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金とイリス<後編>

 カサルアの今まで見た事ない不安な顔にイリスは驚いた。いつも不遜なくらい自信に満ち溢れ内側から輝いているような彼の姿から想像出来ないものだ。

 そして語られた過去は衝撃的なものだった―――


「―――そして私は君に出会った。何もかも上手くいかなくて心が潰れそうな時に君の存在に助けられた・・・慰められ勇気付けられて、その度に愛が降り積っていった・・・イリス、君のいないこれからの人生なんて私には考えられない。でも・・・逃げたいのなら今のうちにそう言ってくれないだろうか・・・今ならまだ間に合う・・・」

 話し終えたカサルアはイリスの顔をまともに見られなかった。視線をずらし彼女の答えを待つ。間に合うと言ったものの心の中では手遅れだ。まだ呼吸を二、三回しかしていない間なのにそれがとても長く感じていた。

「何が間に合うのでしょうか?貴方の気持ちが?でしょうか?私は・・・私はもう間に合いません」

 カサルアは、はっとしてイリスを見た。彼女は涙を溜めて微笑んでいた。

「イリス・・・」

「もう私の心に住むのは貴方だけなのです。でもアーシアのことがどうしても気になっていて・・・申し訳ございませんでした。私がつまらない嫉妬をしたせいで言いたくない事まで言わせてしまいまして・・・」

 魔物に等しいという話はイリスにとってどうでも良いという感じだった。逆に彼女は問いかけた自分を責めていた。

「・・・逃げないと?」

「私は逃げません・・・今も・・・それからずっとその先も・・・」

 カサルアの顔に眩しいまでの笑顔が戻った。


 深夜―――

「イリス、起きて」

「・・・ん・・・・」

 イリスはカサルアに揺り起こされて目覚めた。窓から見える空は厚い雲に覆われ月明かりも無く真っ暗だった。部屋の小さな灯りだけが揺れる寝台の上で起き上がったイリスは自分が何も着ていないのを思い出して上掛けを急いで胸に当てた。カサルアに身を委ねた後そのまま寝入ってしまっていたようだ。横で部屋の外の様子に耳を傾けているカサルアは簡単に衣を引っ掛けている。

「あの・・・何か?」

「しっ、静かに・・・何やら不穏な気配がする。外に直ぐ出られるように衣を着るんだ」

 確かに耳を澄ませば声が聞こえてきた。

「ばあさん、今夜の獲物は上玉だそうだな?」

「ああ、しかも訳ありとみたさ。身なりは平凡だったがね、金は持たないくせに付けている宝飾品は超一流。あの二人は道ならぬ恋をした駆け落ちだろうよ。お宝をまだ持っていそうだし女は美人で男もきれいな優男。どちらも高く売れるだろうよ」

「しかしいつものように眠らせているんだったら手下共は要らなかったなぁ~」

「夕食にたっぷり薬は入れていたけれど用心するに越したこと無いさ」

「まあな。上玉を可愛がりながら酒でも飲ませて貰おう」

「ははは、いいよ。今日はたっぷり飲ませてやるよ」

 会話を聞いていたカサルアは憤っていた。

「イリスを売る?そのうえ可愛がってやるだと!許さん!」


 強盗団が侵入する前にカサルアは扉を開け放った。仰天した宿屋の主人は強盗団の頭目の後ろに隠れながら叫んだ。

「あ、あ、あんた!食事しなかったのかい!」

 開け放たれた部屋の食台の上には手付かずの食事がそのままだった。愛を確かめ合う彼らには食事する時間が無かったらしい。修羅場を潜り抜けている頭目は驚きもしなかったが感嘆したような口笛を吹いた。イリスが姿を現したのだ。

