冒険の始まり
「ハァ、ハァ、ハァ…………」
ジェスは木の幹に優雅に座っており、私は口呼吸を繰り返していた。
「さすがは、ルチルだ。美しいだけではく、強いとは! 本当に素晴らしい。私は、幸運に恵まれた」
言い返したくても、息が上がっていてすぐに言葉が出てこない。それが悔しくて、ラットゥス(ねずみが巨大化したようなモンスター)から、投げたアクスを引っこ抜く。先端についた汚れを拭きながら、邪魔だとばかりに手で合図して、ジェスをどかす。ジェスは気にする素振りも見せずに、木陰を譲るとラットゥスに近寄る。
「昼食は、ラットゥスにしよう」
まるで自分が仕留めたような言い方に、アクスを拭いていた手が止まる。
「殴られたい?」
「私のような、か弱い者が君にかなうはずがない」
ジャスの取り柄は、その見た目だけだ。いや、だんだんと無駄にキラキラしていことさえ、腹立たしくなってきている。
神様がいるのなら、教えてほしい。
――全く役に立たないジャスが、本当にジャスパーなの?
ジャスが戦力外なのは想定内だったし、魔法が使えないのも仕方ない。だから、バトル面では全く期待してなかったけど、ここまで何もしないとは予想だにしなかった。モンスターを持つこともしないし、捌くこともできない。だから、もちろん料理もできない。そのくせ、食べる量が半端ない。食べ方は貴族のように優雅なのに、胃袋がブラックホールなのだ。まぁ、それはいい。一人分作るのも二人分も……五人分でも作る手間はさほど変わらない。なにせ、私の料理のレパートリーは焼くだけだから。
一応、誤解のないように、説明させてほしい。私のレパートリーの少なさは『料理を全くできないから』という理由では断じてない。今、私の置かれている状況では焼く以外の料理法は難しいのだ。
まず、料理をする上で必要なものを考えてみてほしい。例えば、日本人が大好きな味噌汁を作るとする。
①鍋に水を入れて(だしも忘れずに)、沸騰させる。
②具材を追加し、火が通るまで煮込む。
③火を止め、味噌を溶かす。
④お椀に入れて、箸で食べる。いただきます。
さて、必要なものは?
A:鍋、だし、水、具材、味噌、お椀、箸。
味噌汁を一品作るだけで、これだけの物が必要になる。日本の一般家庭であれば、キッチンにあるものばかりだけど、私がいる場所は何もない草原。もちろんキッチン用品はないから、持ち運ぶことになる。
私の言いたいこと、わかるでしょ?
そういうこと。
だから、料理することはさほど大変なことじゃない。それに、食べた分だけ胃に入るのだから、持ち運ぶ必要もない。だけど、モンスターは食べない部分こそが、お金になるのだ。何度も言うが、リベラはとても高い。もの凄く高い! 今からコツコツと、お金になる素材を貯めなきゃならない。だから、爪や牙や角、毛皮や甲羅などお金になる素材を"一人"で解体し、その大量の素材をリュックにくくりつけて、"一人"で持ち歩いている。そのせいで、体力の削られ方が半端ない。しかも、ジェスは重くなったリュックを持つ素振りさえみせないのだから、腹が立つ!
「はぁ〜〜」
大きな溜め息が出る。もう溜め息しか出ない。
まだダンジョンを出発してから、間もないというのに私の肉体的ダメージが大きすぎる。ルチルは魔法を使えなかったため、体力はかなりある。今まで息が切れることなんてなかったのに……でも、のんびり休んでもいられない。日が暮れるまでに、草原地帯を抜けたい。こんな数本の木しか生えていない場所で、夜を過ごすのは危険すぎる。
目を閉じて、風を感じる。
風が、待っていたかのように首筋を触る。町まではまだ距離があるが、日が暮れる前には草原地帯を出られるだろう。
「行くわよ。ラットゥスを持ってきて」
「頑張るルチルのために、歌を歌おう」
「歌わなくていい。それよりも、少しくらい荷物を持ってよ!」
「足が長く、背も高い。顔も小さく、抜群のスタイルの私だが、楽器より重い物は持てないんだ」
――なにが、楽器より重たい物は持てないよっ! 楽器すら持ってないじゃない!!
無言のまま、持っていたアクスを投げる。アクスは空を切る音もたてずに、ラットゥスの眉間に刺さった。
よしっ! 疲れていても、コントロールは完璧ね。さすが、私!! そして、ずっと繰り返している言葉を心の中で叫ぶ。
『ポジティブシンキング、ポジティブシンキング、ポジティブシンキング〜!!!』
物は考えよう。某アニメで鍛えるために、自分の体に負荷を与えて特訓をしていた。それと同じよ、これは自分が強くなるための過程。この先には、新たな扉が開くはずよ!! 自分に負けるな!
私なら、できる!!
絶対に!!!
