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その騎士の名は

「じゃあ仕事に行ってくるよ」



そう言ったのは、昔の、怪物だと知る前の父。



優しい微笑みで手を振るのは、亡くなる前の母エリザベスだ。



そして、ヴィオレッタは母の隣で同じ様に笑顔で父を見送っている。



エリザベスの後ろに控えているのは執事のテーヴ。

ヴィオレッタの後ろには、かつての乳母で世話係として側に付いてくれていたヨランダと、その娘でヴィオレッタの乳姉妹でもあるジョアンがいて。


庭では、花の手入れをしていたダビドが手を振っていた。




ああ、これは夢だ。



ヴィオレッタは瞬時に悟った。



だって皆、もうヴィオレッタの側にいる筈のない人たちばかりだ。



お母さまも、ヨランダも、ジョアンも、ダビドももういない。


テーヴの笑顔だって、もうずっと見ていない。


そうだ、ロージーはどうなっただろう。


あの頃は、何も知らなくて。


ただ、ただ幸せだった。



父が、仕事と称して家を空けてあの人(イゼベル)のもとに行っていた事も、彼女との間に娘までもうけていた事も。


ヴィオレッタをあの家に縛りつけておくために、全てを奪われてしまう事も。


何も知らなかったのだ。




大好きなヨランダ。



仲良しだったジョアン。



可愛かった小さなロージー。



そして何も知らないまま、そう、父の裏切りを知らないまま、亡くなったお母さま。




「・・・会い、た・・・」



自分の声なのに、どこか遠くで響いている様なそんな感覚を覚え、心細さに身震いした。




「・・・大丈夫」



ヴィオレッタの呟きに応える様に、中低音の、けれど柔らかな声が耳に響く。


それと同時に、左手が温もりに包まれた。



温かい。


そして、何故か懐かしくもある温もり。


その温かさに、泣きたくなる。



大丈夫って言った? 大丈夫って、そう言ったの?



そんな筈がない。大丈夫な筈がないの。



だって、私の側にはもう誰もいない(・・・・・)



皆、いなくなってしまったのだから。









「・・・」



気がつけば、見慣れない天井がまず視界に入った。



・・・え?



ぼんやりとした意識のまま、ヴィオレッタは何気なく周囲を見回す。



「ここは・・・」


「気がつきましたか?」


「・・・っ」


「失礼。驚かせるつもりは」



ぐるりと視線を巡らせたその最後に、ヴィオレッタは人影に気づいて息を呑んだ。



悲鳴を上げずに済んだのは、その人が王国騎士団の制服を着ていたから。


その人の背後には、もう一人別の騎士の姿も見えた。


だが、そちらの騎士はヴィオレッタの意識が戻った事を確認すると、報告の為だろうか、すぐに部屋を出ていった。


必然的に、ヴィオレッタは目の前にいる騎士と二人きりになる。

だが幸いな事に扉は開けたままになっていた。これは恐らく、目の前にいる騎士も貴族の立場にいるからだろう。



ヴィオレッタはほっと安堵の息を吐いた。


使用人同然の扱いをされ、今年行う筈だったデビュタントも無視されたとはいえ、貴族令嬢としての慎みを忘れてはいない。



何がどうして今自分がベッドに横になっているのか分からない。目の前の騎士が誰なのかすらも。



けれど、こうやって紳士的な気遣いを示してくれているという事は、この青年が貴族として人として信頼出来る人物だという証拠だろう。



「ご令嬢が道で倒れた所を、街の巡回を担当していた僕たちが偶然通りかかりまして」



その騎士は、丁寧にも立ち上がると軽く会釈をしてから説明を始めた。


眠っている間に、騎士団所属の医師が簡単な診察までしてくれたらしい。



その後、急な怪我人が出たとかで、この場を離れた医師の代わりに騎士の彼らが側に付いていたそうだ。



栄養失調と軽い脱水症状が見られるとの説明をすると、その騎士は覆いのかかったトレイをどこからか持ってきた。



「体力がかなり落ちておられるご様子。家に戻られる前にまた倒れる様な事があっては大変です。

勝手ながら簡単につまめるものを用意しましたので、軽く召し上がってはいかがでしょうか」



覆いを外せば、水差しとコップ、それにサンドイッチなどの軽食が乗せられていた。



「いえ、あの、そんな。こんな事までして頂く訳には・・・」



騎士団の詰所まで運んで貰い、診察までしてくれたと聞き、恐縮したヴィオレッタは遠慮しようとしたのだが。



きゅるるるるるる・・・・




慌てて、ヴィオレッタはお腹を押さえる。



「・・・っ」



既に午後の4時近く。


空腹を超えたと言ってもいいほど空っぽの胃袋が、可愛らしい音で主張した。



いっそ知らない振りをしたい、けれどそんな事で誤魔化せる筈もない。



「・・・失礼、致しました。あの、今のは」


「ふふ、お可愛いらしい音ですね。僕のお腹が出す雷の様な音とは大違いです」



騎士の青年は、そう言うとスッとトレイを起き上がったヴィオレッタの前に差し出した。



「どうぞ遠慮なさらず。この水差しに入っているのは果汁入りの水です。今お注ぎしますね」


「いえ、あの」


「水分補給は絶対にさせる様にと医師からキツく言われています。ですので、ご令嬢に飲んで頂かないと僕が怒られてしまうのですよ」



僕を助けると思って飲んで下さい、そう言って柔らかく目を細めたその騎士の名は、ランスロットと言った。




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