「ヒュ―――ばあさん。あんたの言った通りの別嬪だ。しかも・・・はははっ、やったぜ!未契約の宝珠じゃないか!ばあさん、お手柄だ!」

 男は龍のようだった。イリスの抑えた珠力でも直ぐに嗅ぎ分けたようだ。

「イリス、来るんじゃない!」

「きれいなお兄さん、あんたは黙っていな。その自慢そうな顔を変形させたくなかったら大人しく女を差し出しな」


 こんな龍軍くずれのような強盗団が何人かかってきてもカサルアにとって敵では無かった。力の差が有りすぎてそれが困るぐらいだ。仕方ないと自分の龍力を抑えていた制御装置の指輪を抜きかけた時、爆音がした。それから緊急事態を知らせる町中の鐘が鳴りだしたのだ。甲高い鐘の音が深夜の町を震撼させた。町中の灯りが段々と点きだし、人々が騒ぎ出す。


「油田が爆発したぞ――っ!火の手が直ぐそこまで来ているぞ――っ!」


 睨み合っていたカサルアも強盗団も窓の外を見た。さっきまで真っ暗だった空がまるで夕焼けのように赤く染まっていた。田舎町にしては都会並に発展していたのはこの油田があるせいだった。富ももたらすが危険も多い産物だ。炎がまるで赤い絨毯のように家々を呑み込もうとしている。このままだとあっという間にこの町は焼け野原になるだろう。今こんな所で強盗している場合では無かった。このままでは自分達の命さえも失いかねない。


「お前達の事は後回しだ!」


 カサルアはそう言い捨てると右手の指輪を抜き取った。力の解放と共に右袖が焼け落ち金色に輝く龍紋が現れたのだ。立ち昇る巨大な龍力に強盗達は腰を抜かした。

「彼女に指一本でも触れてみろ!何処までも追い掛けて八つ裂きにしてやる!分かったな?手を出すんじゃないぞ!」

 男達は違い過ぎる力の差にただ頷くばかりだ。

「イリス、少し待っていてくれ」

「はい、お気をつけて・・・」

 イリスは少し悲しい顔をしてカサルアを見送った。自分が行っても足手まといだと分かっている。今は災害が広がらないのを祈るだけだ。そして人々は信じられないものを見た。一人の龍が風を操り、雨を呼び、炎を炎の壁で押しやり山を崩して炎を遮断し鎮火していく奇跡。全ての力を自在に操るその人物は金色に輝いていた。


「おいっ、あれは陽の龍・・・天龍王じゃないか?」

「そうだ!天龍王だ!」


 夜明けと共に炎も静まり人々の歓声が沸き起こった。昇る陽を背に受けたその姿は人々の希望そのものだ。町中が歓喜しお祭り騒ぎのように歌い踊り新しい王を称えた。その中から密かに姿を消したカサルアは恋人の下へ戻って来た。流石にあの女主人も強盗団も居なかったがイリスが微笑んで迎えてくれた。

「お疲れ様でした」

「幸せの余韻に浸る間もなく散々な夜だった。君と二人っきりの計画が台無しだ!こうなったらもう一晩、ここに泊まるぞ!」

「あの・・・言い難いことなのですが・・・これを」

 イリスが封書を差し出した。それを受け取り、目を通し始めたカサルアは段々と不機嫌な顔に・・・

「先ほど、イザヤ様の部下の方がお見えになって・・・良くない知らせですか?」

 自分達を訪ねて誰かが来ると思わなかったイリスだったが、イザヤの情報網なら驚くものでは無かった。

「早々に帰れと言うことだ。そんなもの無視だ、無視!」

 カサルアはそう言ったものの結局次元回廊にて帰城したのだった。帰りたく無いと駄々を捏ねたカサルアを宥めたのはもちろんイリスだ。甘えて我が儘を言うのも、泣き言を言うカサルアを見るのは彼女だけだろう。




