泣いて、心を晴らしたいんだけど、泣いたとしても淋しさは埋まらない。緑色のクッションを抱き枕にして、思いっきり抱きしめて、爪を突き立てる。それでも苦しくて、悔しくて、淋しくてたまらない日々。
辛い。
そんな感情を小脇に抱えて生きています。
メンヘラとかそういう諸般の事情はあるんですがね。ただただ生きるのに向いていない人種なのですよ。
心の空白が埋まらないから、何かに縋りたい。自分が穴の底にいて、みんなが自分の上を通っていく。けど踏みつけることはしていない。誰も僕に気付いていないから。悪意なんてないし、みんな普通に生きているだけ。何なら同じ感覚の人がいるだろうし、僕も誰かを踏みつけているかもしれない。でも、自分の苦しさにしか目を向けられない自分がいて、自分しか見れない自分がいて、他人の苦しさに寄り添う姿もただの我が身可愛さで、そうじゃないよっていう声にも耳を傾けられない。
淋しい自分が好きなだけのかもしれない。
苦しさにまみれてもがいている自分が好きで好きでたまらないだけなのかもしれない。
毎日、ズボンの前後ろが逆であるかのような、そんな窮屈でくだらない妄想に取り憑かれているんです。
死にたい感情は日常茶飯事。
それでも、眼の前にいて寄り掛かれる存在ではない。そういう頼れるものじゃない。身近じゃない。遠くにある。高嶺の花とは少し違うけれども、遠くにある。心が痛い。何で?自分。ここにいる。だけれどもあそこに行きたい。手が届きそう。人差し指が触れる。もう少し。体を伸ばす。難しい。人が来る。僕の身体を引っ張る。駄目だよ。頑張れ!そう言って去っていく。また孤独。見つめる。また手を伸ばそうとする。その繰り返し。
いつも一人な気がして。周りに人がいたとしても孤独。
道の歩き方も分からないで、ふらふらと歩いていくだけ。目的とかゴールとかは、白い靄の向こうのもっと向こう。見えない。あるのか?
こんなことを1日に何度も何度も反芻するんです。
疲れますよ、そりゃ。
淋しいですよそりゃ。
豆知識なんですけど、「寂しい」と「淋しい」の違いってご存知ですか?
「寂しい」は、人や物がいない、ひっそりとした空間のことで、「淋しい」は、涙が出るほど心細い主観的な精神状態のことなんですって。
四季あらた




