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金とイリス<前編>

 姿を消してしまったイリスを狂ったように捜し出したカサルアは、ようやくそのイリスをつかまえる事が出来た。それはもちろん只つかまえた・・・と言う訳では無く彼女の心も捉えたのだ。寄り添うように部屋から出てきた二人をラシードの父、ザーンが温かく迎えた。

「お慶び申し上げます」

 ザーンの全てを見通したかのような言葉にイリスが少し頬を染めたが、カサルアは嬉しそうに頷いた。

「邪魔をした。そして申し訳無いがイリスは返して貰うよ」

 イリスは、はっとした。カサルアから逃げ出した結果としても此処での仕事を放り出す訳にはいかない。そんな無責任な仕事をしていた訳では無いのだ。

「カサルア様!私は――」

 一緒に帰れないと言おうとしたイリスをザーンが微笑んで止めた。

「イリス、此処は心配しなくて大丈夫です。とても良く働いて貰って助かりましたが貴女は自分の幸せのことを考えて下さい」

「ザーン様・・・」

 ありがとうございます・・・と言ったイリスは深く頭を下げた。

「では行こう、イリス」

 カサルアは待ちきれないように彼女の手を引いた。

「少し、お待ち下さい。荷物をまとめますから」

「大事なもの?」

「いいえ・・・特別には・・・」

「ならいい。ザーン、後で誰か人をやるから」

「それは此方で致しましょう」

 カサルアは頷き、イリスに向って微笑んだ。

「せっかく城を抜け出して来たんだ、ゆっくりと戻ろう」

「ゆっくりでございますか?」

 イリスはカサルアの意図するものが分からなかった。この地は天龍都より離れた場所にあるが龍力をもってすれば簡単に次元回廊でその距離を縮めることが出来る。だから瞬く間に都へは着いてしまう・・・それをゆっくりと言うことは?

「次元回廊は使わないで見物でもしながら帰ろう」

「それは宜しいですね。此処は田舎町ですが少し中心部に行けば交易が盛んで市も沢山出ていますから十分楽しめると思います」


 ザーンはそう言って引き出しから地図を出して興味津々のカサルアに見せていた。しかしイリスは二人のように気楽になれなかった。カサルアが毎日、寝る間も惜しむぐらい忙しくしている姿を知っている。

「よろしいのですか?お忙しいのに?」

 イリスの心配を他所にカサルアは悪戯っ子のような顔をした。それは心を許した特に親しい者にしか見せない表情だ。

「こんな機会を逃す手は無いだろう?それも君と二人っきりで過ごすなんて素晴らしい!」

「しかし・・・」

 真面目なイリスは少し戸惑い言いよどんだ。やはり駄目だと言おうとした時、カサルアの金の瞳に顔を覗きこまれて鼓動が跳ね上がった。

「しかしも駄目も、なし。さぁ、行こう!」

「陛下、お召し物はお着替えになられた方が宜しいかと。そのお姿でお出ましになられますと直ぐに王だと分かり人の輪が出来てしまうでしょう」

 カサルアはザーンが贈った正装を着ていた。確かにこのままでは目立って仕方が無いだろう。とは言え着て来た物も普段着とは言い難い。来る時は近くまで次元回廊を使って来たから気も留めていなかったのだ。しかしザーンの気配りで衣を再度整えることが出来た。ようやくちょっとした休暇に出発することが出来る。

「ではザーン、世話になった。もう行くがもしイザヤから何か言ってきたら宜しく」

 居所が知れて問い合わせがあっても適当に誤魔化してくれとの意味だ。

「承知致しました。ごゆっくり」

 カサルアは頷くとイリスをいきなり抱き上げた。

「な、何をなさいます!」

「馬に乗ったことが無いだろう?乗るのを手伝おうと思って」

「馬ぐらい乗ったことございます。大丈夫ですから下して下さいませ」

 カサルアは駄々っ子のように嫌だ、と言って笑った。アーシアを悩ましていた甘えん坊なカサルアが全開のようだ。陽の龍と称えられた王の意外な顔に少し驚きながらザーンは見送ったのだった。


(まさかこのまま馬で天龍都まで帰るつもりかしら?)