「ねぇ、イリスさん。兄様が鬱陶しいと思ったことない?」

「ございませんよ」

「すごい!私は〝もう放っておいて!〟て、思うこと沢山あるのよ」

 婚礼を間近に控えたイリスはアーシアとその準備をしながら他愛無いお喋りをしていた。イリスが、くすりと笑った。

「貴女が可愛くて仕方が無いのですよ。少し妬けます」

「あっ、やっぱり?イリスさんでもそう思うの?だったらラシードが機嫌悪くなるのも分かるわ」

「ラシードが?」

「そうよ。兄様がベタベタ構って来た後なんか最悪!眉間にシワを寄せて無言になるし・・・その後大変なのよ・・・色々・・・」

 大変になると言いうアーシアの顔は真っ赤だった。どう大変なのか?イリスは想像出来た。嫉妬した恋人がすることは決まっている。

「大変よね。分かるわ」

「でしょう?兄様も結構嫉妬深いでしょう?」

「さあ、どうでしょうか?そんな風に感じませんけれど」

 アーシアが信じられないと言うように瞳を大きく開いた。

「イリスさん!本気でそう思っているの?兄様は見栄っぱりだからそう見せて無いだけよ。イリスさんが男の人と楽しそうに歓談しているだけでそれはもう苦虫潰したみたいな顔をしているのよ。自分に誰かの視線が向くと素知らぬ顔をしているけどね。私には分かるわ〝寄るな!触るな!話しかけるな!〟って心の中で叫んでいるのよ。口に出すと見っとも無いから黙っているだけ。だからその後、大変でしょう?甘えて」


 イリスは思い当たるものが色々あった。まさか話しているだけでもそう思っているとは思わなかったが確かにその後は自分を好きかと何度も聞いては甘えていた。宝珠の契約をしてもそれは変わらなかった。肌を重ね愛の言葉で絡めても宝珠の契約で縛ってもカサルアには足りないのだろう。それほどイリスを愛していた。失いたくない存在―――


「女同士で何の相談?」

 部屋の扉が開いたと思ったら噂の本人が登場した。

「兄様!失礼でしょう!女性の部屋にいきなり入って来るなんて!あっ!」

 アーシアはカサルアの後にラシードの姿を見つけた。これは良い機会だとアーシアは微笑むとイリスに耳打ちした。


(お願い、イリスさん。協力してくれる?兄様を懲らしめたいのよ。あのね・・・)


 イリスはアーシアの願いに耳を傾けた。今度妹になる可愛い彼女の頼みは叶えてやりたい。

「ラシード、頼まれていたもの見つけましたよ」

「え?」

 ラシードは微笑みながら話しかけてくるイリスに何も頼んだ覚えは無い。

「あっ、ごめんなさい・・・陛下の前で・・・」

 カサルアが、さっと二人に視線を送った。その後ろからアーシアがラシードに片目を瞑って合図を送っている。その意図を察知した勘の良いラシードは微笑んだ。

「イリス、その話は―――」

 ラシードが何やらイリスに耳打ちした。この二人の関係ほど全く心配は無いというのに親密そうなその様子にカサルアの嫉妬が顔を出し始めた。


「何の話しをしているんだ!」


「陛下には関係ないことです」

 ラシードの素っ気ない答えが返って来た。イリスがまた何やらラシードに耳打ちした。黒衣の紅い龍は、女達が卒倒する笑みを浮かべている。


(ラシード、お返しは出来たかしら?)

(もう少しというところだろう。と、いう訳でイリス、失礼するよ)

(えっ?)


