歌姫アン
目を覚まし、カーテンを開け、朝日を浴びる。
自由に動く体のなんと素晴らしいことか!
「んー! 異世界サイコー!」
「おはよう、ユウ」
「わっ! ぁ、起きてたんだ……お、おはよ、ジャック」
ジャックは僕が寝ていたベッドの脇に片膝を立てて座っていた。
「ジャック、今日は何するの?」
「攻略を進める。どう進めるかはユウに決定権がある」
樹液を採取したりしながら平和に暮らしていきたい、火傷がないなら僕はもう幸せだ、ずっとここに居たい……あぁでも、父さんに会えないのは寂しいな。
「邪悪な魔物から人間を守る、いわゆる人助けも攻略を進めたことになる。換算されてユウの世界が充実していく」
「なるほど……ところでさ、魔神王とか魔王って何してるの?」
「……何、とは?」
「倒せって言われるくらいだから酷いことしてるんじゃないの? 暴政とか、虐殺とか」
「…………その情報は持ってないな。まぁ、それも進めていけば分かるだろう」
とりあえず宿から出て街を歩いてみようと意見は一致し、洗濯を終えた昨日の服が扉の前に置かれていたのでそれに着替えて一階に下りた。
「トーストとベーコンとタマゴのセットをひとつ」
ジャックは店主に朝食を注文し、僕を隣に座らせた。ほどなくして運ばれた料理を僕の前に滑らせる。
「ジャックは食べないの?」
「食べられないんだ」
機械であるジャックが物を食べるとは思っていなかったが、何も食べない者の隣で食事をすると罪悪感が湧く。
朝食を終え、特にやることが思い付かないと零すとジャックは買い物に行こうと言い出した。
それなりに物が入りそうなカバン。保存食。寝袋。着替え……などなどを街を回って集めると樹液を売った金はほぼなくなり、日は沈み始めていた。
買う物を買って帰還。酒場の扉を開くと美しい歌声が聞こえてきた。カウンター横の低い台の上、歌う少女が居た。
「…………あの子、何? 歌ってる……可愛い」
ポツリと呟くと席に座っていた中年男性がこちらを振り向いた。
「アンちゃんを知らないのか? もぐりめ。アンちゃんはこの街一の歌姫だぞ、本来ならこんなしみったれた宿に来てくれる歌手じゃないんだ」
「歌姫……綺麗な人ですね」
当然ながら聞き覚えのない歌を歌うアンという名らしい少女。その髪は透き通るように白く、腰まで伸びている。陶器のような肌に現実の僕のような傷はなく、どこまでも透き通るように美しい。深い青──藍色と言うべきだろうか、吸い込まれそうな瞳をしている。短いスカートから伸びた長い足には女の僕も見惚れてしまう。
「…………こっち見た」
「よくある話だ、歌手に見られたと思い込むのは」
「そんなんじゃないよ、本当にこっち見て笑ったよ」
歌が終わり、アンが深々と礼をする。
喝采の中を抜けて扉の方に向かってくるアンに道を開けると彼女は僕の前で止まった。
『……あの、お名前を聞いても?』
「へ? 僕……?」
アンは目を逸らしてコクリと頷く。目が合った気がしたのは気のせいではなかったのだ。
「……えっと、ユウと呼んでください」
『ユウ……さん。ありがとうございました』
彼女は臍周りが露出するデザインのドレスを着ているのだが、近くで見るとうっすらと腹筋が割れている。女性にしては肩幅が広いようにも思えるし、案外と鍛えているようだ。カッコイイな。
「ぁ、うん……どういたしまして。あの、何が?」
『お礼はまたの機会に……失礼します』
何の礼かを聞く暇もなくアンは帰ってしまった。
「人違いかなぁ……部屋帰ろっか、ジャック。あと何時間こっちに居られそうとか分かる?」
「六時間程度だな」
「そっか……じゃあ朝早くに帰らなきゃなんだ。ギリギリでセーブしないと寝ても今からやり直しなんだよね? ジャック、早めに起こしてね」
了承の返事を聞き、二階に戻ろうとしたその時、絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
「な、何!? ジャック、行くよ!」
酒場を飛び出して人気のない道を見回せば、アンが大柄な男に腕を掴まれていた。
『は、離して! やめてっ……痛い!』
アンは男の足を蹴っているが、男にそれを痛がる様子はない。
「アンちゃん……? なんで嫌がるの? 俺だよ? いつも会ってるじゃないか……あぁ、今日は行けなかったから拗ねてるの? だからって蹴るなんて酷いよ。今こうして来てあげたのに」
『あなたなんて知らない! 離してっ……!』
「知らない? なんでそんなこと言うの? いつも俺見て笑ってくれてるよね? 俺を見て好きって言ったよね? 嘘だったの? 嘘ついたの? 俺を裏切ったの……? このっ……!」
男が腕を振り上げる。アンを殴るつもりだろう。走って何とか間に合った僕は男の腕にぶら下がり、これ以上の暴力を阻止した。
「ジャック! お願い!」
ジャックは剣の持ち手で男の腹を突いた。男は醜い声を上げて胃液を吐き、アンの腕を離し僕を落とした。
「痛た……」
『ユ、ユウさん……? ありがとうございました』
尻もちをついた僕にアンは白い手袋に包まれた手を差し伸べる。その腕には男の手の形に痣が残っていて痛々しい。
「ぅう……アンちゃん、アンちゃんっ……そんな男に、触るなぁあっ!」
男がアンの背に突進し、アンが僕の方へ倒れてくる。
「あ、ぁあっ……アンちゃん、アンちゃんが悪いんだ、俺を裏切るから悪いんだぁっ!」
男の手には鋭利なナイフが握られていて、そのナイフと手は赤く染まっている。
「仕留めるべきだったか……」
ジャックが男の顎を殴り、気絶させる。僕達を追って酒場から出てきた人々が歓声を上げて近付いて来るが、アンが血を流して倒れているのに気付いて悲鳴に変わる。
「アンちゃん! お、おい誰か医者を呼んでこい!」
「あの男っ……前からアンちゃんに付き纏ってた……!」
アンは身動ぎ一つせず、肩で息をして僕の服を掴んでいた。僕は傷口を手で押さえているが、血はどんどんと溢れて僕にその温度を教えている。
僕は初めて見る大量出血に呆然としてしまっていたが、慌てふためく酒場の客達を見ていると段々と冷静になってきて、解決策を思い付いた。