聖女遭遇 前編
真夏。
まるで灼熱の砂漠を行くかのような暑さの中、ガタゴトと一台の馬車が街道を進んでいる。
馬車と言っても、四角い個室を引いた上等なものではなく、荷車に布製の簡単な覆いがある、いわゆる幌馬車だ。
荷台の前半分には、野菜や果物が乗せられている他、瓶に入った漬物や保存食なんかも載せられている。
この事から、馬車の持ち主が行商か卸売りの仕事をしている事が窺えた。
後ろ半分には、旅人と思しき二人が、額や首筋から汗を流しながら座っていた。
手綱を握って御者台に座るのは、頭髪と同じ茶色い髭を口元に蓄えた五十代ほどの男性。
荷台に座るのは、腰まである漆黒の長髪を後頭部で一つに結んだ、二十代前後の美しい青年と、それより少し年下に見える、稲穂の様な金髪の青年。
金色の青年の髪はくせっ毛なのか、所々ピンピンと跳ねている。
意思の強そうな深紅の眼は、今は力なく馬車の床をジッと見つめていた。
対して、サラサラストレートな黒髪の青年は、紫電の眼を虚ろに天井に向け身動き一つしていない。
「……暑い……」
「夏……だからな……」
ボソッと黒髪の青年が呟けば、金髪の青年が億劫そうに返す。
どちらも、辺りを漂う湿気を多分に含んだような思い口調だ。
「……暑い……」
「猛暑……だからな……」
道に落ちていた石を踏んだのか、馬車がガッタンッと一度大きく揺れた。
軽く浮いて落ちた身体が荷台にぶつかるが、もはや呻くだけの力もないらしく、二人とも死んだように視線を動かさない。
「……暑い……」
「熱波……来ているらしいからな……」
「……暑い……」
「もう言うな……」
「……暑い。暑い。暑い暑い暑い!暑い!!」
「言うなって言ってるだろう!余計暑くなる!!」
「なら涼しいって言ってやろうか!?」
「そういう意味じゃない!!暑いのは充分分かってるからもう黙れ!!」
「なんでお前に命令されなきゃならないんだ!!」
この暑さのせいで、頭に血が昇りやすくなっているのか、バッと顔を上げてかなりの剣幕で口喧嘩を始める二人。
そんな二人に抗議する様に、荷車を引く馬が一度だけ嘶いた。
御者台に乗っていた男性が、迷惑そうに振り返る。
「旅人さん達やめて下さい。馬が驚いてます」
「あ……すいません。リードさん」
「はぁ~……。あっつい……」
二人がこの馬車に乗せてもらったのは少し前に遡る。
炎天下の道をダラダラと歩き、そろそろどちらが先に熱中症で倒れるか、という時に遭遇した。
御者台に乗る男、リードに事情を説明すると、護衛をしてくれるなら次の町まで運んでやるとの事で、二人……いや黒い方の旅人、イヴルがその話に飛びついた形だ。
その後、金髪の旅人、ルークがリードに詳しい話を聞くと、どうやら最近この街道で野盗や追い剥ぎの被害が頻発しているらしく、いくら仕事の為とは言え、それなりに不安を抱いていたのだと言われた。
その話を聞いて護衛を快諾したルークは、イヴルと共に馬車に乗り込み、今に至るという訳である。
今は昼の少し前。
順調に行けば、日が落ちきる前には町に到着出来る予定らしい。
「あ~~、クーラーの効いた涼しい部屋で布団にくるまって寝たい~」
「クーラー?」
イヴルのだらけきったと言うか怠けきった台詞に、言葉の意味が理解出来なかったルークが怪訝そうに返す。
が、イヴルはそれに手を振るだけで、説明をする気配は無い。
流せ、又は放っておけ、という事のようだ。
ムッとした表情のルークに、リードは視線を前に向けたまま、ふと訊ねる。
内心、このまま放っておいて、また喧嘩なんてされたらたまらない、との打算があったのは明白だ。
「そう言えば、お二人は旅をしているんですよね?どれくらいの期間続けているんですか?」
「俺は大体一年ですね」
まず初めに答えたのはイヴル。
「僕はひゃ……僕も一年ぐらいでしょうか」
百年、と言いかけて慌てて訂正するルーク。
実際百年と言った所で、冗談としか思われないのだから、そんなに気を遣う必要も無いのだが、なんとなく気が引けてしまったのだろう。
「へぇ。今までどんな所へ?」
前を向いている為、ルークの様子に気付かないリードは次の質問をする。
「俺は主に聖教国を巡ってましたね。色々と興味深かったですよ」
「僕は王国、聖教国、帝国と行きましたが、遺跡を中心に見て回っていたので、町や都市にはほぼ立ち寄らなかったですね」
