第八話 心臓の共鳴
天文学的、あるいは神学的な視点に立てば、生命とは精巧な燃焼現象の一種に過ぎない。
酸素と動植物からとる栄養を糧とし、一定の期間だけ熱を生み、運動を維持する。
その燃焼の芯に「魂」という名の非物質的な火を灯したとき、生命は単なる現象を超え、宇宙の理に叛逆する意思を持つ。
大陸暦八一九年、春の終わり。
オアシスの工房では、その宇宙の理に対する叛逆が完遂されようとしていた。
義眼の制作は、もはや「工芸」の域を脱し、一個の生命を別の器へと移し替える「魂の転位」へと変貌していた。
すでに形状を成し、カイルの記憶の色彩を宿した銀色の眼球は、作業台の上で完成の瞬間を待っていた。
まだ決定的な何かが欠けていた。
生命として駆動させるための「主機」――すなわち、命を刻む心臓の核である。
カイルは、音の消えた暗闇の中で、異常なまでの寒気を感じていた。
生まれた時から極寒の砂漠の夜に晒されてきた彼にとって、寒気は馴染み深いものであった。
今彼を包んでいるのは、大気の温度低下ではない。
すぐ隣にいるはずのステラという熱源が、急速に凍りついていくような、実存的な冷気であった。
――チクタク……チクタク……。
あの音が、変わった。
ステラの胸から響いていた金属音が、今は作業台の上の「義眼」からし始めている。
音は二重に重なり、共鳴し、次第にその重心を少女から義眼へと移していく。
ステラは、自らの胸を開き、その深淵に鎮座していた星核銀の「核心」を、自らの指で取り出していたのである。
それは、彼女にとっての死を意味する行為であった。
人間が心臓を抜き取れば即座に肉体が崩壊するように、ステラにとって核を失うことは、この世界に留まるための質量を失うことに他ならない。
「……ステラ、何をしている。その音は……。なぜ、そっちから聞こえるんだ」
カイルは手を伸ばし、作業台を探った。
彼の手に触れたのは、驚くほど冷たく、薄っぺらい質感に変わったステラの腕であった。
彼女の体からは、もはや生物としての重量感が失われていた。
指先でなぞれば、そのまま陽炎のように霧散してしまいそうな、儚い硝子細工の感触。
カイルは恐怖から叫んだ。
「もういい! 義眼なんていらない! 見えなくていいんだ! 俺は、ただ君がそこにいてくれるだけで……」
彼の叫びを遮るように、ステラの冷たい指がカイルの唇を覆った。
その接触には、言葉以上に峻烈な意思が込められていた。 「これは私の望みである」と。
作業台の上で、義眼が眩いばかりの銀光を放ち始めた。
ステラの胸から移し替えられた核心が、義眼の中で新たな鼓動を刻み始める。
カイルの記憶と、ステラの命が融合し、一つの新たな宇宙が誕生した瞬間であった。
光は、視力を失ったカイルの網膜に、暴力的なまでの白光となって突き刺さった。
光の渦の中で、カイルはステラの最期の「気配」を感じた。
「ステラ、ステラ……?」
彼女はカイルの胸の中に崩れ落ちた。
その体は、きつく抱きしめるたびに質量を減じ、銀色の粒子となって消えてゆく。
後世の歴史家は、この夜の出来事を、ある種の「等価交換」として記録するだろう。
その場にいた少年、カイルにとっては、それは等価などという理知的な言葉で片付けられるものではなかった。
彼は、自らが切望した「光」の正体が、愛する者の自己解体によって産み落とされたものであることを、細胞の一つ一つで理解させられていたのである。
「ステラ……行かないでくれ。ステラ!」
カイルの絶叫が、工房に空しく響く。
作業台の上には、世界で最も精巧で、最も残酷な「義眼」が、カイルの瞳となる瞬間を待ちわびている。
砂漠の風が、工房の扉を押し開ける。
運命は、最終局面――すなわち、失われた眼窩に「命の欠片」を嵌め込む、最後の手術へと突入しようとしていた。




