運命の出会い
よほど喉が乾いていたのだろう、ヴィオレッタは一杯目の水をこくこくと一気に飲み干した。
すかさず二杯目を注げば、それもまたあっという間になくなる。
三杯目にして、ようやく飲む速度がゆっくりになった。
ランスロットはにこやかに給仕役をこなしながらも、胸中では沸々と湧き上がる怒りを抑えるのに必死だった。
ヴィオレッタと名乗ったこの少女の指は、傷だらけだった。
細い腕、折れてしまいそうなほど華奢な身体。
艶を失くした金色の髪。
使用人の、しかも使い古して色褪せたお仕着せの姿。
顔立ちは整っていて気品がある。それに所作も美しい。だが身なりはどこをどう取っても使用人にしか見えなかった。
彼女をヴィオレッタ嬢と呼びはしたが、それは後から聞いて知ったから。
ランスロットもまた、最初は違う判断を下していたのだ。即ち、彼女は使用人の娘だと。
王国騎士団に所属するランスロット・バームガウラスは、王都の巡回警備を担当している。
先輩騎士と組になって街中を巡回し、事件があればそれに対応し、治安維持に貢献するのが主な役目だ。
巡回中のランスロットが最初にヴィオレッタを見かけたのは、実は彼女が倒れるよりも三刻ほど前の昼過ぎだった。
とあるレストランから出て来た所で、貴族令嬢に大きな声で命令されているのを遠目に見たのだ。
「いい? 私たちが服を見ている間に買っておくのよ?」
高飛車でぞんざいな言葉使い。どう見ても、貴族令嬢が使用人に向かって話しているとしか思えなくて。
「戻って来るまでに買い終わってなかったら置いていくからね。その時は、歩いて帰って来るのよ?」
不機嫌を撒き散らしながら話すその令嬢の顔には、確かに見覚えがあった。
ランスロットもまた貴族だ。しかも高位貴族の公爵という立場。
18で独身、しかも婚約者がいないとあって、夜会などの社交の場で令嬢たちに囲まれるのは常のことだ。
そして、ランスロットに近づこうとする令嬢たちの一人に、遠くで喚いているあの令嬢、イライザがいた。
確か、レオパーファ侯爵家の令嬢だったか。
高位貴族の令嬢とは思えないマナーの悪さと教養の無さに、思わず家名を確認してしまった事を覚えている。
だから、巡回中にたまたま目にしたその令嬢の使用人への態度の悪さを見ても全くの予想通りと言うか、驚きもしなかったのだが。
往来で騒ぎ立てているだけ、それも家の者たちの間だけのことだ。見物客は他にもいた様だが、騎士が仲裁に入るのはお門違いの案件だ。
何より、自分が間に入れば別な意味で厄介な事態になるのは間違いなくて。
それで結局、そのまま別の区画に向かう事にした。
やがて交代の時間になり、組んだ先輩と共に詰所まで戻る途中で、ランスロットは再び遭遇する。
顔色が悪く、ふらつきながら足を進める少女に。
ーーー 戻って来るまでに買い終わってなかったら置いていくからね。その時は、歩いて帰って来るのよ?
言葉通りに置いていかれたのだ、と事情を直ぐに理解する。
気の毒に思いつつも、巡回警護の職務内容からは出来る事はない。それでも心配で目を外せずにいれば ーーー
「・・・っ」
ぐらり、と彼女の体が傾くのが見えて。
咄嗟に地面を蹴り、その身体を抱きかかえた。
「おい、ランス? 急に走り出してどうした?」
辛うじて少女が石畳に頭を打ち付ける前に体を受け止める事が出来、安堵する。背後からは先輩の焦った声。
取り敢えず木陰か、それとも詰所の医務室に運ぶべきかと逡巡した時だ。
「・・・っ、お嬢さまっ!」
焦った様な男の声が響いた。
振り返れば、あのお昼過ぎの遣り取りの際、イライザの後ろに立っていた護衛の一人がすぐ近くにまで来ていた。
少女を見下ろし、顔を青褪めさせている。
だがランスロットの脳裏にまず浮かんだのは、小さな、けれど当然の疑問。
この痩せた、みすぼらしい格好の少女が。
馬車で置き去りにされて、歩いて帰らざるを得ない様な少女が。
お嬢さまだと?
それはつまり、レオパーファ侯爵家の、あの令嬢の妹だという事か?
「・・・レオパーファ家は、ご令嬢を特殊なやり方でお育てに?」
正確な家名を当てられるとは思わなかったのだろう、護衛の男は青褪めた顔色を更に青くする。
「・・・え、あの」
後退さる護衛の男の背後に、先輩騎士が回り込んだ。
「事情を伺っても?」
知らず、少女を抱く腕に力がこもる。
何故かは分からない、けれどこの今にも消えてしまいそうな痩せ細った少女を守りたいと、ランスロットはそう思った。
手を差し伸べ、叶う事なら助けたいと。
貴女を囲むすべての悪意から。
ーーー これが、ランスロットとヴィオレッタの出会いである。
けれど、ヴィオレッタは運命の相手に出会えた事をまだ知らない。