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何も知らない



「お父さま、お帰りなさい」



八歳のヴィオレッタが、仕事から戻った父を出迎えようと走り寄る。

スタッドは両手を広げて娘を受け止め、軽々と抱き上げた。



「ただいま、ヴィオ。いい子にしてたかい?」


「もちろんよ、私はいつもいい子だもの」


「へえ?」



わざとらしく疑ってみせる父に、ヴィオレッタはむうっと頬を膨らませた。



「もう、お父さまの意地悪」



文句を言っても、スタッドは楽しそうに笑うだけだ。



「お帰りなさいませ、あなた」


「ただいま、リザ」



妻エリザベスの頬にキスを落とす父を睨みながら、ヴィオレッタは負けじと口を開く。



「お母さまからも言ってくださいませ。お父さまったら、私がいい子にしてたと言っても信じてくれないの」


「まぁ、あなた。揶揄いすぎはいけませんわ。ヴィオはいつも通り、とってもいい子でしたよ」


「ほら、お聞きになったでしょ! お父さま」



えへんと胸を張る娘がおかしくて、スタッドとエリザベスは顔を見て微笑みあう。



「そうかそうか。リザが言うんなら間違いないな。よし分かった。ヴィオはいい子だ」



ーーー ヴィオはいい子だ



ーーー ヴィオは・・・









ーーー 随分と久しぶりに昔の夢を見た。



時刻はとうに夕刻を過ぎている。

本当なら、まだ本邸にいる時間。

だが今日は夜に来客があるという事で、ヴィオレッタはいつもよりも早く自室に戻るように言われていた。


副メイド長だった(・・・)人に。



「・・・」



ヴィオレッタはぼんやりと天井を見上げる。


どこか頭が混乱しているのは明け方に見た夢のせいなのか、それともここひと月ほどの間に起きた目まぐるしい変化のせいか。



目を閉じれば、今朝方見た懐かしい光景が頭に浮かぶ。


仲睦まじいと信じていた両親。

本当はそうではなかったと知った時の驚愕。


母が亡くなって僅か数日で、愛人だという義母と父の子だという義姉とが屋敷に現れた、あの時と同じ程の驚愕、いやそれ以上を今感じている気がする。



自分は父のことを何も知らない。


イゼベルたちが現れた時にヴィオレッタはそう思った。けれど、その困惑は今いよいよ深まっている。



ひと月ほど前のあの夜会で、一体何があったと言うのだろう。


その翌日から、レオパーファ家の空気はそれまでとガラリと変わった。


まずイライザ(義姉)がいきなり自室に閉じ込められた。買い物や外食などの外出も一切禁止、部屋から一歩も出すなという命令が執事に下る。

挙句に急に調った義姉の縁談の相手は、裕福ではあるが平民でかなりの年上、しかも決まってひと月もしない内に嫁ぐと言う。



それに関して、イゼベル(義母)が全くの沈黙を守ったのも不気味だった。

それまでのイライザ最優先の思考はどこに行ったのか、そう不思議になるほど、ただ黙って娘の軟禁を受け入れていた。

そんなイゼベルも、それから数日後には侯爵夫人として家宰を取り仕切る権限を取り上げられ、メイド長が代わりに権限を執る様になる。


イゼベルの姿を屋敷内で見かけなくなるのにも、然程の時間は置かれなかった。


イゼベルもまたイライザの様に自室に軟禁となったのだろうか。ヴィオレッタが関与できる事でもないが、それでも気になってしまうのは、イライザの様に確実に三階の自室に居ると知れなかったから。


軟禁された事で頻繁に聞こえてくる様になったイライザの怒鳴り声は、安否確認とでも言おうか、ある意味その所在を明らかにするものとなった。


だが、イゼベルは違う。

彼女もまた突然にヴィオレッタの行動圏内から消えた事に変わりないが、イライザの様にどこかでその存在を感じる事がないのだ。



そして、メイド長たちの態度や待遇の変化。


家宰の権限を与えられて暫くは、副メイド長や他のベテラン勢と分担する事もあったのだが、ある時を境にそれは副メイド長ひとりのものとなる。それと同時に、ヴィオレッタへの当たりがまた強くなった。


どうやらメイド長と副メイド長の立場が入れ替わったとか、そんな単純な話でもないらしい。



ヴィオレッタは溜息を吐く。



「・・・こうしてやきもきしていても仕方ないのよね。今の私に出来る事など何もないのに・・・」



自分に権限があった時にヴィオレッタの負担を多少軽くしてくれたメイド長は、今は一メイドに落とされている。


正確なところは分からないが、メイドたちの噂話をまとめてみると、失格(・・)となったイゼベルに代わる存在として、メイド長よりも若い副メイド長が認められた様だ。



「家の中の事を取り仕切るだけなら、メイド長が一番でしょうけど、旦那さまのお相手となると、やっぱり若い方が・・・ねぇ?」



などと笑いながら交わされていた会話にゾッとしたのは、きっと血のつながりのあるヴィオレッタだけなのだろう。



使用人たちからすれば、所詮は他人事。

何も知らず夫の愛を信じていた一人目の妻エリザベスに、愛人から後妻になったイゼベル、そこに三人目に昇格した副メイド長が加わるとしても、それはひたすら面白いだけ。



そんな事を知った時に見た昔の夢は。


優しく母に微笑みかけ、自分の頭を撫でてくれた父の夢は。



ヴィオレッタの心を、深く、深く抉る。




ーーー ヴィオはいい子だ




「・・・嘘つき・・・っ」



両手で目元を覆い、小さく震える声が零れ落ちる。



自分が部屋に早く戻された理由、レオパーファ邸への夜の来訪客が待ち焦がれるランスロットである事を、この時のヴィオレッタはまだ知らない。





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