 イリスは翼竜でも馬でも器用に操る恋人になったばかりの眩しい人物を見上げた。その視線に気が付いたカサルアは、ちらりとだけ彼女を見て微笑んだ。

「どうした?イリス?」

 カサルアの腕の中にいるような感じで騎乗しているイリスは、そんなふいの仕草にも胸が高鳴って仕方が無かった。いつも抑えていた感情が開放され自分でも可笑しいと思うのだがまるで恋をしたての少女のような気分だ。昔の恋人とは姿はもちろん性格も考え方も全く違うからかもしれない。

「まさかこのまま天龍都にお帰りになるのかと思って・・・」

 馬で帰るには距離がありすぎるのだ。このままでは何日もかかってしまうだろう。

「それは魅力的だ!そうしようか?」

「ご冗談でしょう?何日もかかって大変です」

「何日も一緒にいられるんだ、良いじゃないか?」

 カサルアはそう言って笑った。どこまで本気なのか冗談なのかイリスには分からない。心配をかけた恋人にこれ以上嫌な事は言いたく無かった。だから微笑みを返しただけにした。

「イ、イリス・・・」

 表情が少ないイリスの最大の武器とも言えるその微笑みはカサルアを馬上から転がり落とすところだった。

「はぁ――危なかった」

「どうかされたのですか?」

「そうだね・・・どうかなりそうだよ」

「え?何が?でしょうか?」

 カサルアは腕の中のイリスを恨めしそうに見下ろした。


「・・・・・・そういうところ。少し休憩しようか・・・」


 いつも二人の間にあった見えない壁が無くなった途端、イリスのカサルアに対する表情が変わったのだから仕方が無い。意味の分からない返答にイリスが不思議な顔をしていると、カサルアが下馬し彼女を抱き下ろした。そしてそのまま甘えたように抱きしめると木陰に腰掛けた。

「あんな短い時間で君に対する気持ちを全部言えた訳じゃない。何時間だって何日かけたって言い足りない・・・酷い話、他はどうでもいいとさえ思っている。イリス、君さえ居てくれるなら私は何もいらない・・・」

 その想いの深さにイリスは嬉しさよりも恐ろしさを感じて思わず震えた。

「こんなことを言う私が怖いだろう?」

「い、いいえ・・・」

「イリス、嘘は下手だね。怖い筈・・・私も自分自身怖いと思うからね。私の本当の心は自分のことだけしか考えていない傲慢なやつさ。他人なんかどうでもいい―――本来なら一番王にしたらいけない危険人物だろうね」

 ほら、もっと怖くなっただろう?と言うようにカサルアは腕の中のイリスを見た。しかし彼女はもう震えてはいなかった。

「―――貴方がご自分でそう言われるのならそうかもしれません。でも、それを表に晒さない強い意志をお持ちなのも貴方でしょう?それでももし・・・道を外れるようなら私もご一緒しますから二人で憎まれましょう」


 止めると言われるのかと思ったカサルアは違う答えに金の瞳を見開いた。そして笑った。

「はははは・・・私はともかく君が悪く言われて憎まれるなんて嫌だな」

「そう思われるのならそうなさって下さい。私は貴方に付いて行くだけですから・・・」

「私は幸せ者だ。例え魔物だとしても付いてきてくれる人がいるんだからな」

 カサルアが自分のことをそう思っていると知ったイリスは驚いた。魔物―――そう呼ぶに値する人物はゼノアだった。それと同じだとカサルアは思っているのだ。確かにその力は恐怖の王と互角だった。だからと言ってそれが悪では無いのだ。

「私が恐れを感じたのは貴方が魔物のようだからではございません!偉大な力を持つ貴方が私一人いれば良いような言い方をされたから・・・そんな孤独が悲しくて恐ろしかっただけです。本当に貴方が欲して下さるほど自分にその価値があるのだろうかと恐ろしくなったのです!」

「イリス・・・」


 イリスは唇を震わせてつらそうに涙を落とした。力も足りない宝珠の身で何の役にも立たない自分を欲してくれる眩しいばかりの金の龍に申し訳なかった。カサルアの愛していると言う言葉を疑う訳では無いのだが、どうして自分を?何故?という思いがまた込み上げてくる。

「イリス・・・どうして?自分を?とか考えているんじゃないだろうね?」

 思っていることを言われたイリスは、さっと顔色を変えた。

「正解・・・か―――どうしたら君に分かって貰えるのか・・・」

 カサルアの陽に似た顔が一段と曇りイリスに何と言ったら良いのかと悩んでしまった。この想いは言葉では表せないのだ。どうしたら?ふと空を見上げれば夕暮れが近い。日が落ちる前に町に辿り着かなくてはならないだろう。カサルアは懐から眼鏡を取り出してかけた。金瞳は目立つから一応変装らしい。光りの加減で違う色に見える。そしてイリスにはベールを被らせた。少しは容姿を隠してくれるだろう。

