404号室
これは、俺が高校生の時の話である。
俺は両親とアパートで暮らしていた。あまり裕福でなかったので、家もかなり狭かった。ギリギリ空いていた、家賃の安い403号室を借りたのである。
ある夏の日。俺が一人で留守番をしていると、ピンポーンと音が鳴った。誰か訪ねてきたらしい。
どうせ親父かお袋が鍵を忘れたのだろうと、服装も整えずに扉を開けると、そこには女が立っていた。
このクソ暑い中、長い黒髪を結ぶことなく下ろして汗ひとつかいていない。その異様さに比べて服は露出の多いキャミソールに短パンで、まるで暑くもないのに季節感を合わせようとしているようだった。
今考えると、ちょっと気味が悪い。だが当時の俺は何も思わなかった。
なぜなら、彼女の胸に夢中だったからである。俺は男だから詳しいことは知らないのだが、少なくともC以上、G以下と言ったところだ。
しかも白いキャミソールだったので、紺色の可愛いブラジャーが透けて見えていた。紐も隠そうともしていない。
「あのぉ」
女が声をかけてきて、ハッとして俺は顔を上げた。ヤバい。嫌な奴だと思われたか。
——が。そんな思いとは裏腹に、女はにこにこしていた。
「あたし、昨日隣の部屋に引っ越して来たんです。今挨拶に回ってるんですけど、これ。よければどうぞ」
そう言って何やら菓子折りを渡された。
「これからお世話になります。あっ、そうだ。今一人ですか? 紅茶を入れますから、あたしの部屋でお茶でもしませんか」
女はまた笑う。胸にばかり目が行っていたが、顔も綺麗だ。白い肌に大きな目。唇は少し血の気がなかったが、笑顔が可愛らしい。
俺はまんまと頷いて、彼女の部屋にお邪魔することになった。
「どうぞぉ」
女が間延びした声で俺を招き入れる。表札に何も入っていなかった為、苗字は分からなかった。女性の一人暮らしだから、用心しているのだろう。
「お邪魔します」
軽くお辞儀して家に入る。家は寒かった。まだ外は明るいと言うのに、薄暗く、同じ間取りのはずなのに異常に生活感がない。
「あたしの部屋、こっちですよ」
女に案内された部屋は、俺の家だと俺の部屋になる場所だった。女は紅茶を入れてくると言い部屋から出て行く。
部屋はカーテンが閉め切ってあり、電気がつけてある。この部屋だけ妙に生々しく生活感があった。
脱ぎ散らかした服、下着、メイク道具。ピンクの可愛いベッドの上の、よぼよぼになったテディーベア。
俺はそれらを一瞥して、床に座った。するとずるっとカーペットがずれる。ピンクのカーペット。
ずれたその下からは、この部屋には似合わない青い色が見えた。指で触って確かめると、ブルーシートだった。
その時、女が紅茶を持って戻ってきた。
「あっ、ちょっと忘れ物。取ってきていいですか」
俺は咄嗟にそう言った。
「戻ってくる?」
「はい」
そう言うなり俺はダッシュで部屋を出た。後ろから足音がする。追いかけて来ているのだ。
しかし間取りが同じなので迷わない。一直線に玄関まで戻ると、靴を蹴飛ばして外に出し、その後俺も廊下に転がり出た。靴を拾わず我が家に転がり込む。
バタンっ!
扉を閉めた。その場で崩れ落ちる。視界が白黒になって、汗がだらだら落ちてくる。
後から聞いた話、ここの大家が迷信を信じないタイプで、最初は404号室を塞がなかったらしい。しかしそこに入居した若い女が首を吊って自殺した。ブルーシートを下に敷いて……。
その事件の後、さすがの大家も404号室を閉鎖した。
つまり俺の所に挨拶に来た女は……。そして俺が入った部屋は……。
あの時俺は、女がわざわざ俺にお茶を出してきたことになぜか恐怖を感じ逃げた。なぜなら、死者の差し出す食べ物を食べれば、自分も死者になってしまうからである。それが例えタバコでも、飲み物でもだ。
もしあの時紅茶をひと舐めでもしていたら——俺は今この世にいなかったかもしれない。
あの後、大学生になった俺は家を出た。しかし両親は死んでしまった。なぜかって?
あの女から貰った菓子折りを家に置きっぱなしにしたせいで、両親がそれを食べたからだ。