ルークのその答えに、ん?と首を傾げたのはイヴルだ。
「遺跡?なんでそんな所に?」
「ちょっと調べたい事があるんだ」
「変な事考えてないよな?」
「安心しろ、健全な目的だ」
「信じらんねぇ」
「信じてもらおうとも思っていない」
またもや二人の間に剣呑な雰囲気が漂い始めると、リードが上擦った声でルークに訊ねる。
「え、えーと、ルークさんは考古学者か何かなので?」
「あ、いえ、そういう訳では無いんですが……」
「あれ、そうなんですか?遺跡を調べてるって言うからてっきり……。と言うかお二人はずっと一緒に旅をしているのでは」
『違います』
異口同音。
リードが言い終わる前に、二人で同時に否定する。
不本意だとばかりに、思わず二人して顔を顰めてしまう。
「な、なんか聞いちゃいけない事だったみたいで……。すいません……」
「いえ」
「お気になさらず」
申し訳なさそうに謝るリードに、二人して気にしないよう伝えると、それ以上話題を広げるのを忌避したのか、リードからの質問は止んでしまった。
微妙に気まずい空気の中、馬車は進んで行く。
しばらく進むと、進行方向に小さめの湖が見えてきた為、リードが昼休憩を提案してくると、二人してそれを了承した。
湖に到着すると、リードが手綱を引き馬を停止させる。
まずリードが降り、次にイヴルとルークが荷台から降りる。
最後に、リードが馬から荷車を外して湖に連れて行き、水分を取らせた所で、本格的な休憩に入った。
昼食は荷車に積んでいた保存食の一部。
良いんですか?と訊ねたルークに、リードは
「はい!きっちり代金は頂きますから!」
と良い笑顔で言われた。
無償だと思っていたら、実は有償だった時の衝撃は万国共通だろう。
商人の逞しさに、ルークのみならずイヴルも閉口する。
そして、然るべき料金を支払い、もぐもぐと干し肉を食む二人の前で、馬が元気に生えている無料の草を咀嚼していた。
それから、湖の水を軽く濾過して飲み終えると、あっという間に昼休憩は終了だ。
相変わらず、空には雲一つ無く、雨の兆しは見られない。
まあ降ったら降ったで、足場が悪くなるだけでなく湿度が増す分、不快指数もうなぎ上りな為、逆に降らない方が良いかもだが、この刺すような日光は頂けない。
移動中は幌に遮られている為、直で浴びる事は無いが、それでも目を灼くような光が飛び込んでくるのだ。
遠くが陽炎で揺らめいている。
せめて曇れ、と不満を抱かずにはいられないイヴルだった。
再び出発した馬車はしかし、すぐに停車する羽目になる。
理由は簡単。
行く先で野盗に襲われている人を発見したからだ。
言い争う声が、イヴル達の所まで届いてくる。
このまま進めば、この馬車と鉢合わせるのは必至だろう。
護衛として、どちらか一人が馬車に残るべきだと悩んだイヴルだったが、
「あ、おい!」
指示を出す前に、ルークが荷台から飛び出して行ってしまった。
「ったく。猪かアイツ。リードさんはここを動かないで下さい」
「は、はい!よろしくお願いします!」
リードの返事を聞いたイヴルは、馬車の近くに伏兵がいない事を確認すると、ルークの後を追って走り出した。
(数は一、二……六人か……)
先行するルークは、腰の剣を抜いて、襲われている人と野盗の間に滑り込む。
驚き、目を見開く野盗の一人の腕を切り裂く。
バッと鮮血が噴き出て、野盗の男の野太い悲鳴が響き渡った。
「な、だ、誰だテメェ!!」
突然現れ、仲間を斬りつけたルークに、周りにいた野盗の一人が叫ぶ。
「通りすがりの者です」
ルークは冷静に返答すると、素早く野盗の一団を見回す。
野盗達は各々剣や槍、斧を持ち、一人だけ後方にいた若い男だけが弓を構えていた。
その若い野盗が、ルークに向かって矢を番え、放つ。
ビッと布を裂いたような音を鳴らして迫る矢を、ルークは冷静に剣で叩き斬る。
二つになった矢が、地面に転がった。
瞠目する若い野盗に構わず、周りにいた野盗達がルークに向かって殺到する。
「構わねぇ!邪魔するなら殺しちまえ!!」
「応っ!!」
皆、似たような出で立ち故、誰が野盗のリーダーなのか判別出来ない。
とりあえず向かって来るものを撫で斬りにしていると、唐突に予想もしていなかった所から非難の声が上がった。
