ランスロットには父が二人
「・・・ランスロット?」
名を呼ばれ、はっと顔を上げる。
目の前には、気遣わしげにこちらを見やる義父の姿があった。
「・・・義父上」
「悪い、驚かせたかな。一応、ノックはしたんだが」
「いえ、すみません。考え事をしていて」
義父は、執務机の上に積みあがった書類へと視線を移す。
ランスロットが執務室にこもって一時間、けれど数枚しか減らなかった書類の山。義父がそれを知る筈もないのだけれど、ランスロットは勝手に恥ずかしさを覚えた。
「私が手伝えることがあればと思って寄ってみたのだが」
そう言って柔らかく笑う義父は、相変わらずランスロットの心の平穏の源だ。
現王国騎士団長であり、ランスロットが生まれた時からずっと父親のように愛情を注いでくれた義父のキンバリーは、ランスロットの実父の弟、つまり元は叔父にあたる。
貴族にはありがちな政略結婚で結ばれたランスロットの実の両親は、結婚当初から不仲だった。
結婚前から愛人を囲っていた父は、新妻を放置して愛人と暮らし続けた。結果、ランスロットは父の顔を絵姿でしか見たことがないまま育った。
公爵邸エントランスの真正面、二階へと通ずる大きな階段の奥に飾られた歴代当主の肖像画を見て「この人が父親か」と、ランスロットは何の感情も湧かないまま漠然と思ったものだ。
結局、最後まで父は母と暮らすこともないまま、ランスロットが12の時に離婚に至る。その話をしに本邸を訪れた時が、ランスロットが実際に父を見た最初で最後の時となった。
それでは、ランスロットが不幸な子供時代を送ったかと言うとそうでもない。むしろ愛情をたっぷりと注がれ、大事に、大切に育ててもらったと思う。
母ラシェルは、妻子を顧みない夫の不在を嘆くより、公爵家を守り、唯一の後継者であるランスロットを愛し育てることに重きを置いた。それはランスロットにとって救いとなった。
もし、ラシェルが母であるより先に女であることを選んでいたら、ランスロットの境遇は悲惨なものとなっただろう。
だがラシェルは、まずランスロットを愛し、育て、慈しむことを最優先した。そのために自身の恥ともいえる境遇を婚家に打ち明けて協力を仰ぎ、自ら信頼のおける乳母と教師を雇い、自身も積極的に子育てと教育に携わった。
だから、ランスロットはいつも人に囲まれていた。祖父が、祖母が、乳母が、乳兄弟が、教師が、そして叔父のキンバリーが。月に一度は、母の実家からも親族が遊びに来てくれた。
結局、最後まで父とは一言も言葉を交わす事なく終わった。
そんな父子の関係ではあったけれど、それを補ってあまりあると言いきれるほど、愛情深い人たちに囲まれて育ったとランスロットは思っている。
そんな母はランスロットにとって一番に大切な人で、一番に幸せになって欲しい人でもあって。
だが長じるにつれ、息子の成長のみに思いを集中させて来た母に、一人の女性としての幸せがあれば良いとランスロットは願う様になる。
そして、叶う事ならば、その幸せは叔父によってもたらされると良いと。
ずっと独身を貫き、祖父母と共に母ラシェルの子育てを助けてくれた叔父は、ランスロットの心の父でもあった。
悪戯をした時はキンバリーに叱られた。
キンバリーの肩車に喜び、その腕にぶら下がって遊び、剣の師もまたキンバリーだった。
そして、いつしかランスロットは気づいたのだ。叔父の静かで穏やかな眼差しの先には、いつも母がいる事に。
決して態度にあからさまには出さなかった、だから母ラシェルは気づいていない。気づく筈もない。
自惚れでなく、ラシェルの視線は、その注意の全ては、息子であるランスロットに向けられていたのだから。
両親の離婚を経て、やがてキンバリーは大いなる決意を持ってラシェルに求婚する。実は、告白するよう発破をかけたのは、他でもないランスロットだった。
まぁ、結果は玉砕で、まだ暫く叔父の片想いは続いたのだけれど。
それでも諦めず、キンバリーはラシェルを想い続けた。
そのお陰で今、ランスロットはキンバリーを義父と呼ぶ事が出来ている。
幼い頃に向けてくれたものと何も変わらない慈愛に満ちた眼差しで、キンバリーは今もランスロットに話しかける。
「夕食の時も何か考えこんでいる様に見えた。もし、悩みや問題があるのなら相談に乗るが」
「・・・」
「ああ、でも、話したくないならいいんだ。無理に聞こうとは思ってない」
気遣う様に両手を上げた義父の姿に、ランスロットは苦笑した。
「・・・いえ。義父上には、聞いて頂きたいです」
義父はいつもこうなのだ。
優しく降り注ぐ小雨のように、誰も、何も傷める事なく、ただただ愛情を注いでくれる。
「義父上にも話しておいた方がいいと思います・・・もしかしたら、騎士団長としての経験に基づく意見が必要になるかもしれないので」
その言葉に、キンバリーは何かを感じ取ったのか、表情が騎士のそれになる。
それにしても、夕食の時にそんなに分かりやすく態度に出ていたとは気づかなかった。
ランスロットは非常に恥ずかしい気持ちになるが、それはそれとして、今日の話は確かに義父には伝えておいた方がいいだろう。
もとより、不可解な点が多すぎる。それに関しては、公爵家の諜報部門を使って調べさせるつもりでいた。
そうしたらきっと、いや十中八九、何か出てくる筈だ。
小汚い、狡賢い、何か策略の様なものが、あの家から。
ヴィオレッタをあの家に留めて離さない鎖のようなものが。
きっと。