自分に喝を入れ、立ち上がった時、風が動いた。目を閉じて、風に耳をかたむける。
――ガサガサ。
何かが、こすれる音がする。
――ガサガサ。
音が、どんどん近づいてくる。
目を開け、音の先を見る。何も見えない。見えないほど遠くにいる? いや、ちがう。そこまで遠くじゃない。じゃあ、どこ?
――――下だっ!
「ジャス! 木に登って!!」
叫ぶと、背負っていたリュックを遠くに投げる。そして、投げたリュックめがけて、走り出す。腕を大きく振り、強く地面を蹴りながら、スピードを上げる。リュックが落下するだろう位置まで到着すると、その場で深く沈み込み、思いっきりジャンプし、ユーテルを身構える。地中にいるモンスターの種類は、多くない。たぶん、ウェルミスだ。
リュックがドスンと音を立てる……同時にドォォンと巨大ミミズが飛び出し、リュックに襲いかかってくる。
ビンゴ!
やっぱり、ウェルミスだ!!
ウェルミスは、体長五メートルほどの地底モンスター。目はほとんど見えないため、地中へ伝わる振動のみで獲物を探知している。攻撃方法は、いたってシンプル。獲物を捕え、地中に引きずりこむ。円錐形の頭部は硬く、致命傷を与えるのは難しい。だから、狙うは頭部の下。頭と体の継ぎ目部分は、柔らかい。攻撃する時にだけ姿を現すから、チャンスは今っ!!
狙いを定めて、ユーテルを振りかざす。狙い通りのところに爪が突き刺さったが、柔らかい弾力で押し戻されそうになる。体重をかけて、無理やりに押しこむ。
「ルチル。この木には、可愛いリスがいるよ」
――知るかっ、ボケ!!
粘土を切りつけたかのような感触があり、倒せると確信する。ダメ押しと、さらに力をこめてウェルミスの体をえぐる。すると、ウェルミスが暴れ出し、緑色の体液が飛び散る。地中から尻尾が飛び出してきた。体をよじってかわし、捻り切るようにして一気に首を引き裂く。
「さすが、ルチルだ。素晴らしい!」
なにが、素晴らしいよ! 白々しい! リスを見ていたくせにっ!!
「君を見ていたら、新しい曲ができそうだ。風が感じさせる、メロディがいい。小鳥たちが陽気に挨拶をして、風がその間を取り抜け、花と戯れる。甘い香りと花びらが踊りだす」
なにが、甘い香りよ! なにが、花びらが踊りだすよ! 今の私は、ウェルミスの体液の臭いで酔いしれそうよ!! ジャスは、風上にいるから感じないでしょうけどねっ!
「曲を作っている暇があるなら、降りてきてウェルミスを引っ張り出すのを手伝って!」
「……え? ルチル、君は……ウェルミスを食べるつもりなのか? 私は遠慮しておくよ」
「誰が食べるかっ! 用があるのは、ウェルミスの胃袋の中身!!」
「それは、つまり……ウェルミスの腹部を切って?」
「当たり前でしょ。お腹を切らずに、どうやって胃袋を取り出すの?」
「ルチル、リスが巣から出てきてくれたよ。ほらっ、とても可愛らしい。私のことが好きみたいだ」
……こいつ、手伝う気がねぇーな!
想定内だけどね! だけど、私だって魚の腐ったような臭いで吐きそうになるのを我慢しているんだからね! ウェルミスの体液は臭いだけじゃなくて、ネバネバしていて気持ち悪いし! それに、ウェルミス自体が大きなミミズなのよ? 私が喜んで触っていると思っているの?! そんなわけないじゃないっ!
でもね、ウェルミスは激レアモンスターなの!!
モンスターの体の中には、魔核がある。死ぬと魔核は砕け、液状となって体の中に染み込む。だから、倒したモンスターから魔核を取ることは不可能。だけど、ウェルミスは獲物を丸呑みして食べる。ウェルミスの胃の中で何が起きているのかはわからないけど、モンスターの体が消化された後も魔核は石の状態でウェルミスの胃の中に残る。その状態になった魔核を『ゲンマ』という。
ゲンマは大きさも色もモンスターにより様々だが、一つ共通点がある。どのゲンマも、太い金針がひしめき合っていている。陽の光に照らすとキラキラと輝く、その金針がモンスターの魔力の源。ゲンマは魔道具を作るのに必須アイテムのため、ゲームの中では高額で売買されるが、ウェルミスを倒さない限り、入手することはできない。
しかし、ウェルミスは地中深くにいることが多く、遭遇率はかなり低い。出会えない人が続出し、ウェルミスの出没情報専用の掲示板ができたほどだ。その激レアモンスターであるウェルミスを倒したのに、臭いくらいでゲンマを諦めるなんて……絶対いやっ! 無理! できないっ! 鼻がもげようが、何度嘔吐しようが、絶対にゲンマを手に入れる!! 悪臭ごときに、負けられるかっ!
私なら、できる!!
絶対に!!!