青い町で、黒猫と出会う③
「今日は泊まるんだよね? 部屋に案内する」
「ありがと」
「他に何か、手伝えることはある?」
「ルロホ液が欲しいんだけど、隣の店で売っているかな?」
「うん、売っているよ。私が作っているんだもん」
「レーナが作っているの?」
「趣味と小遣い稼ぎを兼ねてね」
「ルロホ液は染める物によって、種類がちがうんだけど、何を染めるの?」
「えっと……なるべく、濃く染めたいんだけど」
「濃く? 厚手の布なの?」
「えっと、厚くはないんだけど……染まりづらいかな」
「あぁ、植物繊維の布なのね。植物繊維の布は、染まりづらいから少し下処理した方がいいかも。ルチルが染めたいのは、木綿? それとも、麻?」
「えっと、実は……布じゃないの」
「布じゃない? どういうこと?」
すぐに返事ができかった。真実を言うことに、戸惑いがあった。ここまで言ったくせに、最後の決心がつかなかった。
ジャスの時にすんなり言えたのは、ジャスはジャスパーだと心のどこかで思っていたからなのかもしれない。あの時の私に迷いはなかった。ジャスなら、大丈夫だと思った。別に、レーナが信じられないとかじゃない。レーナは良い子だと思う。だけど……どうしても、不安が拭いされない。
無言のまま、下を向いた私の肩をレーナが優しく叩く。
「濃い色に染めたいなら、ルロホの原液を使った方がいいと思う」
「え?」
「布じゃない場合、どんな色に染まるのかは私もわからない。だけど、やってみようよ。染めることを手伝うことはできなくても、教えてあげることはできるから」
「……うん、ありがと」
「お礼の言うのは、まだ早いんじゃない?」
「そんなことない。私は、レーナが手伝ってくれることへの感謝の気持ちを伝えたかったの」
「その気持ち、確かに受け取った! ねぇ、ルチル。染まりづらいって言っていたけど、何回か染めたことはあるの?」
「ううん、初めて。染めたことはないんだけど、染まりづらいかなと思っただけ」
「染めたことはないけど、染まりづらいかもしれない? う〜ん、どうしようかな。ちなみに、色が濃くなり過ぎても大丈夫?」
「うん、大丈夫。むしろ、濃ければ濃い方がいい。黒に染めたいの。真っ黒じゃなくてもいいんだけど、とにかく一目見て『黒!』ってわかる黒にしたい」
「そんなに濃く染めたいなら、下処理をした方がいい。普通なら、布をぬるま湯に浸けておくんだけど……ルチルが染めたい物は浸けておけられる物?」
「どれくらいの時間、浸ける必要があるの?」
「一晩」
「それは、ちょっと難しいと思う」
「下処理が無理なら……そうだっ! 下染めをしてみよう。先に薄めの液を塗って、薄く色を付けて下地を作るの。その後で原液のルロホ液を塗れば、かなり濃い色になると思う。私の部屋に色んな濃さのルロホ液があるから、試してみよう」
「ありがとう、レーナ」
何も聞かないで手伝ってくれる、レーナの優しさが嬉しかった。ありがとうの言葉じゃ足りないくらい!
