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カサルアの恋

 あの人がいなくなってどれくらいの時が過ぎたのだろうか?最近のようでいて遠い昔のようにも思える。あの日から私の時は止まっている。悲しみと怒り――もう、そんな言葉で表現出来るものでは無い。契約の宝珠のように、一緒にどこまでも付いて行きたかった。例えそれが死の世界だろうとも・・・・だけどあの人の最後の望みは私が生きる事だった。


 生きる――〝生きる〟とはどういう事なのだろうか?


 朝起きて、夜眠るまで〝生きる〟為に食事をし、仕事をする。そんな毎日―――

 それが彼の望んだ〝生きる〟と言う事では無いと頭では分かっているが、心がついて行かない。 そう繰り返す毎日のあの日、金の龍がまるで空から舞い降りたように現れた。


(空から?あの様子なら湖から現れた――の方が正しいかしら?)


 全身ずぶ濡れだった彼の事を思い出してクスリと笑った。イリスはそんな自分に驚いたように口元に手をやった。


(今、私・・・笑った?)


 単調な日々に突然訪れた彼は、時を忘れ冷たく凍ったイリスの心さえも波立たされる存在だった。体調が最悪なその時でも普通の宝珠なら惹かれずにはいられない龍としての輝き。そして、どんなに傷付いていても全く損なうことの無い気高き魂―――

 ただ、気になったのが憎悪と焦りの混在する思いつめた瞳をして、窓の外を見つめていたのを時々見た。思うように動かない身体が尚更、彼の心を苛んでいたのだろうが、それでも彼の底が見えない深い怒りは、まるで触れれば切れる抜き身の剣のようだった。

 イリスは直感で何か得体の知れない危険を感じた。憎悪とかに対するものでは無く、彼の抑えられた感情にだ。全てを濁流のように巻き込んでしまう強い感情を感じた。だから彼と過ごした日々は意識して自分の感情を殺していた。


―――何も感じない。何も思わない―――


 だけど、金の龍が去って行った後、今まで過ごしていた単調な日々が味気なく物足りなく感じてしまった。自分からは話す事は無かったが、彼は何かと話しかけてきていた。上品な物言いだが力強い声で鮮烈な印象だった。大勢の人の上に立つ独特な雰囲気を感じた。つい、喪った彼と比較をしてしまったが、まるで正反対だった。それなのに何故か気になっていたのは自分でも認めるところだ。

 でも、二人の道は別れてしまったのだからこれ以上、どうこうなるものでも無かった。

 そんなある日、旧知のレンと偶然出会ってしまった。そして彼らが今、しようとしている事を知ったのだ。その可能性さえ考えられないと思っていた。それ程の存在だった。


―――魔龍王ゼノア打倒―――


 そんな事が本当に実現するのか?本当に出来るのなら此処で死んだように時を重ねるだけよりずっといいと思った。〝生きる〟意味を見つけたような気がした。

 イリスはそう決心するとレンに共に戦いたいと懇願したのだった。

 それから、彼らの指導者の話を聞いた。〝陽の龍〟と呼ばれるその人は、あの時の傷付いた名前も知らない〝金の龍〟の気がした。


(もしかして・・・・)


 予感がした―――そして、分かれた道は再び繋がってしまった。

 レンが開いたその扉の向こうには、眩しいまでの輝きに満ちた〝金の龍〟がいたのだ。陽のように数多を照らす〝陽の龍〟その人だった。

 その人は驚いたようにその印象的な金の瞳を見開いて私の名を呼んだ。

「イリス―――」

「カサルア?彼女をご存知だったのですか?」

「ああ――あの時の恩人だ」

「え?まさかあの時ですか?あれが彼女だったのですか・・・」

 レンは驚いた。カサルアが深手を負ったまま突然姿を消してしまって、連絡もとれず安否を心配し、探し回って諦めかけた時、彼が戻って来たのだった。そして助けてもらった経緯は聞いていたが、それが偶然にも彼女だとは思ってもいなかったのだ。

