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命の代わりに消える宿代

現実世界では大量に血を流す人を見る機会がない。自分の血を見る時はいつも少量だ。血に怯えてしまっていた僕は他の者達も慌てているのに気付いて逆に冷静になり、数時間前に大怪我をした狼を治療したことを思い出した。


「ジャック! あの樹液貸して!」


折れた足が治るのなら、刺された傷も治るだろう。


「樹液を……? いや、しかし……あの樹液は高価な物なんだぞ? それに狼は魔物だったから再生したのであって、人間にそこまでの効果は……」


「つべこべ言ってないで早く出せよっ! 死にそうなんだぞ、金なんか関係あるか! そこまでってことは効くんだろ、医者が来るまでの応急処置でいいんだよ! 早く貸せ!」


ジャックは渋りながらも僕に瓶を渡した。森で狼に使った分だ、半分ほど残っている。


「アンさん……アンさん、起きて……」


どろどろと瓶から零れていく樹液がアンの傷口に染み込んでいく。本来なら化膿するだろう行為だ、だが、僕は樹液をかけられた狼の骨が繋がったのを見た。


『…………ぅ、う……』


「アンさん! 大丈夫ですか?」


「馬鹿な、人間にそこまで効くはずは……」


アンの傷は見事に塞がり、彼女はゆっくりと上体を起こした。酒場の客達の声が再び歓声に変わる。


『ユウさん……? 私、何か……そうだ、刺されてっ……あれ?』


「樹液をかけたら治りました。痛みはありませんか?」


『……ぁ、痛みはありません。大丈夫です……ありがとうございます』


不思議そうな顔をして傷があった場所を摩り、地面の血のシミを眺め、摩った手に移った樹液のねばつきに眉を顰める。

人形のような美しい造形の彼女の表情変化はなんだかおかしくて、安心もあって笑みが零れた。


『本当にありがとうございます。また助けていただいて……本当に、感謝しています』


「い、いえ、どういたしまして………………また?」


細く長い指が僕の指に絡む。手袋越しに彼女の手の硬さと温度が伝わる。


「本当! よくやったな兄ちゃん達!」

「アンちゃんに手を握られるなんて羨ましいっ……けど、仕方ねぇ!」

「ほら兄ちゃん達! 酒場に戻るぞ、酒奢ってやる!」


ジャックが引っ張られていく。僕も手を引っ張られて立ち上がる。


「僕お酒は……ぁ、アンさん、アンさんも来ますか? 帰るなら送ります」


歌姫なら付き人くらい居てもいいのに……これは現実世界の価値観か?


『……行きます。お酒一緒に飲みましょう』


「いや僕お酒はちょっと……」


藍色の瞳を細めて笑いかけられて、正しいことをしたのだと認識する。

悲鳴に気付かなかったら、酒場を飛び出さなかったら、樹液を使わなかったら、この笑顔は永遠に失われていた。

もしも……を考えるだけで寒気に襲われる。きっと女神は間違った選択のまま進ませないためにセーブの力を与えたのだ。現実世界では間違ってばかりの僕も、この世界なら完璧な善人になれる気がする。


『ユウさん、本当にありがとうございました。私に使ってくださった樹液のお値段教えてください』


「気にしないでください、タダで手に入れた物ですし」


命を救うのに金を気にしていてはいけない。ちょっと木を刺せば手に入る物に僕はこの世界の常識ほどの価値を見出せない。


「アンさんの笑顔が見られただけでお釣りが来ますよ」


『え……そ、そんな……』


白磁の肌に赤みが差す。可愛らしい女性だ、僕も彼女のようになりたいな。


「兄ちゃん何アンちゃん口説いてんだ!」


「え、いや、口説いてなんて……」


「恩人だからって隣に座るのは許したが口説いていいとは言ってないぞ!」


お前らはアンの何なんだ。口説いたつもりはないし、この世界の肉体は男にされてしまったが僕も女なんだ。


『け、喧嘩はやめてください! えっと……ユウさんとジャックさんはもちろん、お医者様を呼びに行ってくださったり、自警団に知らせに行ってくださったり、皆様が私の恩人です。ですから……その、お礼をしたいのですが、私……あまり大したことはできなくて』


喧嘩を諌めて立ち上がったアンは静かになった客に順に目を合わせ、美しく微笑んだ。


『……歌うくらいしか、私にはありません。それでも……いいですか?』


客達が歓声を上げる。僕もそれに倣って、でも照れてしまって小さな声で「頑張って」と言った。客達の声にかき消されたと思ったがアンには聞こえたようで、囁くように「頑張ります」と応えてくれた。

女の僕でもときめくんだ、そりゃストーカーになるヤツも出るよ。


「おいユウ、樹液の分の金はもらっておけ。樹液は俺の燃料にも使っているし、昼間の買い物でかなり使った。もう一晩泊まれる金もないぞ」


「えっ……そ、それはまずいかな……うーん、でも、後からくれってのはカッコ悪いよ……」


「カッコつけてる場合か、宿無しだぞ。それより……そろそろセーブしておけ」


「ぁ……そうだね」


カウンターの端の赤い光に鍵を挿し、セーブをした。


「……もし、今回アンさん助けられてなかったらセーブせずやり直す……って使い方でいいんだよね?」


「あぁ、樹液がもったいないから刺される前に助けるという方法も取れたが」


「さ、先に言ってよ、セーブしちゃったじゃん。でも、うん……分かってきた。よし、明日も頑張るぞ」


今のところはとりあえず酒宴をジュースで乗り切ろう。アンの歌があれば雰囲気に酔えるはずだ。

僕は現実世界ではありえないくらいに充実した夜を過ごした。これで女性を一人救ったことを父に褒めてもらえたなら、もっとよかったのに。

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