「止めて下さい!!どうしてこんな酷い事をするんですか!?」
声はルークの後ろから放たれたもので、つまりは襲われていた張本人のものだった。
年齢は十代後半ぐらい。
服装は、紺を基調に、真っ白い前垂れのあるシスター風の服で、スカート丈は脛まであるが、動きやすいようにか、ふんわりとしていた。
それに、茶色いコルセットの様なベルトを胸下から腰で締め、足元は焦げ茶色のローヒールブーツを履いている。
さらに、その服の上から、簡素な瑠璃色のローブを羽織っていた。
頭部にヴェール等は被っていないが、代わりに、二つの月をモチーフにした、銀色のロザリオを首から下げてある。
緩いウェーブのかかった蒼氷色の長髪と、銀色の糸が散っているような、不思議な浅葱色の瞳が特徴的な女性だ。
想像だにしていなかった事に、思わず振り返り困惑するしかないルーク。
そんな絶好の隙を、野盗が見逃すはずも無く、これ幸いとばかりにルークへ斧を叩き込もうと振り上げる。
それに気付いたルークの額に、暑さの為では無い嫌な汗が流れ落ちた瞬間、突然野盗の分厚い胸板から、鉄の塊が飛び出した。
それは鋭く、鈍色に輝く剣の切っ先。
野盗の手から、斧が滑り落ちる。
そして、剣がズルッと引き抜かれると、野盗の顔は驚愕に歪んだまま、身体は力なく崩れ落ちた。
野盗はビクビクと数回痙攣した後、動かなくなる。
胸から噴き出る血が、どんどんと地面に血だまりを作っていく。
死体の向こう側で、つまらなさげにルークを見つめるのはイヴルだ。
ルークの背後から、甲高い悲鳴が上がった。
「こんな雑魚相手に何やってるんだ?」
「イ、ヴル……」
「ひ、酷い……。どうしてこんな事をするんですか!?この方達に、何か恨みでもあるのですか!?」
「はあ?なん、おっと」
イヴルが、女性の責めるような口調にポカンとしていると、背後から容赦なく射られた。
それを紙一重で躱し、振り向きざまに持っていた剣を投げる。
狙い違わず、剣はガツッと鈍い音を立てて、矢を放った若い野盗の額に命中した。
頭部から伸びる剣は、まるで生け花の様で、何かの冗談にしか見えない。
土埃を立てて仰向けに倒れた野盗の額から血が溢れ、乾いた土に吸い込まれていく。
「テ、テメェ!!」
「許さねぇ!!」
「ぶっ殺してやる!!」
口々に罵り、イヴルに殺意を向ける野盗達。
イヴルはその殺気を、不敵な笑み一つで受けると、素手のまま野盗達に向かう。
野盗の残りは四人。
イヴルは一番近く、かつ目の前にいた野盗の背後に跳躍して降り立ち、その頭部に裏拳をお見舞いすると、パンの様に頭が千切れ飛ぶ。
次に、向かってきた野盗の胴体目掛けて回し蹴りを放つ。
野盗は面白い様に吹き飛び、遠くにあった岩に激突する。
背骨がボキリと折れ、口から血と共に内臓まで飛び出させて動かなくなった。
残り二人。
イヴルに向けて剣を突き出してきた野盗は、その腕をもぎ取られ、自分の腕の付いた剣で首を裂かれて死んだ。
噴き出した返り血で、イヴルが赤く染まっていく。
残ったのは一人。
ルークによって、一番最初に手傷を負わされた野盗のみ。
文字通り、瞬く間に仲間を殺された野盗は、血に塗れて真っ赤になったイヴルを、怯えた目で見た後、無様に叫びながら逃げて行った。
這う這うの体で逃げていく野盗の後ろ姿を、退屈そうに眺めたイヴルは、地面に落ちていた斧を拾い上げ、その背中目掛けてぶん投げようとした所で、
「やめろっ!!」
と言うルークの声に制止された。
イヴルは、斧を軽く振りかぶった状態で止まると、冷めた目でルークを見た後、無造作にポイッと斧を放り捨てる。
ゴトッと鳴る重い音を聞きながら、イヴルは顔に着いた血を腕で軽く拭い、野盗の頭部に突き刺さったままの自分の剣を回収する。
野盗の額から、さらにゴポリと血が溢れた。
剣を鞘に納めようとして、その剣身に映った自分の姿を見て、イヴルは軽く舌打ちをする。
「チッ……。このまま戻るのは少しまずいか……。浄化」
イヴルが魔法を唱えると、一瞬で身体に付着していた野盗達の血が消えていく。
瞬きよりも短い時間でいつもの状態に戻ると、今度こそ剣を鞘に納めてルークに向き直った。
「ったく。結局俺が処理する羽目になったじゃねぇか。……お前、何やってんだ?」
イヴルが見たのは、震える女性を庇うルークの姿。
