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宿泊研修

2015年5月1日 金曜日 5時26分


身体中が痛い。鳥のさえずりが聞こえる。カーテンの隙間から朝日が射し込んでいる。現実世界に戻ってきたようだ、今日は宿泊研修だったか……異世界で何日も過ごすせいで時間の感覚がめちゃくちゃだ。


焼き上がったパンを冷ます間に包帯を巻き、ウィッグを被る。宿泊研修なら人前で着替えることもあるだろうし、いつも以上に念入りに巻いておかなければ。


「……おはよう父さん、朝ごはん出来てるよ」


父は一言も発さずに朝食を食べ終え、仕事に向かった。


「いってらっしゃい」


見送りを終えたらダイニングに戻って朝食を再開する。口を開けた瞬間、インターホンが鳴らされた。


「おはよう、化野さん」


玄関扉を開けると学校指定の青いボストンバッグを肩にかけた式見蛇が立っていた。


「おはよ、式見蛇。上がって」


「お邪魔します……」


ダイニングに通し、座らせ、お茶を出す。彼と話しながらの朝食を終えてボストンバッグを持ち上げるも、昨晩父に殴られた跡が痛み、落としてしまった。


「大丈夫? どうしたの?」


「ん……昨日、その……家でちょっと転んで」


母にそっくりな僕は父に醜い愛情を注がれているけれど、焼けた左半身は父は嫌いになったようで、そちらばかりを殴られ、蹴られる。けれど咄嗟に頭や胴を庇う右腕にも痣は多い。


「どこ打ったの? どこ痛いの?」


腕、肩、腹、頬……一度だけ転んで打つような場所だろうか。問い詰められたらどうしよう。

迷っていると式見蛇は「遅刻するからとりあえず行こう」と言って僕のボストンバッグを肩にかけた。


「ぁ、あの……式見蛇、カバン……」


「落としたりしないよ」


「そうじゃなくて……自分で持つから」


「悪化するよ、歩くの遅くなりそうだし。遅刻するかもだから俺が持つ。気にしないで、俺力はあるから」


何度言っても返してくれず、僕は手ぶらで家を出た。家の鍵をボストンバッグの側面のポケットに入れると犬鳴塚は手を差し出した。


「一人で歩けるよ……」


「そ、そう?」


心配し過ぎだと呆れつつもポケットに突っ込まれた彼の手に未練を抱く。彼の手は温かいのだろうか、硬いだろうか、握る力加減はどんな物だろうか……そんなことばかり考えてしまう。

早朝特有の冷たく澄んだ空気を吸い、早起きの小鳥達のさえずりを聞きながら、人気の少ない通学路を行く。パラパラと見える人影は皆紺のジャージに青いボストンバッグを抱えた同じ学校の一年生達ばかり。


「やっぱり自分で持つ……」


「だーめ、だよ」


式見蛇に持たせているせいで注目されている気がする。当の式見蛇は視線に気付いていない、僕を見つめて微笑んでいる。



学校の前にバスが三台停まっている。一クラス一台のようだ。ホームルームは車内でやるらしく、皆バスに乗り込んでいく。

復学したての僕は乗る前に担任のところへ行ってバスの座席表を確認する。僕は渡辺という女子の隣らしいが、その子は休みがちのようで今日も居ないらしい。一人ならその方が楽だ。


「……式見蛇、お前なんで化野のカバンも持ってるんだ?」


「えっと……き、筋トレです」


「…………そうか。早く乗りなさい」


荷物は座席の下にあるらしい収納スペースに入れるようだ。エチケット袋や水筒などバスの中で使うかもしれない物を詰めたナップサックを抜き出してから、バスの前で待機している先生にボストンバッグを渡す。

バスの中で点呼を取ったら教師が諸注意を話し、運転手の短い挨拶があり、バスが出発する。事前に生徒にアンケートを取ったらしい曲が流れ始めるが、僕は知らない曲よりも窓から外を眺めるのに夢中になっていた。普通の車ではありえない目線の高さが楽しくて仕方ない。


