3.傾国のスパイ令嬢〝キャンディ〟
「あなたも悪役令嬢なの?」
ピンク髪の少女は、オフィーリアの声を聞いてぱっと顔を上げた。
「あ、あなたは?」
「そういう誘い受けは良くないわ。質問に答えてちょうだい。そんなんだから悪役令嬢にされちゃうのよ」
ピンクは急に真顔になると、先程の可愛い泣き声とは想像もつかないハスキー・ボイスでこう答えた。
「そう、私は〝悪役令嬢〟キャンディ。スパイのくせに王子を誘惑した傾国の美女として断罪され、人間界を追放されたわ!」
「うわー!言ってみてぇですわ~そんな台詞!」
自身を傾国の美女と言って憚らないキャンディ。己の美しさにどこまでも自覚的で、とても刺激的な存在だ。オフィーリアは似たような境遇の仲間が増えて嬉しくなった。
「スパイだなんて、凄いわ!どうしたらスパイになれるの?」
「私の場合はスカウト。バイリンガルやトリリンガルだと、結構声がかかるんだ。私は貿易商の末娘だったから、色んな場所に移り住んだおかげで語学は堪能だった。そこに目を付けられて、お金で懐柔されたわけ」
オフィーリアはわくわくしながらキャンディを小屋に招き入れた。スパイと話すのなんか初めてだ。
「声も変えられるの?」
「ええ、変装のために何通りも変えられる……その男好みにね」
「わぁ~言ってみてぇですわ~」
「で、お腹が空いたから来てみたわけよ。道中、魔界熊を一匹倒したから疲れちゃった」
「言ってみてぇですわ!で、ちなみにどうやって倒したのかしら」
「この麻酔針と吹き矢で」
「めちゃくちゃスパイ!」
キャンディは白湯を分けてもらい、ホットコニャック気分で飲み始めた。
「紫さんは、お名前は何ていうの?」
「オフィーリアです!」
「育ちの良さそうな顔してるじゃない、どうしてあなたみたいなご令嬢が魔界なんかに追放されたのさ」
「私は第二王子から毒婦の罪を着せられて追放され、ここに流れ着きましたの。王子の婚約が決まったので、ていよく厄介払いにされて……無実の罪を負わされたのです」
「あら、あんたも王子を誘惑してたわけ?気が合うわね」
「王子だけ……というわけでもないんですけれども」
「えっ、やるじゃない。仕事でもないのに男を何人もたぶらかすなんて、尊敬しちゃう~」
「男性をたぶらかすのが唯一の趣味です☆」
「それこそ〝言ってみてぇですわ~〟案件だわ!」
キャンディはケラケラと笑う。ピンクの髪がふわふわと揺れ、ピンクの睫毛がせわしく動く。同性でもちょっと好きになってしまいそうな可愛らしさだ。オフィーリアはてへへと照れ笑いした。
「そうだわ、お腹空いてらっしゃるんでしょう?鳩を血抜きしておりますの、一緒にお食事どうかしら」
キャンディは驚きに目を瞬かせる。
「へ?鳩を血抜き?」
「はい!これから熱湯をかけて羽をむしります!」
「やだ!オフィーリアったらサバイバルスキルが超鬼なんだけど!」
オフィーリアは軒先にぶら下げてある鳩を持って来ると、得意げに微笑んだ。
「これです」
「えーっ、本当にいいの?鳩のお礼に、私も何かしなきゃ……」
キャンディが周囲をきょろきょろし始めたので、オフィーリアは期待の眼差しで問う。
「キャンディは何が得意なの?」
「男をたぶらかすことと、吹き矢」
「あんまり魔界では役に立ちそうにないスキルですわね!」
オフィーリアの言い草にキャンディは吹き出した。
「まあ、基本は体当たりで何でもやらせてもらうわよ。不意打ちと情報収集と記憶力なら、誰にも負けない」
オフィーリアはかまどで鳩を焼き始めた。香ばしい香りが小屋に充満する。
こんがり焼けたそれを、二人は半分こした。
久方ぶりの肉だ。その食感に、オフィーリアとキャンディは泣き笑いした。
「魔界で食べるお肉って、こんなに美味しいんですのね〜」
「人間界の鳩より美味いかもよ?」
「しばらくは鳩を狙って暮らしましょう」
「魔界から鳩いなくなっちゃう」
「卵を育てましょうか」
「……そこまでするなら魔界の鶏探したらいいんじゃない?」
「わっ。キャンディったら、頭いいんですのね~」
「魔界に鶏なんかいるのかねぇ?鳩や熊がいたくらいだから、いる……か?」
夜が更けて来た。
先に小屋を発見したオフィーリアにベッドの優先権が与えられる。オフィーリアはカーテンのない窓から魔界の毒々しい夜空を見上げた。
悲し気に瞬く星。群れを成して飛ぶ吸血コウモリ。時折幽霊や火の玉が窓の外をかすめるように飛んで行く。ガーゴイルらしき生物が火を吹いている。夜こそ魔界に魔物が溢れ、光り輝く時なのだ。しかし。
(鶏は……空を飛んでいませんわね。野生の鶏っていったいどこにいるのかしら?次は是非卵が食べたいですわ……)
跋扈する魔物の影を気にすることなく、本当にどうでもいいことを考えながらオフィーリアは夢の中に落ちて行くのだった。