歌姫は雄の肉食獣
身支度を終えてダイニングへ行くと肉が焼ける匂いが鼻腔を突いた。キッチンの方を見に行くとアンがステーキを焼いていた。僕は肉があまり好きではないし、朝からなんて考えるだけで胸焼けがするけれど、健康な若い男の体だからか食欲をそそられ、腹が鳴った。
『あ、おはようございます、ユウさん。もう少しで焼けるので待っていてくださいね』
ホットパンツにニーハイソックス、臍が出る丈の半袖シャツ、分厚いチョーカーに薄手の手袋、そしてエプロン。僕が心も男なら喜んだだろう。
「ぁ、うん……朝からステーキ?」
「素敵だな」
ジャックが僕にしか聞こえないような声でボソッと呟いた。機械のくせに駄洒落を言うとは……この余計な機能は女神の趣味だろうか?
「だが、俺は飯は食べない」
『いらないんですか? ダメですよちゃんと食べないと』
「……俺は実はゴースト系の魔物でな、物は食べられないんだ」
現実世界でも二足歩行のロボットは開発途上なのに、少し文明が遅れていそうな異世界の者に人工知能だ機械だなんて言っても仕方ない。幽霊だと言っていた方がいいだろう。
『え……そ、そうなんですか。じゃあ……ジャックさんの分のお肉は私が食べますね』
まだ焼くつもりだっただろう肉を紙に包んで冷蔵庫に戻し──冷蔵庫あるんだ。そういえばキッチンの様子も現実世界と大して変わらない、誘導加熱式ではなさそうだが、息を吹き込んで火を炊いて……なんてものではない。ガスコンロかな? この世界の文明の発達度合いはよく分からないな。
「いただきます。ごめんね、朝ごはんまでもらっちゃって……っていうか、多くないかな……」
ナイフとフォークと皿が僕の前に並べられ、机の中心に皿に盛られたステーキが置かれ、その横に塩や胡椒やソースなどが小皿に入れられて幾つも並んだ。
『そうですか……? 私には普通ですけど……ユウさん年頃の男の子なんですからちゃんと食べないと骨と皮だけみたいになっちゃいますよ』
セーブとロードでやり直したから今の僕は知らないというていでいるが、アンは本当は男で人狼だ。狼なら朝からステーキというのも納得できるし、アンの言葉を借りれば年頃の男だから量にも納得がいく。
『ユウさん、出身はどこなんですか? 宿に泊まっていたなら旅行でもしてるんですよね』
「あ、えっと……ジャック?」
「色々と込み入った事情があってな、家を失って放浪中だ。手続きや資金の関係で移住先が決まらず、開き直って旅行のように振る舞っている」
嘘をつくのが上手い人工知能というのは何だか怖い気もするが──ま、現実世界の物じゃないからいいや。
『そうなんですか……あの、私の家でよければいつまでも居てくれて構いませんよ』
群れの仲間を助けられたからといってそこまでの恩義を感じるものだろうか? イヌ科らしいと思っておくか。
「いや、そういう訳にもいかない。放浪中の身ながらやらなければならないことがある。まず、この大陸の魔王城がある街まで行きたいんだ、何日かかるか、いくらかかるか、大体でいいから教えてもらえないか?」
「ま、魔王城……?」
世界に不慣れなまま「王」と名が付く相手に会うのは嫌だ。しかし足踏みをしていては現実世界での幸運が手に入らない。
『……よろしければ私がお送りしましょうか? 明後日その街でコンサートをする予定で……今日のお昼にでも出発しようと思っていたんです』
「助かる。いつ頃着く?」
『明日の夕方までには着きますよ。もし急いでいるのであればドラコ運輸に連絡してはいかがでしょう。別の大陸にだってひとっ飛びですよ』
「そんな高価な移動方法は取れない、急ぐわけではないから一緒に行かせてくれ」
「ドラコ運輸……? って何?」
『竜族の有名な会社ですけど……ユウさんが住んでらっしゃった場所では聞きませんでしたか?』
「ドラゴンが運んでくれるんだ、かなり高価だがその分速い」
ドラゴン……おとぎ話に登場する翼を生やしたトカゲのことか。あまりそういうものには詳しくない。
『お昼に出発予定ですから、準備をしておいてくださいね。食料は私が用意しますから、ユウさん達はユウさん達のことだけ考えてください』
