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歌姫の正体

異世界に潜る時間を六時間と設定し、枕の下に入れて眠る。すぐに意識が暗闇に落ち、夢を見るように異世界に転移。


『ユウさん? ユウさん、聞いてますか?』


トントンと肩をつつかれ、目を擦りつつ横を見る。


『眠くなっちゃいました?』


鮮やかな色の酒が入ったグラスを揺らし、ほんのりと頬を赤らめたアンが微笑む。


「ぁ……いや、大丈夫。ちょっとぼーっとしてて」


僕が現実世界に戻っている間、異世界の時間は進まないのか? セーブをしなければ時間が戻ると聞いた時点で疑問に思ってはいたが、どういう仕組みなのだろう。

僕を基準に異世界の時間が動かされるのか、現実世界とは別で動いている異世界の時間に僕が放り込まれるのか──前者だと思い込むほど僕は自惚れが強くはない。


「……そろそろ寝なきゃ」


眠気は精神ではなく肉体的なものだ。脳も身体も二あるのに精神は一つ……忙しく感じてしまう。


「寝るんだったら追加料金払っとくれ。今晩の分はもらってないよ」


「ぁ、そっか……ジャック」


「もうない。金も、樹液も、ここに泊まれる分はない」


「えっ……?」


「樹液は俺の燃料でもある、売る分はもうないんだ」


なら、今日は宿無し? そんな……現代っ子の僕は野宿なんてしたことが──ある。幼い頃、何度か夜中に外に放り出され、扉の前で蹲って寝たことがある。大丈夫だな。


「そっか……じゃあ外で寝よっか」


『え……外で? ダメですよユウさん、私が払いますから。あの、さっき渡した分から引いてください』


「アンタから貰った分は全部その酒に回したけど……まだ持ってるのかい?」


『へ……? 嘘、私そんなに飲んで……!?』


何十杯も飲んでいる訳ではないのは知っている、単価が高いのだろう。


『ど、どうしましょう、手持ちはもう……』


「まぁ外で寝られて何かあったら目覚めが悪いし、一晩二晩なら後払いでも──」


『そうだ、私の家に来ませんか? 空き部屋が幾つかありますし、朝ごはんも用意しますよ』


「──いい、とは……言わない方がよかったかね」


森へ行って樹液を採取してくればいいだけなのだから、後払いを約束してもいい。しかしアンの申し出を受ければ一泊分の金が浮く。


『お礼もしたいですし……是非』


膝の上に置いていた手をきゅっと握られ、再度思う。そりゃストーカーになる奴も出るよな……と。


「アンタ、何迷ってんだい。女に恥かかすんじゃないよ」


「行こう、ユウ、宿代と飯代が浮く」


店主とジャックに耳打ちされる。二人に賛成されながら断るのは難しいし、アンの手を払うのも心苦しい。


「うん……じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくお願いします、アンさん」


『…………はい!』


嬉しそうに歩むアンの後に着いて町外れの大きな洋館に辿り着いた。一階建てではあるが明らかに一人暮らし用の家ではなく、庭も広い。


「アンさん、ですか?」


アンが懐から鍵を取り出そうとしたその時、ジャックほどではないが重厚な鎧に身を包んだ男二人に話しかけられた。


『そうですけど……何か?』


「……先程、あなたを襲ったという男が……その、逃げまして」

「馬車で移送中に縄抜けをしたようで……足取りはまだ」


『そ、そう……ですか。ご苦労さまです……お願いしますね』


あの男が逃げた? 人を刺すような奴が辺りをうろついているなんて大失態じゃないか、彼らは後でクビになるかもな。


「アンさん、早く中に入りましょう」


警官のような役割だろう男達に頭を下げ、家に入り、しっかりと鍵がかかるのを見る。


「……ねぇジャック、この世界って電気あるの?」


室内に点っているのは電灯に見える。


「ユウの世界と同じだ。電線は地下を通っているから見えないだけだな。違う点といえば、この世界では魔力発電が主流だ。個人でもやる者も居るが、主に魔樹から発生するエネルギーで湯を沸かし、発電するんだ」


