学校初日の運勢は
2015年4月28日 火曜日 5時24分
「…………現実、か」
現実世界に戻ってきたことを認識した僕は深いため息をついて舌打ちをしてから立ち上がり、包帯を持って洗面所に向かった。
火傷痕が見えないように左半身に包帯を巻き、鏡の中の化け物を睨みつける。異世界で見た下半身が蛇の少女と僕が並べば僕の方が怪物と罵られるだろう。
「……クソっ!」
異世界の僕には包帯なんて必要ない。父に犯されることはない。一度話しただけで祭りの最中に探してくれるほど、歌の感想を言えば抱きついてくれるほど、人と簡単に仲良くなれる。
異世界が素晴らしいほど、現実世界のクソっぷりがよく分かる。
父を見送り、朝食を食べているとインターホンが鳴った。慌てて玄関に行き、覗き穴から外を見れば式見蛇が立っていた。
「式見蛇……? どうしたの?」
扉を開けて迎え入れると式見蛇はふにゃりと微笑む。
「約束通り迎えに来たんだけど……その、早かったかな、十分前には着いとけって言われてるから……ごめんね」
笑っていたと思ったら不安そうに眉尻を下げる。強面と高身長からのプレッシャーは表情に相殺されてしまう。
「用意まだだから……上がって」
「あ、上がっていいの? ありがとう、お邪魔します……」
急いでパンを食べ、口の中に広がる鉄臭さに歪む表情が式見蛇にバレないように俯く。
「…………あっ、これCMで見た」
気まずそうに部屋を見回していた式見蛇はホームベーカリーを見つけた。
「へ? あぁ……パン焼き器? 父さんが退院
祝いにって買ってくれたんだ」
「化野さんパン作るの好きなの?」
「別に……」
最後の一口を水で流し込み、本音を漏らしてしまったことに気付いて後悔する。適当に「好きだ」と答えておけばよかった。
「別に? なのにこんな良いのを?」
「……ねだったわけじゃないから」
パンを乗せていた皿一枚とコップを洗い、床に置いた鞄を拾う。家を出て鍵をかけ、式見蛇の隣を歩く。僕や彼と同じ制服を着た生徒達が道に多くなるにつれ、僕の心は曇る。
「退院祝いなんか……ストラップとかペンケースでよかったのに」
買った時のままの僕の鞄。道行く生徒達の十人十色のストラップがぶら下がった鞄。それらを見比べて、何の役にも立たない飾りに金を使ってくれる彼らの親に嫉妬した。
学校に到着後、式見蛇には先に教室に向かってもらい、僕は職員室に。
「化野 勇二……さん、だね」
担任は書類を流し読みし、僕をじっくりと眺めた。
「女の子なんだね?」
「……はい。男の子がよかったらしくて、男みたいな名前ですけど」
「制服ズボン選んでるのも親御さんの言い付け?」
この学校では女子はスカートとズボンを選ぶことができる。でもズボンを選んだのは僕だけらしい。
「いえ、ズボンの方が好きなだけです。火傷も隠せますし」
僕は全身に火傷を負ったが、右半身は軽かったようでほとんど治っている。しかし顔の半分や左手足は酷く、動きと感覚が鈍い。形成外科を勧められたが父は受診させてくれない。
「えー、と……着替えとかトイレとかは……もしアレなら個別に部屋を用意するけど」
「……別に、名前と服装がこんななだけで身も心も女なので、気にしなくていいですよ」
心も女か……別に女でもないかもな。そもそも心の性別ってどうやって判断したらいいんだ?
「分かった。その辺とか火傷とか色々言われるかもしれないから、何かあったら気軽に相談してね、保健の先生にも言っておくから遠慮せずに」
養護教諭は何度か見舞いに来てくれた。優しそうな女性だったが妊娠していたようだし、そろそろ休みになるかもな。代理が怖い人でないといいけど。
「…………お気遣いありがとうございます」
男なのか女なのかややこしい名前と服装。母が「失踪」したこと。左半身に重度の火傷を負っていること。
教師達は僕をデリケートな面倒臭い生徒だと思っていることだろう。でも同情されるのは嫌いだ、余計惨めになる。他人が「可哀想な奴に優しくしてやった」と気持ちよくなる道具になりたくないんだ。
教室に行き、自己紹介を終え、最前列右端の席に座る。入院していたから転入生のような扱いを受けているけれど、普通に入学する予定だった僕の席は出席番号順で用意されている。化野はバケノでもケノでもない、アダシノと読むのだ、よく間違えられる。
「……写せたかー、消すぞー」
気だるげな英語教師が黒板消しを持つ。まだ半分も写せていない、慌てて手を挙げると教師は僕のノートを覗き込み、ため息をついた。
「後で他の子に写させてもらいなさい」
そう言って教壇に戻り、英文を消し、また別の英文を書いた。
クラスメイトからの視線を感じる。私語が僕の悪口に思える。言い訳したい、書くのが遅いのは元々左利きだったからだと、左腕が火傷で使えなくなったから仕方なく右手を使っているのだと、練習中だから早くも上手くも書けないのだと。
しかし言い訳を叫ぶ訳にもいかず、きっと七割くらいは思い込みの肩身の狭さを感じ、授業に集中できなかった。
休み時間、誰にノートを借りようかと周囲を見回す。式見蛇はどこに行ったのかと困っていると彼の前の席の男子が僕に話しかけた。
「なぁ、お前名前なんて読むの?」
「あだしの……だけど」
「へー! 変な読み方!」
金髪だが眉は黒い、染めたのだろう。染めたのは最近ではないのか生え際の方が黒くなっていてまるでプリンだ。
「……えっ、と……そっちは」
「ん? 塩飽 誠一郎、よろしく」
塩プリンと覚えよう。
担任は僕が女子だと話したと言っていたが、伝わっていないのか? 物珍しいからといって異性にこんなに話しかけてくるものなのか?
「って言うか……マジで女子? 勇二って……くふふっ……」
伝わってはいたのか。
「塩飽ー、何してんの」
「毒島、歌祖谷、いや、勇二ちゃんとお話中」
細長いのと太いのが来た。
ちゃん付けなんてバカにしているんだろうな。ツイてない、早々にこんな連中に絡まれたら大人しい子から距離を取られて友達ができない。友達が特別欲しくはないけれど、一人二人は居なければノートを借りられないしペアワークの時に困る。
「ふぅん……? なぁ、色々分かんないだろうから教えてやれよ」
細長い方、毒島が提案する。
「そうだな。なぁ勇二ちゃん、二十分休み付き合えよ、校内案内してやるから」
ニヤニヤと笑う塩飽の誘いは断りたかったが、僕には厚意らしきものを断る勇気はない。言われるがままに頷き、誰にもノートを借りられずに休み時間は終わった。




