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龍は宝珠に乞い願う

 イリスはただカサルアから遠く離れたかった。誰にも知られず、彼の様子を聞くことさえ出来ない場所へ行きたかった。今までの生活を全て捨て去りたかったのだ。だから全ての繋がりを絶った。それをするには協力者が必要だった。丁度同じく自分と同様に新たなる時代から離れ、隠居生活をするというゼノアの元重臣だったザーンを頼る事にした。人格者である彼とは何度か会って話しをしただけだったが、彼のこれからの生き方に感銘を受け、手伝いたいと思ったのも本当だった。


 穏やかな日々を過ごすある日、表へ出ようとしたイリスは屋敷の中へ急ぎ引き返した。心胸の鼓動が大きくなる。息を潜めて窓から外を窺った。

 外にはアーシアとザーンの息子であるラシードが尋ねて来ていたのだ。ザーンが外で応対していた。屋敷内には入れない様子だった。

 イリスはこの突然の訪問者が気になった。彼らを見るのは当然、あの新世紀の始まりである晴れの式典の日以来だった。驚いたことに二人の様子が親密そうに見えた。特にラシードの表情は見た事もない柔らかなもので有り得ない光景だった。

 その夜、ザーンが昼間訪れた彼らの話題を切り出した。

「イリス、君に言うべきか考えたのだが、君の事を天龍王が探しているらしい」

 何故?とイリスは驚いた。確かに黙って逃げるように出て来たが探される必要は無い筈だ。

「――それで彼女達が?」

「いや、この話は今日も確かに聞いたが、前々から聞いていたことでね。彼らはたまたま報告に来てくれただけで」

「報告?」

「そう、ラシードとアーシアが契約はもちろん婚約をすると」

 イリスは座っていた椅子が倒れるのも構わず、勢い良く立ち上がった。


「そ、そんな馬鹿なこと!カ、カサルア様は?」


 普段大人しく淑やかな彼女らしからぬ様子にザーンは驚いて聞き返した。

「馬鹿なとは?天龍王が何か?」

「カサルア様はアーシアと契約をすると思っていて・・・・」

「大半はそう思っていたようだが何故か息子を選んでくれたようだ。勿体無いことだと思うがね。だが親馬鹿だと思うが自慢の息子だから嬉しいよ」

 イリスは信じられなかった。あのカサルアの手を拒んでラシードの手を取ったなど考えられなかった。もちろんラシードも素晴らしい龍だと思うが、カサルアとは比較にならない。あの式典の信頼しあっていた二人の姿を思い浮かべた。


(彼に望まれてそれを拒むなんて――自分が立つことの出来ない場所に立つアーシアと彼の仲睦ましい姿を見たく無くて、逃げるように此処へ来たけれど・・・でも、それが違ったとしても誰かが其処にまた現れるだけ・・・・)


 何かが変わる訳でも無かった。しかし、カサルアが自分を探しているという。どうしてなのか気になった。だが心に灯された小さな希望を押し込めた。

 それから数日が過ぎた。イリスの所在を聞いたカサルアは急ぎその場所へ向かった。突然の訪問にザーンは驚いたが屋敷内へ快く向かい入れてくれた。

 イリスは自室にいて彼が来たのは知らなかった。

「ザーン、イリスは何処に?」

「王よ。そう慌てずとも」

「今まで散々探し回ったんだ!これが慌てずにいられるものか」

「まあ、分かりますが、しかし王よ、その格好で行かれますか?正式の申し込みをされるのでしょう?」

「服装?服装などどうでもいい」

「それはなりません。わたしも昔、妻に申し込む時は正装したものです。誠意は形からです。これをどうぞ」

 ザーンは近くに用意してあった贈り物らしき箱から衣を出した。それは白銀に近い白地の布に金と銀の刺繍を施し、肩衣は金色(こんじき)の薄絹だった。見事な正装だ。

「この度の色々なご配慮の礼と思って作らせました。妹君から何が喜ばれるか聞きましたので。お気に召して頂けましたら幸いです」

「――さすがに趣味が良い。ラシードも趣味が良いが父親似だったのだな。子は親を見て育つというからな」


 二人はお互いに微笑んだ。カサルアはラシードの本当の父親が誰かを知っているし、ザーンもアーシアが妹だというのも知っている。敵側であったザーンは今では信頼する者の一人だ。

