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星をいだく眼 ー砂の王と銀の義眼師ー  作者: kiyoaki


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第三話 廃都の邂逅、銀の福音

 (いにしえ)の伝説によれば、神々がこの地上を去る際、自らの知恵の一部を砂の下に埋め隠したという。

 後世の考古学者が「禁忌の廃都」と呼び、あるいは詩人が「神の墓標」と詠じたその場所――エリュデミオン。

 そこは、数千年の風雪を経てなお、生者の侵入を拒む伝説の領域であった。


 大陸暦八一八年の晩秋、その禁域に足を踏み入れた一人の若者がいた。カイルである。


 彼の視界は、もはや「世界」と呼べる体裁をなしていなかった。

 右目は完全に闇に沈み、残された左目もまた、磨りガラスの向こう側に広がる淡い水墨画のごとく、輪郭を喪失しつつあった。足元を流れる砂のうねりさえ、彼にとっては底なしの深淵に見えた。


「……ここまでか」

 カイルは、白亜の巨柱が立ち並ぶ回廊の陰に身を寄せ、荒い息を吐いた。

 喉は乾き、空腹から意識は朦朧としている。

 それなのに、彼の耳は、砂漠の静寂を切り裂く物騒な物音を捉えていた。

 軍靴の音。それも、訓練され尽くした帝国軍のそれである。

「逃がすな! 陛下の蒐集品(コレクション)だぞ!」

 傲慢な指揮官の罵声が、廃墟の壁に反響する。

 カイルは反射的に腰の短剣に手をかけた。彼が追われているのではない。帝国兵たちは、何か別の「獲物」を追っている。


 重い瞼をこじ開けるようにして左目の焦点を合わせると、視界の端に、信じがたい光景が映った。

 白銀の髪をなびかせ、ぼろぼろの外套を纏った少女が、崩れかけた祭壇の上を走っていた。

 その動きは人間というよりは、風に舞う羽毛のように軽やかであり、同時にどこか壊れやすい硝子細工のような危うさを孕んでいた。

 帝国兵は三人。いずれも魔導小銃を構え、少女を包囲せんとしていた。

 カイルの理性は、これに関わるなと警告を発していた。

 今の彼は、自分一人の命を維持するのさえ危うい敗残兵に過ぎない。

 しかし、彼の魂が、その理性を一蹴した。

「帝国が欲するものを、渡してなるものか」

 それは正義感というよりも、彼の中に唯一残された、帝国への執拗な報復心であった。

 カイルは残された力を振り絞り、兵士たちの位置を音で測った。

 一歩、二歩。砂を踏む音を殺し、背後から肉薄する。


 最初の一人は、喉元を掻き切った。返り血がカイルの頬を濡らすが、彼は瞬き一つしない。

 二人目は、銃剣を突き出すより早く、その脇腹に短剣を突き立てた。

 三人目――指揮官と思しき男が、異変に気づき、魔導小銃の銃口をカイルに向けた。

「貴様、何者だ!」

 カイルの左目は、もはや敵の顔を判別できなかった。

 ただ、銃口から漏れる青白い魔導の光だけが、霧のような視界の中で鋭く光った。

 引き金が引かれる。

 だが、発射音よりも早く、カイルの体は沈んだ。

 死を恐れぬ者の動きは、往々にして常識を超越する。

 カイルは弾丸の軌道を直感で避け、男の懐に飛び込むと、渾身の力でその心臓を貫いた。

 静寂が戻る。崩れ落ちる肉体が地に打ちつけられる鈍い音だけが、辺りに響いた。


 カイルは荒い呼吸を整えながら、祭壇の隅にうずくまる少女を見た。

 否、見ようとした。

 彼女の姿は白い揺らめきにしか見えない。

「……怪我はないか」

 カイルが声をかけると、少女はゆっくりと立ち上がり、彼に近づいてきた。

 返事はなかった。ただ、彼女が数歩歩くごとに、微かな、しかし澄んだ音がカイルの耳に届いた。


 ――チクタク、チクタク。


 それは、精巧な時計の脱進機(エスケープメント)が刻むような、規則正しい金属音であった。人間が発するはずのないその音に、カイルは戦慄を覚えた。


 少女は、カイルの目の前で足を止めた。

 そして、冷たく、それでいて柔らかな指先を、彼の血に汚れた頬に這わせた。

 その瞬間、カイルの左目に奇跡が起きた。

 彼女の指が触れた場所から、霧が晴れるように、色彩が戻ったのである。


 銀色の髪。星屑を散りばめたような深い紫の瞳。

 その瞳に宿る、数千年の孤独を耐え抜いた者だけが持つ透徹した静寂。

 彼女は、この世の者とは思えぬ美しさをたたえ、カイルを見つめていた。

「君は……」

 少女は唇をわずかに動かしたが、やはり言葉は紡がれなかった。彼女はただ、カイルの失われた右目にそっと手を添え、悲しげに首を振った。


 彼女は、カイルの手を取ると、手のひらに文字を書いた。太古の文字、カイルでさえも断片しか知らないそれは「星 民」とだけ読み取れた。

「星の民……? きみが?」

 少女は頷いた。

 その時、カイルは直感した。

 この少女こそが、砂漠の伝説にある「星の民」であり、失われた光を再び呼び戻すことができる唯一の存在であることを。


 運命という名の峻厳な脚本家は、ここにきてようやく、復讐に燃える少年に新たな頁を与えたのである。

 しかし、その頁には、救済と同じ重さの悲劇が書き込まれていることを、今の彼はまだ知る由もなかった。


 カイルは、少女の手を取り、自らの名を告げた。

 廃都を渡る風が、二人の出会いを祝福するように、白亜の砂を高く巻き上げていった。



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