「話の続きは今夜の宿でしよう。遅くなると泊まる所が探せなくなるからね」

 泊まると聞いたイリスは驚いて涙がピタリと止まった。

「お、お泊まりになるのですか?」

「そうだよ。見物しながら帰ると言っただろう?今日はまだその見物先にも辿り着けていないんだからね」

 イリスはずっと冗談だと思っていた。夜になればさっさと帰るとばかり思っていたのだ。しかしカサルアは騎乗するなり駆け出してしまった。宿泊する場所を求めて向った先は意外と大きな町だった。


「さてと・・・宿屋、宿屋と」

「あ、あの、宿を取るにはお金が要りますけど・・・」

 カサルアは昔からそういう世俗的なことに疎いように見えた。

「イリス、それぐらい分かっているよ。そんなに世間知らずに見えるのかい?これでも各地を渡り歩いて慣れているから大丈夫。寄り道しようと思った時からザーンに用立ててもらって・・・えっと・・・あれ?」

 カサルアは懐をかき回して金袋を探した。

「ああ――っ、眼鏡とか出した時に落とした?かも・・・」

 カサルアにしては珍しい失態にイリスは思わず、くすくすと笑ってしまった。

「貴方でもそんな失敗するのですね」

 カサルアは言葉を返せなかった。イリスの余り見た事のない笑顔に見入っていたからだ。以前彼女の恋人ライの弟が尋ねて来た時、楽しそうに笑う彼女を見た。その時は死んだライと、その男に良く似ていると言うだけで、無条件でその笑顔を独り占めにした弟に酷く嫉妬したものだ。

「此処にいたしましょう」

「えっ?」

 カサルアが、はっと我に返った時はイリスが宿屋の中に入って行っていた。慌てて後を追って行くと彼女は自分の耳飾りを取って宿屋の主人に渡しているところだった。

「これはいい品だねぇ~いいよ。これで夕食と朝食付きで泊めてやってもいいよ」

「お願いします」

 宿屋の女主人は鍵を一つ差し出した。

「部屋は二つでお願いしましたが?」

「二つ?二つならもう片方いるね」


 主人は値踏みをするようにイリスのもう片方の飾りを付けている耳を指差した。宝珠が身に付ける宝石はその珠力を高めるための必需品だから一級品だ。片方でもお釣りがくるどころか何日も豪遊して泊まれるだろう。運悪く業突く張りの主人のようだった。イリスは仕方なくもう片方に手を伸ばしかけたが後から来たカサルアから止められた。そしてイリスの前に出ると業突く張りの女主人に、にっこりと微笑みかけた。それを受けた女主人は皺くちゃの頬がぽっと赤く染まっている。

「部屋は一つでいいけれど、もちろんこの宿で一番いい部屋だろうね?渡したのはそれだけの価値があるものだと思うけれど?違うなら他所をあたるから」

 返してくれと言うように手を出したカサルアに主人は、しっかりと耳飾りを握りしめて、ぷるぷると首を振った。

「そ、そうでした!すみませんね。この鍵は間違えです!こ、これをどうぞ」

 女主人は慌てて違う鍵を差し出したのだ。その前に出された鍵とは大違いの立派なものだ。

「ありがとう。じゃあ、食事もそれなりに宜しく。さあ、イリス行こう」

「は、はい・・・」

 イリスは考える間も無くカサルアに肩を抱かれて部屋へと向ってしまった。

「田舎町にしては結構いい部屋だな。なあ、イリス?」


 イリスは部屋を見渡した。仕切りの戸は無いが部屋が二つ、その一つが寝室になっているようだった。大き目だが寝台は一つ。カサルアが怪我をして一つ屋根の下で何日も共に過ごしたり、彼が毎年同じ時期に落ち込んではイリスの部屋に泊まったりもした・・・今はその時とは状況も違えば気持ちも違う。男と女・・・愛し合っている二人が共に夜を過ごすと言うのがどういうことなのかも分かっている。恋人のいたイリスはもちろん初めてな訳でも無い。しかし突然で気持ちの整理がつかないのだ。