 レンは何と言う廻り合わせかと歓喜しイリスを見、カサルアに視線を戻したところで、かける言葉を呑み込んでしまった。

 カサルアが眉間に皺を寄せて瞳を細めていたのだ。その表情は拒絶だった。


「イリス。君を仲間には迎えたく無い」

「カサルア!」

 レンは非難するように彼の名を呼び、再びイリスを見た。

 彼女はカサルアの拒絶の言葉に対して無表情だった。久しぶりに会った彼女は昔とすっかり変わっていた。しかし、仲間になりたいと言ったその時は違っていたのに・・・・・

「どうしてでしょうか?」

 イリスは静かに言った。

「・・・・・イリス。君は分かっていない。私達は自分の存在を賭けて戦っているんだ。生きるか死ぬか――でも、決して自分を粗末にしない。生きて、生きて・・・生き抜く為に戦っている。だが、君は違うだろう?何時も何時でも死んでも構わないと思っているだろう?そんな君とは一緒に戦えない。迷惑だ」

 〝死んでもいい〟と思っている者は直ぐにその命を手放してしまう。彼女もその一人に違い無い。そういう者は何時も死に場所を探しているものだ。


「死に場所を探しているのではありません。〝生きる〟為に戦いたいのです」


 カサルアはその静かに言うイリスの声に、はっ、とした。無表情の中にも意志のはっきりした声。

「生きる意義を見つけたのです――」

 その硝子のようだった瞳が固い意志に輝いていた。此処に集う者達と同じく、成し遂げたいと思う強い意志とその裏にある遺恨―――

 遺恨?あの、いつも何処かを見つめていたイリスの姿を思い出した。何かを探しているようでいて、遠い昔を思い出しているような・・・・


(そうさせている原因は彼女の過去に関係あるだろうと思ってはいるが・・・・)


 そして―――彼女は言った。

「ゼノアを斃して、平和な世界を作りたいのです。それが私の今、生きる支えとなりました。お願いします。私も一緒に戦わせて下さい」

 解った、としか言えなかった。例え、それが何かの復讐であろうとも確かに、今の彼女は生きる意欲があった。人形のような彼女では無かったからだ。

 いずれにしても運命は再び二人を引き合わせたのだ。これからどうなっていくのか?カサルアは複雑な気持ちを抱かずにはいられなかった。唯一自分の心を乱した彼女という存在は危険としか思えなかった。わずかな油断も、あのゼノアには通用しないのだ。恋などにうつつを抜かす愚か者になどになれない。


(恋?私が?―――そうだな。まさしくこの気持ちは恋だろう・・・まいったな)


 カサルアは皆が去った部屋で一人、天井を見上げ大きな溜息をついた。笑いも込み上げてきた。 偉そうに〝全てが終わるその日までこの想いは閉じ込めよう―――〟など思っても出来なかったのだ。イリスと別れても、彼女への想いを閉じ込めておくどころか、悪化の一途をたどっていた。夜になれば彼女が時折歌っていた歌が、遠くから聞こえてくるようで眠れない日もあり、さっきは川のせせらぎで白昼夢も見ていたのだから―――

 かなり自分でも限界を感じていた。

「まったく・・・自分らしく無い。我慢するなど止めだ!止め!」

 入室して来たレンが、カサルアの〝止めだ!〟と言う声に驚いた。

「どうしましたか?大きな声を出されて?」

 カサルアは不敵に微笑んだ。

「ああ、何でも無い。難攻不落な砦に挑戦する意気込みさ」

「難攻不落?今度の標的が決まったのですか?」

「・・・・まあ、そんなものだよ」

「?」

「そう、私はどれかなんて選ばない。ましてどれか一つだけ確実になど考え無い。どれ一つもこの手からこぼさず手に入れてみせる」

 傲慢ともとれるカサルアの言葉は、レンにとって眩しく心が突き動かされるものだった。

 カサルアは物腰が品良く、整った秀麗な面差しからは想像出来ないものがある。他を圧する峻烈な気性は、自ら彼の前に膝を屈するに相応しい者と感じるのだ。

「貴方なら出来るでしょうね」

 レンはそう言うと金の瞳を輝かせるカサルアに向かって微笑んだのだった。




 そして新たな仲間になった彼女は、どんどん仲間も増え組織的にも大きくなる中、本当に良く働いた。元々、地の龍の力の源である大地の力が使えないだけで、その他は全て均等にこなすのだから、どの龍もがイリスと組みたがった。

