ただの同情
レオパーファ侯爵家付きの護衛の男の名は、ジャックスと言った。
家門に属する者が現れたのだ。本来ならば託すのが道理。
だが、ランスロットには腕に抱いた少女を手放す事が何故か躊躇われ、問うような視線をジャックスに向けた。
するとジャックスは恐縮した様に頭を下げる。
「お嬢さまのお帰りが遅いので心配になり、抜け出して様子を見に来たのです。
ですが、どうやらお嬢さまは具合がお悪い様です。申し訳ありませんが、一旦詰所にてお嬢さまを休ませてあげては下さいませんか?」
「・・・」
「俺にはお嬢さまを連れて帰れない事情があります。それに、どっちみち戻っても、あの家では医者に診せてはもらえないでしょう」
屋敷付きの護衛がその家の娘を連れて帰れないとはどういう事か。しかも医者にも診せないとは。
少女が貧相な服装を着て痩せ細った体をしている事からも彼女が置かれた状況は十分に察せるが、そこは男を責める所ではないだろう。彼は雇われの身に過ぎない。
「・・・心配で様子を見に来ましたが、俺も抜け出したのがバレるとクビになってしまうので・・・」
そう言うとジャックスは再度、詰所まで連れて行って、少しでも休ませてやってくれと頭を下げた。
どうやら悠長に話す時間はないらしい。ランスロットと先輩騎士は、取り敢えず少女を詰所に運び、そこで当番医に診せる事にした。そして、移動の傍ら護衛の男から可能な限りの事情を聞くことにした。
ランスロット自身、生まれ育った家庭の事情は少々複雑である。だが多かれ少なかれ貴族の家とはそういうものだ。
だからこそ、誰も他家の事情に首を突っ込む事はしない。自分の家に影響が出ない限りは、黙認するのが普通なのだ。
加えて、ランスロットは自分に言い寄るイライザ・レオパーファを意図的に避けていた。
だから、余計に彼らについての噂が耳に入って来なかったのかもしれない。
公爵家出身の母と侯爵家当主である父という正当な血筋のもとに生まれながらも、使用人同然の扱いを受ける痩せっぽちの令嬢の事を。
その後、護衛から連絡を入れさせるという方法が無理だと理解したランスロットたちは、騎士団から屋敷へ連絡を入れた。
保護したヴィオレッタの意識が回復したのは、詰所の医療室で処置を受けてから半刻ほど後のことだった。
みすぼらしい紺のお仕着せを着た少女が軽食を口にする所作はとても洗練されていて、服装にそぐわない気品に溢れている。
けれど、お腹の音を鳴らして顔を赤らめた時の仕草は年齢相応にあどけなく、可愛らしかった。
上っ面の情報ではあったが、大まかな事情は護衛の男から聞く事が出来た。ジャックスはヴィオレッタの味方の様だが、表立って擁護すると解雇されるらしい。既に同様の理由で、この三年間で五人の使用人がクビになったという。
ジャックスの話によると、やはりヴィオレッタを虐げているのは後妻のイゼベルとその連れ子のイライザ。
実父の侯爵は全く関知しないらしい。
ヴィオレッタへの虐待を推奨もしなければ止めもしない。かと言ってヴィオレッタを無視している訳でもない。
一番理解に苦しむ対応だとジャックスは本音を漏らしていた。
だが、少し調べれば分かるようなそんな表面的な情報について話すと、ジャックスは口を噤んだ。
更に突っ込んで聞こうとしたランスロットに対し、彼は静かにこう返したのだ。
「好奇心からのご質問は、ここまでとさせて下さい」と。
「お嬢さまを休ませて下さる事には感謝します。ですが、これ以上の詮索は、却ってお嬢さまの苦境を招きますので」
何度も頭を下げつつ、それでもその様に言い放ったジャックスは、心底ヴィオレッタを心配している様だ。そんな彼でも陰から手を貸すしか出来ないという事は。
「・・・」
ランスロットは、頭の中でいくつかの仮説を立ててみる。
本音を言えば、もう少し情報が欲しかった。目覚めた少女からも、詳しく話を聞きたかったのだ、もし聞けるものならば。
けれど相手が騎士とはいえ、今日出会ったばかりの男に事情を簡単に明かすほど、ヴィオレッタは思慮が浅くない。
結果、当たり障りのない会話に終始し、彼女は屋敷に戻った。
屋敷の門近くまで馬で送り、その後ろ姿を見送る。
・・・ヴィオレッタ、か。
ランスロットは、心の中で少女の名前を呟いた。
痩せっぽちの、けれど気品に溢れた少女。
意識が戻る前、誰かを探すように彼女の手が宙を彷徨っていた。瞑っていた目からは涙が溢れていて。
未婚の令嬢に軽々しく触れてはいけないとは思ったが、安心させてあげたくて、ランスロットはついその手を取って握りしめてしまった。
それに応えるかの様に、きゅ、と微かに彼女の手に力がこもり、口元が一瞬だけ綻んで。
その年齢相応の緩んだ口元があどけなくて、何故だかランスロットは悲しくなったのだ。
深い事情はまだ分からない。
ただそれでも、彼女を気の毒だと思った。
なんとか彼女を笑顔にしてはあげられまいか、と。
そう思ったのだ。
彼女に抱いたその感情がただの同情ではない事を、この時のランスロットはまだ知らない。