第一話 煉獄の炎、砂の記憶
後世の歴史家は、ズィル・カルナイン帝国の版図拡大を「鋼鉄の津波」と評した。
その波は肥沃な平原を呑み込み、峻険な山脈を削り、ついには世界の最果て、灼熱の砂海にまで到達したのである。
大陸暦八一三年。
砂漠の民「アシャ」の一族が数世紀にわたり守り続けてきたオアシスの村、アル・サフィアに、その津波は凄惨な火の手を伴って現れた。
砂漠の民にとって、太陽は神の慈悲であると同時に、等しく死を司る峻厳な支配者であった。
しかし、その日、アル・サフィアを襲った光は、神のそれよりもはるかに無慈悲な、人間が作り出した「魔導」の光であった。
押し寄せる帝国の魔導重装艦隊。
砂を滑るように進む巨大な浮遊艦の船腹から、無数の魔導砲火が放たれた。琥珀色の砂丘は、瞬く間に焦土へと変じ、風に舞うのは砂ではなく、焼かれた天幕の灰と、逃げ惑う人々の絶望的な嗚咽であった。
「……父さま! 母さま!」
十二歳の少年、カイルは、炎の壁に囲まれた村の中央広場で、ただ立ち尽くしていた。
彼の喉を焼くのは、乾燥した砂の熱気ではない。
肉親を、友を、そして彼自身の未来を焼き尽くしていく、文明という名の暴虐の熱であった。
カイルの父、族長であったアルマンは、民を守るために一族伝来の曲刀を抜き放ったが、その勇敢さは、帝国の圧倒的な火力の前では、あまりに無力だった。
魔導歩兵が放った雷撃の一条が、アルマンの胸を貫く。少年が目にしたのは、英雄と仰いだ父の背中が、一塊の炭となって崩れ落ちる光景であった。
「父さまあああああああ……!」
叫び声は、轟音にかき消された。
カイルは転倒し、熱を帯びた砂に顔を押し付けた。
視界の端で、母が兵士たちに槍で刺されるのが見えた。
砂漠に流れる血は、熱に呑まれ、大地に染み入ってゆく。
その時、炎を割って一台の魔導騎馬が現れた。
騎乗していたのは、銀色の甲冑に身を包んだ帝国の将軍であった。
彼は焦土と化した村を、まるで書斎の埃でも払うかのような冷徹な眼差しで睥睨していた。
その瞳には、蹂躙される弱者への憎悪はなく、任務を果たした者の静謐な安堵すら浮かんでいた。
カイルは、這いつくばりながら、将軍の顔を凝視した。怒りよりも先に、形容しがたい衝撃が少年の魂を貫いたのである。
これほどまでの地獄を作り出しながら、これほどまでに静謐な表情を浮かべる人間がいる。
「殺してやる……。貴様ら、全員、殺してやる……!」
少年の掠れた呻きは、誰の耳にも届かなかった。将軍はカイルを一瞥だにせず、手にした軍配を振るった。
さらなる火力が注ぎ込まれ、アル・サフィアは地図上から永遠に抹消されたのである。
カイルの記憶は、そこで一度途絶えている。
火の粉が舞い、視界が真っ赤に染まった瞬間、彼の右目には灼熱の破片が飛び込んだ。
激痛と共に、彼の世界の半分が永遠の闇に閉ざされた。
しかし、残された左目だけは、紅蓮の炎の中に消えていく帝国の軍旗――三つ首の鷲の紋章を、網膜に、そして魂に焼き付けていた。
後年、彼はこの日を振り返り、こう独白することになる。
「あの時、私の半分は死んだ。残りの半分は、ただ復讐という燃料だけで動く、精巧な人形と化したのだ」と。
燃えさかる残骸の中で、少年は父の形見である折れた短剣を握りしめた。
手のひらから血が流れ、黒い砂を濡らす。
それは、砂漠の民が帝国に対して流した、最初の、そして最も微小な血の一滴であった。
太陽が西の地平に沈み、夜の冷気が廃墟を包み込もうとする頃、カイルはよろよろと立ち上がった。
右目は血に染まり、視界は歪んでいたが、彼の心にはどす黒い炎が灯っていた。
帝国の栄光が燦然と輝く時代、その影で、一人の復讐者が産声を上げたのである。これが、後に「砂の王」と呼ばれ、やがて星の運命と交錯することになる少年の、血塗られた序章であった。
その時、彼はまだ知る由もない。
失われた右目が、いつの日か、この世で最も切なく、最も美しい「光」を宿すことになるということを。