 相変わらず表情に乏しい彼女だったが、本当にたまにだが微笑んだりもするようになった。カサルアは良い傾向だと思っている。

 目下、彼の楽しみは〝イリスをいかに喜ばせるか〟だった。先日も遠出をした際に、ちょっと先の・・・馬鹿らしいほど先だったが・・・寄り道をして花の枝を手折ってきた。彼女の故郷に春一番で咲く花だ。まだ春と言っても雪も残るこの地に、その花を付けた木は容易に見つからなかった。しかし、一つ、二つ花を咲かせた一枝をようやく探し出して持ち帰ったのだった。

「イリス」

 自分の名を呼ぶ声にイリスは立ち止まった。周りには誰もいない。


 困った―――


 振り向きたく無かった。感じるのは陽に似た輝きのあの人だからだ。皆は羨ましいと言う。しかし何かと構われるので自分は迷惑としか思えなかった。いつも囁くあの言葉―――皆に聞かれたら何と思われるか。自分の事では無い。彼の名誉に関わってしまうのだ。


(私みたいな者など・・・)


「イリス?」

 振り向かない彼女にカサルアは再度、優しく名を呼びながら近づいた。

「はい、土産だよ」

「!」

 目の前に後ろから差し出されたのは、枝の先に小さな白い花をつける懐かしい故郷の、春を知らせる花木だった。何年、この花を見て無かっただろうか?ゼノアに焼き尽くされた大地は、木々さえも深く傷付け、木は花を咲かせる事を忘れていた。自分が微笑む事を忘れたように―――

 イリスは震える手でその枝を受け取り、振り向いた。

 寒い冬でも大地を優しく照らす陽の光りのような人。金色の髪に金の瞳の『陽の龍』誰もが憧れ、彼に跪く―――

 心の奥がじんと熱くなって、涙があふれてきた。

「あ、ありがとうございます」

「ん――泣かせるつもりじゃなかったんだけど・・・」

 この花を見つけるのはこの時期は大変だったに違い無い。まして、木々は本当に咲くのを忘れていたようなものだ。木々でさえもこの龍に平伏したのだろうか?

「――本当にありがとうございます。久しぶりです。この花を見たのは・・・」

 イリスはこぼれる涙を指で拭いながら微笑んだ。その微笑はカサルアが最も見たかったものだった。彼の端整な顔にも笑みが広がった。

「それは良かった。これならきっと喜んで貰えると思ったから」

「大変だったでしょう?」

 イリスはカサルアの裂けた肩衣の先を見た。この木の背は低いのだが群生していてお互いに枝が張り、それが邪魔でなかなかその場に踏み込めないのだ。無理にでも入り込めば低い枝に己が傷付く。

「まあ、少々・・・枝を傷付ける訳にはいかないからね。愛する君の喜ぶ姿を見たかったから何でもない」

「・・・・・・・・」

 イリスは軽口を言う彼から視線を外し、うつむいた。


(ほら、また・・・)


 カサルアは会えば何時も、好きだの愛しているだのと言う。困ったものだった。挨拶代わりのような口癖で、本気とは思わないが仮に本気だったとしても〝何故自分なのか?〟と思ってしまう。彼に相応しい人は他に幾らでもいる。

「イリス?どうした?」

 イリスは、はっ、として顔を上げ、もう一度礼を言うと用があるからと、足早にその場から逃げ出した。

 カサルアは軽く溜息をついた。

「逃げられたか――しかし、喜んでもらったみたいだから今日はこれで良しとするか。さてと、戻るか。かなり寄り道をしたからイザヤに絞られるだろうな。やれやれだ」

 〝難攻不落な砦〟はそう易々と陥落してくれそうにも無いが、カサルアはこのささやかな攻撃を続けるのに余念は無かったのだった。


 その攻撃にイリスは段々と表情を見せるようになっていた。元々彼女は、とっつき難い訳でも無く、優しく丁寧な性格は何かと頼られた。とりわけ龍と違って仲間意識の薄い個人主義的な宝珠達は彼女を中心にまとまりを作っていた。

 皆に平等で、細やかな心配りを忘れないイリスは本当に素晴らしかった。

 そう――誰にでも平等。

(少し不満かな?嫌、私は大いに不満だ!)

 何故ならイリスは自分にだけ、不平等だからだ。最近では意識的に避けられている感じがするのだ。カサルアは思い出していた。そうなった原因と思うその日の事を―――


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