「……いくらなんでも、殺しすぎだ」
「おいおい。相手は野盗だぞ?向こうだって殺される覚悟ぐらいしてるだろ」
「だが、だからと言って」
「自業自得だろ。なんで俺が屑共に手心加えてやらないといけない。こんな奴ら、むしろ死んだ方が世のため人の為だと思うぞ」
「そんな言い方ないだろう!?」
「……面倒くさい。お前がさっさとしないから俺が代わりに殺っただけの話……ん?」
イヴルの言葉が最後、疑問符になったのは、ルークの後ろで震えていた女性が、突然立ち上がったからだ。
そして何を思ったのか、イヴルにつかつかと近づく。
その様子を、二人にて呆然と見ていると、女性は目の前にいるイヴルの頬に向かって、思い切り平手打ちした。
パァンッ!と、辺りにこだまするほどの音が響く。
女性の目には、怒りと共に涙が浮かんでいた。
「貴方……貴方は、人の命をなんだと思っているのですっ!!」
そして、そう叫んだ。
スッと、イヴルの目が鋭くなる。
肝を潰したルークが、咄嗟にイヴルを止めようとしたが、一歩遅かった。
イヴルは、女性に向かって、同じように頬を叩き返した。
全力では無い為、首がもげる事は無かったが、それでも勢いよく地面を転がる女性。
口の端から血を流し、キッと睨み返した女性に、イヴルは冷徹に言う。
「そういう偉そうな事は、自分の身ぐらい守れるようになってからほざくんだな」
その後、ルークがなんとか二人を宥め、三人揃って馬車まで戻ろうとすると、この方達をこのままにはしておけません!と女性が言うので、ルークはしょうがなく魔法を使って穴を掘り、簡単に埋葬する。
最後に、女性が弔いの祈りを捧げてから、ようやく馬車に向かうのだった。
この間、目も合わそうとしない二人に、ルークは疲れたため息を吐いた。
心痛、ここに極まれり。
三人が馬車に戻ると、荷台に隠れていたリードが、顔をひょっこり出して出迎えた。
「あ、おかえりなさい。ずいぶん時間がかかりましたが、何を……って、そちらの方は?」
「遅くなってしまい申し訳ありません。野盗の方は問題無いので、このまま進んでもらって大丈夫です。こちらは野盗に襲われていた方で、ええっと……」
そこでようやく、お互い自己紹介をしていない事に気付いたのか、女性は失礼しました、と言ってから改めて名乗った。
「初めまして。私はノエル・ノヴァーラと申します。三女神様に仕える神官をしています。この度は助けて頂き、本当にありがとうございました」
深々と腰を折って礼を言うノエル。
神官とはつまり、神に仕える奉職者である。
この世界では、司教、司祭、修道士等の聖職者が神と人を繋ぐ橋渡し的な存在なのに対し、神官とは女性だけがなれる、神にのみ仕える者で、世俗とは関係をほぼ絶っている。
生涯純潔である事が神官の絶対条件。との話はよく伝わっているが、それ以外は正直言って、何をしているのかよく分からない人達。
と言うのが一般市民の印象だ。
全て一緒くたに神官と呼ばれているが、実は階級が存在しており、下から神官見習い、準神官、神官、大神官、神官長と、それら全てを取りまとめる総神官長の六段階に分類される。
本来であれば、人は全て平等と教えから、階級付けは好ましくないのだが、緊急時の指揮系統の混乱を避ける為の結果だ。
聖教国最北にある、霊峰マグニフィカ。
その奥地に、ほぼ全ての神官が暮らすマグニフィカ大神院がある。
総じて神官達の実際の生活は、修道女のそれとあまり変わらない。
日に四度祈りを捧げ、清貧を旨とし、神に対して従順である事。
違う所を挙げるとすれば、神官に上がった者は生涯に一度だけ全ての国を巡って、それぞれの女神を祀る大神殿に赴き、祈りを捧げる巡礼の旅がある事ぐらいだろうか。
この時、直接全ての神から言葉を賜る、神託を得ると〝聖女″認定されるのも特徴的だ。
ちなみにこれは余談だが、神官とは強制されてなるものでも、必ず一生を捧げなければならないものでもないので、巡礼の旅の途中に伴侶を見つけ、結ばれて退職する者もそれなりにいたりする。
まあ、当の三女神からして勇者と結ばれたのだから、恋愛事に関して寛容なのは当然と言えば当然の話。
ノエルの丁寧なあいさつに、思わずリードも腰を低くして返す。
「これはご丁寧に。私はこの馬車の持ち主で、行商人をしているリードです」