 カサルアはその正装に袖を通しながら逸る心を落ち着かせていった。そして彼女のいる部屋へと向かった。そして扉をそっと開いた。

 イリスは窓から遠くを眺めていた。相変わらず切ない佇まいだ。その彼女が人の気配に気がついてこちらを見た。

 イリスは突然舞い降りた金の龍に驚き、瞳を大きく見開いた。明かりとりの天井の小窓から降り注ぐ陽光を纏った彼は、まさしく世界の王だった。その神々しさに声が出ない。その彼が一歩一歩、自分に向かって歩いて来る。


「イリス、やっと見つけた」


 カサルアはもう目の前だった。逃げたいのに足が動かない。

彼はイリスの前にいきなり跪くと、最礼の礼をとり、彼女の衣の裾に口づけをした。そしてカサルアは跪いたまま、イリスを見上げた。金の瞳が彼女をとらえる。

「私の〈龍力〉のすべてをイリス、君に捧げよう。貴女の〈龍〉と、なることを乞い願い、そして我が妻にと乞い願う」

 今まで数多くの龍達から言われた言葉だった。しかし、本当に欲しいと思った龍からは一度たりとも発せられることが無かった言葉―――龍が宝珠に契約を乞い願う言葉。

 イリスは胸がいっぱいになり光の雫が頬をぬらしていた。だが静かに、いいえと頭を振った。

「イリス!何故?」

 カサルアは立ち上がり、彼女の肩を掴んで揺さぶった。

「私は貴方に相応しくありません。宝珠として力になれませんし・・・・」

「力?理由はそれだけ?力がつりあわないから駄目だと?」

 イリスは頷いた。

 アーシアの言った通りだった。彼女はそれを気にしている。それならば―――

 カサルアは大きく息を吸った。

「イリス、ならば私がこの力を捨てよう」

「ば、馬鹿なことをおっしゃらないで!」

「馬鹿なこと?私は馬鹿なこととは思わない。そんな事で君が手に入るなら安いものさ」

「そ、そんなこと、誰も許さない!」

 カサルアは軽く嗤った。

「力の無い王が許されないと言うなら、優秀な四大龍達の誰かが王になればいい。私は別に構わない―――」

 イリスは恐ろしくなって震えだした。カサルアの揺るがない心を映す瞳が怖かった。震える声で聞き返した。


「何故?どうしてです?」


「何故?今更それを聞くのかイリス?愛している――君を愛している。誰よりも何よりも。この力を捨てただの龍となり、王座を追われようとも構わないほどに――」

 イリスは目眩がしそうだった。カサルアがここまで自分を想ってくれていたことに驚きと戸惑いが押し寄せてきた。自分の為に何もかも捨てると言う彼―――自分も正直な気持ちを伝えなければならない。

「――私はライの事は忘れられません」

 カサルアが苦痛のように瞳を細めた。

「・・・そうだろうね・・・」

「いつも私は彼を想い、懐かしい昔を想い描き、空を見ていました。それがいつの間にか柔らかな綿毛に包まったようなものになって、今では空を見て思い描くのは金の龍――」

「えっ?」

「瞳に浮かぶのは、突然現れて私の時を回し、春を告げる花を持って微笑む金の龍――」

「私?」

 イリスは静かに微笑んで頷いた。

 カサルアの金の瞳が喜びに強い光りを放った。


「でも宝珠の契約はお断りいたします」


「!」

 反論しようとする彼よりも先にイリスが話しだした。

「私はまた同じ迷路に迷い込んでいたようです。大事な人の宝珠になりたいのになれない。それに固執してライとは死別してしまいました。そして又、同じ間違いを犯していました。貴方から離れようとしていました。少し離れたぐらいで心が引き裂かれるように苦しかった。龍だとか宝珠だとかこの想いには関係ありません。私は貴方を愛しています――」