「ま、待って、一人で二人分の食料準備するのは大変でしょ? 僕も手伝うよ、えっと、ほら、力仕事になるだろうし男手あった方がいいでしょ?」
まぁアンも男なのだが……アンはそれを僕に知られていると知らないし、女の子だと思っているとアピールしておこう。本音は「アンに任せたら食料が全部肉になるかもしれない」という危惧からだが。
『……ありがとうございます、ユウさん』
少女よりも純粋に可愛らしく微笑むアンを見て改めて思う。最善の行動を選べてよかったと。
ステーキのみの朝食と食後の小休止を終え、アンと共に商店街に出た。アンはこの町で知らぬ者は居ない有名な歌手だ、ファンに声をかけられながらでは時間がかかると厚手のローブのフードを目深に被った。しかし、ローブの下は朝から何一つ変わっていないので、肌が全く見えない訳でもない。
『ジャックさん、ゴーストなのに太陽の元へ出て平気なんですか? そういう魔物は昼間は避けるって聞きますよ』
「鎧があるから平気だ」
『そういうものなんですか……』
「そういうものだ」
三人で歩いているといつの間にか二人の後ろを一人で歩いている。二人だけで話しているのを後ろから見ている、そんな状態になる。
『…………このお肉二包み下さい、後、こっちとこっちも……』
「ユウ、放っておいたら肉しか買わないぞ」
「えっ、ぁ、アンさん! あの、野菜とか果物とか買う分も残しておいた方がいいです!」
ジャックには僕の疎外感を察する機能もあるのだろうか。
店をいくつか回り、必要なものを揃えた。
『必要な物は買えましたね。それじゃ、ユウさんジャックさん、お家まで頑張りましょう!』
荷物は三等分にして持つことになった。しかしジャックは機械でアンは人狼、僕が一番腕力と体力がない。
「……ユウ、貸せ」
「で、でも」
「出発が遅れる。いや、置いていかれるかもな。アンは少しも振り返らないぞ」
アンは上機嫌にスキップもどきをしながら家までの人気のない道を軽快に歩いている。段々と下がっていく僕のペースでは見失うのは確実だ。
「俺は意志を持つ人間ではなく、ユウのサポートをする機械だ。気に病む必要はない。コピー機を気遣って手書きで書類を写す人間は居ないだろう?」
「うん……人じゃないから普通に話せてるんだしね。じゃあ、お願い」
アンの家の裏手に回り、裏門を開ける。車庫から馬車を──いや、馬車なのか? 街で見たものと形が違う。
「随分と最低地上高が低い馬車だな、ポニー用か?」
そうだ、車輪が小さい。厚みは変わらないが直径が半分程度だ。
『低いだけで広さは変わらないので入り心地は悪くないと思います』
中は六人がゆったりと乗れる程度の大きさだ、馬車に乗ったことがないので比較は出来ないが、三人なら広々と使えるだろう。収納は足元と椅子の中にあり、荷物に邪魔されたりする心配もない。
「……確かに、かなり心地は良さそうだ」
人工知能に「心地いい」なんて感覚が分かるのか。
「しかし、何が引くんだ? ポニーはどこだ?」
ジャックの言葉を聞いてアンは得意げに微笑み、森の方を向いて高く遠くへ響くような美しい歌声を披露した。
『……ふぅ、さぁユウさんジャックさん、乗ってください』
言われるがままに馬車に──馬車でいいのか? とりあえず馬車と言っておく──ジャックと共に馬車に乗り、扉を開けたままアンを見つめる。
森の方から何かがやってくる、灰色の群れだ、地を這うように走るアレは……狼だ。
『いつものだ、しっかりやれ』
アンは狼達に顔を寄せて小さく低く呟いた、僕に聞こえているとは思っていないのだろう。狼達の腹にベルトを巻いて馬車に取り付け、馬車に乗り込んだアンは可愛らしい笑顔を浮かべ、高い声で「お待たせしました」と言った。
「アンさん……狼を手懐けてるんですね」
アンが人狼だなんて知らないと振る舞わなければ。今の光景を見て何も言わないのはおかしいだろう。
『手懐けていると言うか……えぇ、まぁ、そうですね』
狼達が走り出し、街を離れ、森の街道を進んでいく。舗装されていない道をクッション性の低い車輪で走る振動に僕は早速吐き気を覚えていた。