「ルークです。遺跡を巡りながら旅をしています。――で……」
チラッと隣にいるイヴルを見るルーク。
リード、ルークが自己紹介したのに、自分だけしない訳にもいかず、イヴルは諦めて盛大なため息を吐いた。
「イヴル。旅人」
そう名乗り終えたイヴルは、もう用は無いとばかりにさっさと馬車に乗り込み、ゴロリと横になって寝始める。
この茹だるような暑さの中、本当に寝れるのかは甚だ疑問だが。
「……何かあったんですか?」
こそっとルークに訊ねるリード。
その問いに、ルークは苦笑いと共に答えた。
「まあ、色々と」
何かよくわからないけど、これ以上突っ込んで聞くとやぶ蛇の可能性がある。
触らぬ神に祟りなし。
そんな事を考えたリードは、「はあ」と何とも気のない返事をした後、ルークとノエルに荷台へ乗るよう促した。
そして自分も御者台に戻り、三人とも荷台にいるのを確認してから、再度馬車を出発させたのだった。
-------------------
「なるほど。それではノエルさんは、巡礼の旅の途中なんですね」
ゴトゴトと揺れる馬車の中、ルークとノエルは軽い身の上話に花を咲かせていた。
イヴルは言わずもがな。
荷台で横になり、二人に向かって背を向けたままだ。
規則正しく身体が上下しているのを見るに、きちんと睡眠中らしい。
リードは馬の手綱を握る事に専念している。
「はい。ですから、女性用の修道服を加工して旅装にしたのが、この服なんですよ。ローブも、防水加工はもちろんポケットもいっぱいあるので、見た目に反して収納力ばっちりです」
ノエルはそう言って、両腕をパッと広げた。
見れば、ローブの内側に六つほどポケットがあった。
それほど大きいものでは無い為、財布や小さい薬瓶を入れるのが精々だろう。
ざっと見た限り、短剣等の武器の類いは見当たらない。
その事を些か疑問に思ったルークは、遠回しに訊ねてみる。
「そうだったんですね。ですが、女性の一人旅は危なくありませんか?」
「それはもちろん。ですが、その苦難も女神さまの思し召しだと思えば、辛くはありません。それに誠心誠意、心を込めてお話すれば、皆さん分かって下さいます」
「話……ですか?戦うのではなく?」
「はい。暴力では何の解決にもなりません。博愛を説き、人の道を説き、女神様の教えを説く。それだけで、道を踏み外した方々も、最後には分かって下さいます」
「……そうですか……」
目を閉じ、祈るように手を組んで話すノエルに、に、ルークは何とも言えない表情で返す。
別に人に絶望している訳では無いし、期待していない訳でもないが、そこはそれ。
そうは言っても分かり合えない人は確実にいる、と長い生の中で経験し、現実を見てきたルークにとっては、微妙に共感し難い話なのだ。
なのに、ノエルはその方法で危機を乗り切ってきたと言う。
であるならば、襲ってきた連中が聞き分けの良い部類だったのか、もしくは根っからの悪人では無かったのか、あるいは呆れて放置されたか……。
どれにしても、ノエルは物凄く運に恵まれていたのだろう。
でなければ、ここまで無事ではいられまい。
「……他の巡礼者の方々も、皆一人旅なんですか?」
だから、この問いを聞かずにはおれなかった。
「あ、いえ。大抵の方は護衛の騎士様をお付けになります。旅費以外にも、その際の費用は大神院や神殿から出ますし。私のように一人で旅をする方は少ないですね」
「では、ノエルさんは何故?」
「私は……」
少し悩むノエル。
「……単純に、自分一人の力で旅をしてみたかったから……でしょうか。もちろんそれだけではありませんが、大きな理由の一つにはなっています」
「……左様ですか」
「今回はこの暑さに参ってしまいまして、あの野盗さん達と話し合うことが出来なかったのは心苦しいです。もしもお話が出来ていれば、きっとあのような結末には……」
「そう……でしょうか?」
思わずルークの口をついて出たのは、否定の言葉だった。
そんな台詞が出てしまった事に、ルークは自分で自分に驚いてしまう。
ノエルも、まさか否定されるとは思っていなかったらしく、目を丸くしている。
「あ、すいません。別にノエルさんの主義主張を全否定する訳ではないのですが。ただ、いくら話しても理解してもらえない人はいると思っただけで……」
「そんな事はありません」