現実世界でも魔力というものはあるらしいが、発電出来るほどのエネルギーではないそうだ。死者と会話するだとか事件を予言したなんて話を見聞きする、それらは魔力によるものだったりするのだろうかと聞いてみたがジャックは現実世界のことはよく分からないと首を横に振った。


「魔力については色々気になるけど……まぁ、田舎みたいな真っ暗闇じゃないならいいや」


ジャックと小声で話しつつアンに着いていき、客間だという広い部屋に通された。もう長い間使っていないと言う割には埃は少なく、簡素なベッドに寝転がっても咳き込むことはなかった。


「俺は眠らない、寝具は必要ない」


『え……? そ、そうですか? でも鎧くらい脱いだ方が……』


「必要ない」


『…………そうですか。何かあったらリビングの方へ来てください。家に入ってすぐ、右の方に他の部屋より大きめの扉があります、そこがリビングです。私は今晩はまだ眠れなくて……一人で晩酌でもしますから、お二人はゆっくり休んでくださいね』


アンが部屋から出るとジャックはベッドに背をもたれさせて床に座り、カクンと頭を垂らした。睡眠は必要ないとは言っていたが、機械ならスリープモードくらいはあるのだろう。僕はベッドに入ってすぐに眠った。


それから何十分か、何時間か、催して目を覚ました。アンや他の客達に付き合ってジュースを何杯も飲んだのだ、多少トイレが近くなっても仕方ない。しかし、僕はトイレの場所を知らない。


「ジャック……には、聞いても仕方ない」


地理を把握しているジャックでも一軒一軒の間取りなんて知らないだろう。機械とはいえ休んでいる最中に起こすのも忍びないし、一人でトイレにも行けないなんて思われたくない。


僕は部屋を出て玄関へ向かった。リビングを探すつもりだったのだ。どこにあるかも分からないトイレを探し回って不慣れな男の体で漏らす危険を冒すより、恥ずかしくてもこちらの方がいい。


「アンさーん……居ます……?」


それらしい扉をそっと開けるとアンの声と男の声が聞こえてきた。


『離してっ……離してください! いい加減にしてください!』


「酷いよアンちゃん、酷いよアンちゃんっ……信じてたのに、男を連れ込むなんて。こんな女だなんて思わなかったよ……あんな奴らにさせるんだったら、俺ともしてくれるよね?」


さっきの男だ。アンは掴みかかった男を振り払おうとしているが、その体格差から考えて当然、無駄な抵抗に終わる。


「へ、へへっ、へへへっ……アンちゃんのおっぱ──えっ……!?」


ジャックを呼びに行こうか迷っていた僕の心はアンの服がナイフで裂かれた瞬間に決まり、扉を勢いよく開け放った。


「やめろ! この変態!」


そう叫んだ僕が見たのは呆然とする男と部屋着を裂かれたアン。薄手のワンピースが破られて見えた胸元にあるべき膨らみはなかった。その代わりとでも言うべきか、足の間には立派なモノがある。


「え……アン、ちゃん? おっ、お前アンちゃんじゃないな!? アンちゃんを出せ!」


『……っ、ぁ……ぅあぁああっ!』


アンは叫びながら男の頬を叩いた──違う、切り裂いた。彼女の右手には肘の辺りまでまばらに白い毛が生え、手首から下は完全に白い毛に覆われていた。骨太な指の先には獣のような鋭い鉤爪があり、その爪が男の頬に深い切り傷を負わせていた。


「い、痛いっ……痛いよぉっ、ちくしょうっ、覚えてろ化け物!」


男は顔を押さえて開いたままの窓から出ていってしまった。だが、外には警官と同じ役割だろう男達がいる。すぐに取り押さえられるはずだ。

僕が考えるべきなのは男への対処ではなく、自分を抱き締めて肩で息をしているアンへの対処だ。

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