「ぜんぜん! 私の得意分野だから、まかせて!!」
レーナが片目をとじてクスリと笑いながら胸を叩いた。
――その時、風が吹いた。
窓から吹き込む風が、レーナの肩の辺りまで垂れかかっている髪を揺らした。見えない風が、レーナの周りを踊っているようだった。
『風がタイチンルチル・ア・ウロラ・ノウスに、必要な出会いを与えてくれるわ』
母様の言葉が風と共に、レーナの周りを舞う。その後ろで、美しい人が笑っていた。温かな、とても優しい微笑みで。
「……レーナ」
「何?」
母様の言葉の意味が、わかった気がする。私の中にあった戸惑いは、きれいに消えていた。
「私が染めたいものは、自分の髪なの」
「え? 髪?? 宝石の民に憧れる気持ちは、わかる。だけどね、黒を明るい色に染めることはできない。どうやっても、無理な……あれ? でも、黒に染めたいって……言っていたよね?」
「うん。私は、黒に染めたいの」
ゆっくりと、目深に被っているフードを後ろに下げる。
「ルチル、あなた…………」
レーナはそれ以上何も言わず、口だけがパクパクと動いていた、水色の瞳は、これ以上ないほどに見開く。
「私は、宝石の民のような色になりたいんじゃない。ゼロの民のような髪色になりたいの。できる?」
「……え?」
「私の髪は、ルロホ液で黒く染められる?」
「黒に……染める? ……ダメだよ、そんなの駄目。しちゃいけない! ルチルは、宝石の民でしょ? ルチルは、私たちとは違う! 宝石の民が髪を染めるなんて……絶対にダメ!!」
「落ち着いて、私の髪を見て。私は宝石の民だけど……自分の国から逃げ出して、クィーンクェに来た。もう戻るつもりもない。戻りたくない。お願い、私を助けて」
私の言葉にレーナは一度口を開いて、また閉じた。そして、なにかしらふっ切るように髪を振った後、再度口を開いた。
「……エルロ・オフサルモス・カラジアス。この名にかけて、私はルチルを助ける。まかせて」
レーナは、もう一度、今度はさっきよりも力強く胸を叩いた。
それからは、レーナの部屋に行ってからが大変だった。部屋には同じような瓶が何本も並んでおり、それを端から次々と試していく。私の毛先を少し切って、こっちの瓶どうかとか、やっぱりこっちの瓶がいいとか……私の目にはどれも大した違いはないのに、レーナの飽くなき探究心が止まることはなかった。途中からレーナが何を言っているのかさえ理解できなくなり、聞くことを放棄した。もちろん、レーナの話には適度に頷いていた。
こういう時の対処法は、経験から知っている。指示に従いながら、神妙な顔をして相槌を打つ。これが、最も良い方法である。私は言われるままに、瓶を開け、閉じ、また開ける。それを何度も繰り返した。そして、やっと終わった時には、二人で歓声を上げた。
――そして、今。
「私って、天才かもしれない」
「目を開けても、いい?」
「うん、いいよ」
目を開けると、レーナが櫛で前髪をとかしてしたところだった。ふわりと黒髪が額にたれて、鏡の中にいる自分が別人のように見える。髪の色が違うだけで、雰囲気が全然違う。
「レーナ、天才だよ」
「でしょ? 私もそう思う。私とほとんど同じ色の黒だから、絶対に染めたなんて気が付かれないよ! ねぇ、少し前髪を切る?」
「ううん。このままでいい」
「邪魔じゃない?」
「平気、目にはかからないから」
「瞳の色を気にしているなら、大丈夫だよ。私の瞳を見て。ゼロの民には珍しい薄い水色だけど、誰も気にしない。それに、ルチルの瞳は光の影響かな? 青にも緑にも見えて、すごく綺麗だよ」
「目立ちたくないから」
「……それは、無理だと思うよ」
「どうして? 何かおかしいところある?」
「ルチルは、美人だから」
――『美人さん』
なぜか、声が二重に聞こえた。ジャスが近くにいるような気がして、左右を見渡す。人の気配は、どこにも感じられなかった。気が付けば、窓の外の空は赤く染まっていた。まるで、ルベウスの赤の宝石のように。
「ルチル? どうしたの?」
「あっ、ごめん。なんでもない。もう夕方になったんだなと思って」
「本当だ、時間が経つのが早すぎる。この後の予定は?」
「洋服が一式そろえたかったんだけど、隣の店は何時までかな?」
「まだ営業しているけど、服を一式って……」
「今の服のままだと髪を染めても、宝石の民だと気が付かれるかもしれないから」
「……なるほど。それなら、私の服を貸してあげる」
「いいよ! 買うから、大丈夫」
「貸すだけ、だよ。隣の店でも服は売っているけど、私が着ているような服しか売っていないよ。町の冒険者ギルトのそばに大きな店があるから、そっちで揃えた方がいいと思う。だから、今日は私の服を貸してあげる」
「ありがとう」
「いえいえ♪ その代わり、私の選んだ服を着てもらうからね」
「うん、いいよ」
この時の私に、戻りたい。
なぜ、この時の私は一も二もなく、返事をしてしまったのだろう……。