即答で断言するノエルの言葉は硬く、またその目には強い意志が宿っていた。
「私達に言葉があるのは、互いの考えや想いを話し、理解し合う為です。もしも理解し合えないと言うなら、それは話す事を諦めてしまったからです。相手が納得して受け入れてくれるまで、伝えるという事を根気強く続けるべきです」
「その考え自体は否定しません。むしろ尊敬に値します。ですが、理想論だとも思います。本当に話し合いだけで解決するのなら、この世から争いは当に無くなっているべきだし、千年前の煌魔大戦だって起こらなかったでしょう?」
「はい。でも、だからこそ私達は対話する事を諦めてはいけないのです。千年前の大戦は……本当に悲しい事だと思います。人を、世界を救った勇者様は素晴らしく、尊敬しますが、魔族、ひいてはその頂点である魔王との対話を諦めてしまった点については、残念だと思っています。きっと諦めずに話をしていれば……」
「魔王も理解してくれた、と?」
「私はそう思います」
迷いなく言い切るノエルを、ルークは苦い顔で見た後、ふと寝転がったままのイヴルを見る。
魔王であるイヴルと、勇者であるルークは、大戦中それはよく話した。
それは主に戦闘中が大半だったが、その時以外にも何度か機会はあった。
だが、どうあっても勇者と魔王の主張は交わらず、どこまで行っても平行線のままだと痛感した出来事だ。
互いに殺し殺され、引き下がれない所にまで来た事もあっただろうが、それを抜きにしても、魔王は確固とした意志、価値観を持っていた為でもある。
どうしても受け入れられない事があった。
許せない事があった。赦せない事をされた。
だからこそ、あの大戦があった。
それはどちらが悪いとか正しいとかではなく、折れる折れないと言う話でもなく、ただ、どうしようもなく生き方が違ったからだ。
人が虫の生き方を理解できないように、空を往く鳥が地を往く人を理解できないように。
そもそもの根本が違うから。
それを寂しいと思えど、自分の選択に後悔したことは無い。
でも、大戦が終わり、平和になった今、魔王の事を理解したいとも思う。
あの時分からなかった事も、今なら何か分かるかも知れない。
そう思うから。
ルークはフッと目を閉じる。
今考えた事を飲み込むように、沈めるように。
勇者が魔王に歩み寄るなど、きっと許されない、と。
目を開けたルークは、目の前に座るノエルを穏やかに見る。
「……そうですか。きっと、貴女みたいな人がいれば、千年前の大戦も違う形で結末を迎えたのかもしれませんね」
「はい。私は、諦めませんから」
フッと笑い言い切るノエルの目は、やはり強い信念に溢れていた。
と、突然ガバッとイヴルが起き上がった。
あまりにも急だった事で、ルークもノエルも軽く驚く。
「っ!?どうした?」
「……雨が来る」
「え?でも、空は晴れていますよ?」
ノエルがそう言った瞬間、土の匂いのする冷たい風がビュウッと吹き付けた。
次いで、真っ黒い雲が風に流されて、急速に近づいてくる。
「スコールだ。出来れば今すぐにでも遮蔽物のある所に移動した方がいいが……無さそうだな。リードさん、一度馬車を停めて早く中へ。雨具程度では凌げませんから」
「あ、はい!」
言われた通り馬を路肩に停め、リードが幌内に入った瞬間、バケツをひっくり返したような大粒の雨が降ってきた。
一寸先も見えないほどの豪雨。
バチバチと、到底雨音とは思えない痛そうな音が響く。
あっという間にずぶ濡れになる馬が可哀想ではあるが、どうする事も出来ない。
さらに強風が吹き荒れているが、風向きの関係上、幌内にはあまり吹き込んでこないのが救いか。
幌を構成する布は、防水性の高い薬品に浸けて作られてある為、雨漏りの心配は無い。
が、ドドドドドと、突き破りそうな勢いの雨と、剥ぎ取られそうなほどの強風はまた別だ。
リードは、それらを一身に受ける幌を心配そうに眺めた後、イヴルに礼を言った。
「ひえぇ……。こりゃ凄い。ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ。長くても十五分程度なので、それまでの我慢ですね」
「よく分かったな」
感心して言うルークに、イヴルは軽く胸を張る。
「ま、経験豊富なので。って逆になんでお前は分からないんだよ。旅して長いんだろ?」