 イリスはカサルアを見つめ微笑みながら、貴石のような涙を流した。彼女の瞳にはもう陽の龍しか映っていない。

 カサルアはイリスを優しく抱き寄せ、涙でぬれる頬に口づけをした。そしてお互い確かめ合うように唇を重ねあった。そして黙って抱き合った。カサルアの規則正しい鼓動がイリスには聞こえる。心が落ち着き、全てが鮮やかな景色へと変わっていくようだった。カサルアも同じだった。色あせていた世界が再び彩り始めたのだ。彼女と共に歩む世界は素晴らしい未来を創造出来るだろう―――




「イリス、本当に私の宝珠になってくれないのか?」

 カサルアは困ったように眉をよせ、少し拗ねた口調で言った。

 こんな感じの彼はイリスかアーシアにしか見せない。

「そんなお顔をしても駄目ですよ。陛下」

「陛下じゃないだろう?イリス、私の名を呼んで・・・」

 カサルアはそう言いながらイリスの唇を指でなぞった。

 そしてそっと彼女の顎に手をかけ顔を近づけ始めた時、咳払いがした。

「兄さま、私が居ること忘れているでしょう?」

 イリスもすっかり忘れていた。

 せっかく気分がのってきたところを邪魔されたカサルアは妹を睨んだ。

「なんだ、アーシアまだいたのか?」

「まあ!まだいたのか?ですって?何よ、その言い方!」

 二人で帰って来たと思ったら、ずっとこの調子なのだからアーシアは流石に呆れてしまった。イリスが突然居なくなったのがカサルアにとってかなり堪えたのだろう。もう二度と失いたく無いと思う気持からか彼女から片時も目を離さないのだ。


 アーシアは大きく溜息をついた。

「イリスさん。私からもお願いします。どうそ、この甘えん坊で困り者の兄の宝珠になってあげて下さいませんか?そうじゃ無いと多分、ずっとこの調子ですよ。誰かにあなたを盗られるんじゃ無いか?ってずっと束縛されますよ。だから無二の誓いをしてあげて下さい。私達宝珠のその誓いはけして違えることが無いのですからね」

「アーシア、良いことを言ってくれるな」

 カサルアは満面の笑みだ。

「そんな契約をしなくても・・・私の気持ちは変わらないのですから・・・」

 イリスは反対に浮かない顔だった。自分のつりあわない力にまだ負い目を感じているのだ。

「もしも・・もしもよ。これから兄につりあう宝珠が出てきて、その宝珠と契約してしまってもイリスさんは良いの?もちろん恋人とかじゃなくて、単なる宝珠と龍の関係としてね。どう思います?」

 それは以前に思っていた事だった。だから自分は身を引いたのだから―――

 しかし、今は宝珠とか関係なく恋人となったのだから、そんな関係の宝珠の存在を考えた事が無かった。


(私以外の宝珠?)


 それは嫌だった。

「嫌でしょう?私も嫌だもの。恋人じゃないのなら、自分の龍に何人宝珠がいても気にならないけれど、恋人だったら絶対に嫌!私から言えば他の宝珠を持つなんて、浮気しているようにしか思えないもの」

 宝珠から見ればそんな感じだろう。

 カサルアは苦笑いをした。

 だがアーシアの説得で、イリスは承知したのだった。


 後に天龍王は生涯妻以外の宝珠を持つことは無かったと云う。天地をも引き裂く龍の心を捉えた宝珠は、一度もその力を使う事は無かったとも云う。龍が欲して止まない力は彼には必要無かったのだ。愛しい宝珠の微笑みだけを欲した龍だった―――


~終~

「陽の龍」如何でしたでしょうか?お兄ちゃんの宝珠はどんな宝珠?と…実は、かなり悩んでました。アーシアとラシードの子供とのドタバタコメディーとか、本当に普通の宝珠とのシンデレラストーリーとか(笑)…でも結局、不倫になりました。不倫?すでに旦那(龍)がいて横恋慕みたいな話にしようという筋書きでした。この続きの短編「金とイリス」があるのでこのまま続けます。

 


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