「イリス、助かった。礼を言う」

 ラシードは大げさに礼を言ってイリスを抱きしめ頬に口づけた。それにはこれを思い立ったアーシアも驚いたがカサルアはとうとう怒ってしまった。

「ラシード、気安く私のイリスに抱き付くな!それに・・・それに!」

「頬に?ですか?これは失礼。嬉しかったのでつい・・・何か問題でも?」

 ラシードは、さらりと何でも無いように言った。

「つい?ついだって?」

 言い募ろうとしたカサルアだったが懲らしめようと思った兄よりアーシアが怒ってしまった。

「ラシード!やりすぎよ!もう知らない!」

 逆に嫉妬してしまったアーシアはバタバタと部屋を出て行く。

「え?アーシア!待て、待つんだ!アーシア!」

 その後を慌ててラシードが追い掛けて行った。


「あ~あ知らないぞ。アーシアを怒らせて・・・それにしても私も怒っているけどね。イリス」

「何故でございますか?」

 イリスはわざとそう聞き返した。

「何故って?それは・・・分からない?」

「はい。分かりかねます」

「分かりかねるって・・・」

 カサルアは答えに窮してしまった。嫉妬したとは何となく言えない。視線を彷徨わせ始めた彼にイリスが笑い出した。

「申し訳ございません。困らせたみたいですね。アーシアが困っていたのでつい協力してしまいました」

「協力?」

「はい。貴方が彼女を構い過ぎるからラシードが嫉妬するみたいで・・・今日はそのお返しだそうです」

「仕返しだって?」

 カサルアは金の瞳を見開いた。それを眩しく見つめたイリスが微笑む。

「はい。怒っていると言うのでしたら成功かしら?それに私も見てみたかったのです。アーシアが言うように貴方が本当に、私が殿方と話しをしているだけで面白くなく思っていらっしゃるのか?と・・・」

「アーシアの奴そんなことを・・・そうだ。その通りだ。しかし君を信用していない訳じゃない。これは只の・・・」


 カサルアは続きの言葉を呑み込んだ。イリスがふわりと自分の膝の上に座ったからだ。こんな積極的な行動に出るのは珍しい。珍しいと言うよりも初めてだ。しかも甘えたように身体を寄せてきた。

「私も兄妹とは言っても仲の良いお二人を見ていると気持ちが穏やかではありません。ついつい嫉妬してしまいます。宝珠達が貴方の関心を引こうとするのを見るのも気分が悪くなります。どうして私達は一つにとけ合わないのかと思ってしまいます・・・」

 イリスを静かな湖水に例えたことがある。静寂にも似た彼女にもそんな気持ちがあったのだ。カサルアは彼女の激しい想いを失念していた。ライの為に死を覚悟して禁忌の転換を行なおうとしたし、カサルアを諦める為に全てを捨てて消息を絶ったりもした。強い意志が無ければ出来ない事だ。カサルアはいつも不安だったのだ。彼女の愛を疑ってはいないが自分の想いの方がより熱く重いと思っていた。カサルアにとってイリス以外考えられないことであり必要だった。しかしイリスは自分でなくても構わないのでは?と思うことがあったのだ。苛々と嫉妬するのは自分ばかりだと思っていた。


「イリス・・・本当にそうだね。私はいつもそう思っていた。何度も身体を重ねても君を契約で縛っても、今度は妻と言う名で繋いでも私には安心出来ない。この気持ちは一生続くだろう。自分でもどうしたらいいのか分からない。本当に一つにとけ合ったのならいいと思う・・・」

 そう呟くように言ったカサルアの頭をイリスが胸に抱いた。彼女の柔らか胸に今にも泣き出しそうなカサルアの顔が埋まった。

「私はずっとお側におります。心配ならどうぞお好きなようになさって下さい。何なら部屋へ閉じ込めて下さっても結構です」

 カサルアは驚いて顔を上げた。

「イリス・・・本当に?」

「はい。私は自分の中に閉じこもり死んでいたのも同然でした。ただ生きているだけ・・・でもその扉を開いたのは貴方・・・金の龍。私の全てでもあり、私の全ての権利を持つのも貴方です」


(私は何故自分の方がより熱く重い想いを持っていると思ったのだろうか・・・)


 イリスも同じだったのだ。

「イリス・・・愛している。こんなに素晴らしい君を閉じ込めるなんて勿体無い。たっぷりと自慢しなくてはね。こうなったら男達の悔しそうな顔を見るとしよう」

「困った方ですね。私など自慢になりませんよ」

「ほらっ、悪い癖。君は自分を過小評価しすぎる」

「貴方こそ私を過大評価しすぎです」

「違う」

「いいえ、違いません」

 違う、違わないとお互い言い合っていたがいつの間にか笑い合っていた。

 そして自然と唇が重なり合う―――


 その後、カサルアのちょっとした嫉妬は納まる訳では無かったが、その代わりイリスはそう感じた時はたっぷりと甘やかした。混沌とした世界を立て直す偉大なる王を支えるのはまさしくイリスだろう。陽光のような金色の龍が恋した宝珠―――彼女を抱いて幸せを描き微睡のだ。


陽の龍はこれで終わります。次の外伝Ⅲは外伝シリーズで最も長い「翠の龍」です。次作もどうぞよろしくお願いいたします。

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