「ウルズから、天候は考えるな、無心で受け入れろと言われている」
「何素直に従ってんだよ。考えなくても感じて察せよ」
イヴルが呆れ果てていると、今度はノエルが会話に参加してくる。
雨音が凄いので、それなりに大声だ。
「あの、そのウルズさんって方は……」
「あぁ、ルークの嫁の一人」
なんの事は無いと、あっさりバラすイヴル。
「え、えぇ!?」
「け、結婚してらっしゃったんですか!?」
ノエルだけでなくリードも、驚愕して仰け反る。
「そんなに驚く事ですか?」
「す、すいません。旅をしているから、てっきり独身かと……」
目をウロウロさせて言い訳をするリード。
それに続いて、今度はノエルも謝罪を口にした。
「すいません。私もそう思ってました……。あれ、でもさっき嫁の一人って言ってたような……」
「それは」
「あと二人いるんだよ。ヴェルザンディとスクルドって言ってな」
「おいっ!!」
またしても、あっさり暴露するイヴルに、ルークが非難めいた口調で制止するが、時すでに遅し。
「え、ええぇぇっ!?」
「三人も!?」
衝撃の内容に、白目をむいて気絶しそうなノエルと、とりあえず突っ込みを入れるリード。
ルークは、降りしきる雨と同じような重いため息を吐き、イヴルはそれをニヤニヤしながら見ていた。
遠くに陽の光が見え、もうすぐスコールが落ち着くだろうと目安を立てた頃、ようやく精神を立て直したリードとノエルが、交互にルークへ質問を繰り出す。
「え、えっと、とりあえず、ルークさんは既婚で、奥さんが三人いるんですね?」
「まあ一応」
「旅をしているという事は、半ば別居みたいなものですよね。長いんですか?」
「そうですね」
「お子さんは?」
「……全員成人して独立しています」
と言うか、子供はとっくに天寿を全うして亡くなってます。とは言えないルーク。
イヴルは口を挟むこと無く、楽しそうに遠くの空を眺めている。
「え、ルークさん、失礼ですが、おいくつですか?」
「せ……い、いくつだったかな?」
反射的に答えかけたが、さすがに千年生きてます。とは言えない為、ルークは引き攣った笑顔を浮かべて言葉を濁す。
「なんで疑問形なんですか?しかし、お子さんが成人してるとなると、一体いくつの時の子供で?」
「ま、まあ若い頃……と……」
「人は見かけによりませんね……」
「奥さん達は、ルークさんの旅の事を受け入れてるんですか?」
「快く……とはいきませんでしたが、最終的は納得してくれましたよ」
「出来た奥様達ですね。でも、一夫多妻が認められているという事は、ルークさんは王国のご出身なんですか?」
「ええ。生まれは現王国の片田舎です」
ノエルの質問に、ルークは頷いて答える。
この世界において、現在一夫多妻が民衆にまで認められているのは、人間側では王国のみである。
聖教国は、統治者である教皇も含めて一夫一妻制。
海の向こうにある帝国では、皇帝以外は一夫一妻制だが、同性同士の結婚も認められていて、かなり自由というか寛容な国だ。
王国のみ、互いの同意があれば貧民に至るまで一夫多妻が認められている、稀有な国家と言えた。
とは言え、認められているだけで、大半の民は一夫一妻が暗黙の了解となっている。
実際、多妻であるが故の刃傷沙汰も珍しくないぐらい起こっていたりするので、余計な火種は作らないのが賢明という結論だ。
ちなみに、元服の歳は聖教国、王国が十五歳。帝国が十七歳となっている。
その為、それに比例して結婚する年齢も早く、大体が十五歳から二十代半ばまでに終わらせていた。
かなりの早婚傾向と言えるだろう。
「お、雨が上がりますね。出発しましょうか」
イヴルの声に反応して、三人が幌の外を見ると、空にははっきりと虹が見てとれ、雨も風もほぼ止んでいた。
まだ聞き足りない、と言った様子のリードだったが、陽が落ちきる前に村に到着したい為、好奇心を抑え込んで御者台へと戻った。
びちゃびちゃの御者台を、手で荒っぽく水を払い座る。
村に到着したら、馬の蹄の手入れをしないとなーなどと考えながら、リードは馬車を出発させた。
スコールが降ったおかげで、若干気温は下がったものの、それ以上に湿度が上がってしまった為、正直スコールが降る前より不快指数は上だ。
さらに、道がぬかるんでいる為、車輪が轍に嵌まらないように注意しなくてはならない。