 どうしようかと戸惑っているイリスの耳にカサルアの指が触れ、はっと彼を見た。触れられている耳は飾りを外した方だ。揺れていた飾りが無くなった耳朶が赤く染まってくる。

「すまない。君のものを使わせてしまって・・・帰ったら代わりのものを贈るから」

「い、いいえ。気にされないで下さい。そんなに高価なものでもありませんし・・・あの・・・あっ・・・」

 カサルアは触れていた指で彼女の頬にかかる髪をそっと後に流すと今度は現れた耳朶を甘噛みしたのだ。そしてその耳元で囁いた。

「・・・イリス、愛している。愛しているから私から今晩はどうやって逃れようかとか考えないで・・・お願いだ・・・」


 イリスはどうしてカサルアが自分の思っていることが分かるのだろうかと思った。それは彼女の些細な目の動きや表情を片時も逃さず見ている証拠だ。それほど今のカサルアにとってイリスの心の動きを映す一挙一動が重要なのだろう。しかしその心には小さな染みが拭っても、拭っても消えないものがある。確かに今はカサルアの愛を感じるがその愛を以前注いでいた存在の事を忘れた訳では無い。


(私もライという恋人がいたと言うのに・・・あの方の愛していた人を気にするなんて・・・)


 イリスは自分のことを棚に上げてそう思う自分が嫌だった。自分の恋しかった人はもうこの世にはいない。もう手の届かない人だからこそ新しい恋へと歩む事も出来た。しかしカサルアのその人は今も存在している―――それは龍の誰もが欲して恋焦がれる伝説の宝珠アーシアだ。


(アーシア・・・あの方が封印を解くことが出来なくて思い苦しみ・・・多分ひたすら欲した存在・・・彼女を愛していたはず・・・)


 イリスは毎年同じ時期になると酷く落ち込んでいたカサルアを見ていた。何故なのか聞かなかったし聞けなかった。しかしその原因がアーシアにあったと知ったのは彼女の封印を解き救い出した後だった。その時の喜びに満ちたカサルアの顔は忘れられない。

 イリスは二人の関係を知らなかった。だからどうしても自分に自信が持てないイリスはアーシアを気にしてしまう。


「―――アーシアのことは・・・どう思っているのですか?」


 イリスは胸に秘めていたことを思い切って聞いてみた。今までの話の内容と関係無い唐突な質問にカサルアは彼女が何を言いたいのか一瞬分からなかった。

「アーシア?何故そんなこと・・まさか!あの子との仲を誤解して?」

 親しげに〝あの子〟とカサルアが言うのを聞いただけでイリスの胸はズキリと痛んだ。

 ゼノアの暗黒時代の初頭に存在した大いなる力を秘めた二人の兄妹。妹アーシアは封印され、兄はゼノアによって命を落とした。しかし兄の方は時代を経ても前世の記憶を持ったまま転生したのだ。それは有り得ない話だった。同じく有り得ない力を持っていたゼノアと同格の過ぎる力―――皆は畏怖を抱くだろう。そう思ったカサルアはこれを秘密にしていた。だから当然アーシアとの関係を知っている者は四大龍ぐらいで殆どいない。もちろんイリスも知らない―――


 イリスの様子からすると彼女が消える覚悟をしたのはまさしくアーシアの存在だったとカサルアは今更ながら悟った。自分にしたら只の兄妹愛でしか無いが彼女にしてみればそう誤解しても可笑しくないだろう。

「・・・そうですか。誤解・・・誤解ですね。申し訳ございませんでした・・・」

 イリスは安堵した顔をする訳でもなく機械的に答えた。納得していないのは目に見えて分かる。アーシアとの関係を言えば直ぐに彼女は納得するだろう。しかしそれと同時に冗談めかして言っていた自分が本当に魔物だと証明するものだ。カサルアの心が揺れた。

 ずっと秘密にするつもりは無いにしてももっと先で・・・と思っていた。忍耐強くイリスの心を自分に向けさせるように働きかけてきた時と同じようにもっと時間をかけたかった。もしも・・・と言う気持ちがある。しかし・・・


(・・・結局・・・気弱になっているだけかもしれない・・・彼女を失いたくないと思えば思うだけ弱くなっている・・・魔物でも共に付いて来ると言ったイリスを信じればいい)


 カサルアは全てを打ち明けることを決心した。

「―――イリス。今から話すことを聞いて、もし・・・もしも私から逃げ出したいと思ったのなら正直に言ってくれ・・・」


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