「式見蛇! 立つな! 動くな! 移動するな!」


「はっ、はい! 座りました、もう動きません」


空いていた隣の席に式見蛇が座った。


「自分の席に戻れ!」


「う、動いてる車内で歩き回っちゃ危ないじゃないですか……」


「はぁ……ったく、信号で止まるか高速に乗るかしたら戻れよ」


気弱で大人しい性格のくせに……そんな感想は僕もクラスメイトも同じらしく、式見蛇のことを話す声が幾つか聞こえてきた。


「化野さん……隣、居ないって言ってたから、その、俺の隣話したことない人で、えっと……あの…………な、何見てるの?」


「……外。いつもより高くて、面白いなって……窓側座る?」


「大丈夫、俺無駄に大きいから化野さん越しに見れるよ」


「無駄って……ふふっ」


一人で気楽に過ごせるだろうと思っていたバス内が式見蛇が隣に来たことで楽しく過ごせた。宿泊研修も案外楽しいかもしれないと思い始めたが、宿泊施設では当然男女別なので式見蛇とは別れてしまう。

軽い諸注意の説明の後、荷物を部屋に持っていくよう言われる。荷物を置いたら広間に戻り、研修が始まるのだ。



痛みを堪えて二階の部屋に荷物を置く。今日はクラスの女子全員でこの部屋で雑魚寝か……気が進まないな。


「ねぇねぇ化野さん」


「ぁ、えっと……」


「……涼木だけど。覚えてないの?」


「あっ、い、いや、覚えてたよ! 涼木さん、何?」


涼木が取り巻きだろう二人の女子を後ろに連れて話しかけてきた。僕と同じジャージ姿なのに何故か派手な印象を受けるのは髪を茶色に染めているからだろうか?


「化野さん女子だったんだ、勇二なんて名前だから勘違いしちゃってた」


勘違いなんてしていないだろうに、白々しい。


「ごめんね、紛らわしくて」


「いーのいーの! 名前って自分じゃどうしようもないし? それよりねー」


歩きながら話していた僕達は階段に差しかかる。左半身の動きが鈍い僕は普通の子達より気を付けて下りなければ転げ落ちてしまう。


「アンタなんで式見蛇にカバン持たせてたの?」


「え……ぁ、いや、僕もやめてって言ったけど、式見蛇が……」


先程まで柔らかい雰囲気だったのに、明るく話しかけてくれていたのに、クラスに溶け込めるかもしれないと思えたのに、それらは全て幻想だった。


「式見蛇、デカい割に気ぃ小さいもんねー、パシリに最適。あたし怪我してるからぁ~……とか言って持たせたんでしょ? ひっど」


「そ、そんなことしてないっ……」


決め付けに反論の意味はなく。集合場所に着くまでずっと否定し続けたが聞き入れてもらえなかった。


「化野さーんっ、並ばなくていいってさ、隣座っていい?」


「じゃ、じゃあね、涼木さん……式見蛇、もちろんいいよ、どこに座ろうか」


涼木に軽く手を振って式見蛇に連れられて端の方に腰を下ろす。冷たい床に体育座り、お腹が痛くなりそうだ。


「化野さん、あの人と仲良いの?」


「ううん、嫌われてるみたい」


これは偏見だが、染髪している奴に嫌われると学校生活の平和が脅かされると思う。


「そう……まぁ、友達なら俺がいるから、元気だして。にしても……床冷たいね、化野さん寒くない? 俺の足の上座ってもいいよ」


「私語は禁止だ式見蛇! 足を伸ばすな! 他の生徒とは握り拳一つ分の隙間を開けろ!」


「すっ、すいません……」


研修の内容は単純なものだ、クラスメイト五人以上に好きな教科と食べ物を聞いてそれをメモするだけ。それだけ……なのだが、人に話しかけるのが苦手な僕には辛い作業だ。


「……ぁ、あの」


固まっているクラスの女子の元に向かったが、何故か輪に入れてもらえない。返事どころか視線もももらえない。僕の声は確かに聞こえているはずなのに、誰も……琴平さえも……


「化野さん、できた?」


「え、ぁ……まだ」


「なら私とやりましょう」


唯一話しかけてくれたのはクラス委員長の三瀬川だ。日本人形のような髪型のクールビューティ……僕も左側が焼けていなければ彼女に対抗できるくらいのルックスだったはずなのに。


「……ありがとう、三瀬川さん」


「こちらこそ。私はこれで終わり、あなたは?」


傷のない体が妬ましい。こんな火傷なければ式見蛇に恋愛対象として見てもらえたかもしれないのに……母の死体なんて構うんじゃなかった。


「……後四人」


「頑張って」


手伝ってくれたりはしなさそうだ。彼女以外の女子は僕と目も合わせてくれない。仕方ない、男子の方に行ってみよう。僕は男子側の人間と見られているのだろう、勇二だし。

とりあえず頼るべきは式見蛇だ。

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