当然、リードは会話に参加する余裕すら無いほど慎重にならざるを得ないので、必然的に会話の輪から外れる。
大いに揺れが激しくなった車中で、ノエルは何を思ったのか、今度はイヴルに質問を飛ばした。
「……イヴルさんは、どこのお生まれなんです?」
は?と、大きく顔に書いてあるイヴル。
「ご家族はいらっしゃるのですか?」
その顔色を察しているのかいないのか、構わず問いかけるノエル。
「……なんでそんな事、教えなきゃならないんだ?」
眉間を寄せ、棘のある言葉使いでイヴルが聞き返すと、ノエルはそれを真っ向から受け止め、即答で返す。
「私が知りたいと思ったからです」
「教えなきゃいけない義理は無いだろ」
「義理ならあります。一時とは言え、一緒に旅をする仲間。それぐらい教えてくれても良いではありませんか」
先ほどまでの和やかな雰囲気は何処へやら。
剣呑な空気が漂い始める。
相性が壊滅的に悪い。
とルークは思った。
態度からそうは見えないが、元々イヴルは人間が嫌いだし、自分の事を詮索されるのが嫌いだ。
そしてそれ以上に、理想論を掲げて綺麗事をぬかす人間が一番嫌いである。
そこに具体的な案の一つでもあればいいが、何も無く、ただ無心に相手の善性を信じる輩など尚更だ。
対してノエルは、そのイヴルが嫌う人間の典型であり、かつノエルの方も、悪党とは言え人をなんの躊躇いもなく殺したイヴルに蟠りがある。
ここは自分が緩衝材になるしかないか……と、半ば諦めの境地でルークは会話に参戦する事を決めた。
瞬間、ガクンと馬車が傾いて動かなくなった。
馬の嘶きと、リードの「あちゃ~」と言う声が聞こえてくる。
何事かとルークが外を覗き見れば、見事に泥濘に嵌まり、前にも後ろにも行けず、動けなくなった車輪があった。
リードが、申し訳なさそうに振り返る。
全員が馬車から降り、リード以外の三人が、掛け声をかけて荷車を押し、リードはそれに合わせて馬を引く。
何度か繰り返して、なんとか泥濘から抜け出す。
ふう、とルークがひと息吐いていると、イヴルが、ちょいちょいと小さく手招きした。
疑問に思いつつ駆け寄る。
ノエルはリードと話している最中だ。
「?どうした?」
「あの気狂い女、俺に近づけるな」
「唐突になんだ」
「魔王と話して理解し合えるなど、正気とは言えんだろう?」
「もしかして、聞いていたのか?」
「声が煩いんだよ。普通に起きるわ。とにかく、あの手の女は近くにいるだけで虫唾が走る」
「……一度きちんと話してみたらどうだ?」
「寝言は寝て言え。気を張っていないと、うっかり殺しそうなんだぞ?真面目に会話してみろ。即座に挽き肉にして、そこらの獣の餌にしてる」
「お前な……」
呆れ半分、憤り半分で続けようとしたルークだったが、
「お二人とも、出発しますよ!」
不意に前方にいたリードから、そう声をかけられた。
ノエルが、その隣で怪訝そうにイヴル達を見ている。
「あ、はい。すぐに」
二人はノエルの視線を躱すように、荷台へと乗り込んだ。
どうやらスコールは局地的だったようで、しばらく進んでいると、やがて道は元の乾いたものへと戻っていった。
その事に安堵しつつ、馬車を進めるリードは、この先の計算をする。
順調に行けば日暮れまでには到着する予定だったが、野盗の件とスコール、車輪が嵌まり脱出したまでの時間全てを合わせると、町に到着するのは陽が落ちきった頃になってしまうだろう。
深夜になるほどでは無い為、多少強行軍になってしまうが仕方ないか。
リードはそう考えると、後ろを振り返ってその事を報告する。
「僕達の事はお構いなく。急ぐ旅ではありませんので」
「私も気にしないで下さい。こうして乗せて頂いているだけでありがたいですから」
そう返してから、二人はまた会話に戻っていった。
ただ、ノエルもルークも、チラチラと横目でイヴルの様子を窺っているのだが。
当のイヴルはと言うと、ルークの隣で我関せずとばかりにそっぽを向いて、進行方向を退屈そうに眺めていた。
目に映るのは荷車を引く栗毛の馬と、その馬の手綱を握るリードの後ろ姿。
そして、ずいぶんと傾いた太陽。
現在、ほぼ西に向かって進んでいる為、逆光が眩しい。
時刻はすでに夕方に差し掛かっている。
空の端には徐々に宵闇が迫り、二つの三日月が輝き始めていた。