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退院後初めての外出

目を覚ますと車の後部座席に座っていた。


「ん……? ぁ、とう、さ……」


起き上がり、父の車であることを認識し、ルームミラーを通して父と目が合う。


「起きたか、勇二」


「ぅ、ん……ごめんなさい、寝てた……」


父の手が届く位置に居なくてよかった。渋滞にハマって不機嫌そうだ、家までに機嫌を治してもらわなければまた殴られる。


「…………ぁっ」


携帯端末がない。確か枕の下に入れて眠った。僕が元々持っていたものではないし、父がカバンに入れてくれたなんてありえない。病院に忘れてきてしまった。


「どうした、勇二」


「ぁ、いや……あの」


「ハッキリ喋れ! いつもいつもぐずぐずして……なんだ、父さんに言えないことか、あの女と同じに父さんに隠しごとをするのか!」


「ごめんなさいっ……ごめんなさい、ごめんなさい……隠しごとじゃありません、ごめんなさいっ……」


怒鳴られて反射的に蹲り、頭を腕で守る。しかし父の手が届くわけもなく、舌打ちだけが耳に届いた。



家に到着し、父に部屋を教えられる。

僕はこの家に来るのは初めてだ、中学に上がるのに合わせて引っ越して来たのだが、引っ越す前に大火傷を負って今日まで入院していたのだ。


「忙しいのに丁寧にありがとう、父さん」


声を高くして微笑むと父はじっと僕を見つめた後、右頬に触れてきた。


「……半分も焼けてしまったが、お前は本当に母さんによく似ている」


耳や顎にも触れてくるガサガサとした太い指からの不快感を顔には出さないよう気を付けて微笑みを維持する。


「あの女は俺を裏切った……あの売女はっ…………お前は違うよな? お前は俺を裏切って他の男に媚びたりしないよな?」


「……当たり前だよ、父さん。僕は父さんのこと大好きだよ」


「だよな……? なら、証明しろ」


太い親指の腹が唇を撫で、もう片方の手は自身のベルトを緩め始めた。僕はゆっくりと目を閉じてその場に膝立ちになり、口を開けた。



十数分後、ダンボールが積まれた自室に入った。片付けはせず、ぼうっと天井を眺めて過ごす。歯磨きとうがいはしっかりしたはずなのに今だに口内に違和感がある。


「…………父さんが、まともに……」


僕を殴らず犯さず愛してくれる父が欲しいという僕の一番の願いを女神が叶えてくれる。ようやく生きる希望ができた。


「……頑張らなきゃ」


そのために携帯端末を取り戻さなければ。今日は父がずっと家に居るだろうから外には出られないけれど、明日父が仕事に出たら病院に行ってみよう。落し物や忘れ物として預かってくれているはずだ。


「勇二、キッチンに来なさい」


ノックもなく扉を開かれ、キッチンに呼ばれる。左半身の皮が突っ張って素早く動けない僕を待つ父は酷く苛立っているようで、怯えから更に足がもつれた。

キッチンに着くと父はある家電を指差した。


「退院祝いにお前にプレゼントをやろうと前から思っていてな。ホームベーカリーだ、少し高かったが……お前が喜ぶ顔が見たかった」


パン焼きを趣味にした覚えはないし、左半身が上手く動かなくなったのに趣味を増やすつもりもない。父自身が食べたいだけだろう。


「……勇二?」


「ありがとう父さん、すごく嬉しい……ごめんね、いいリアクションできなくて。嬉しすぎて、なんか……その、びっくりしたって言うか、硬直しちゃってさ……」


「そうか、喜んでくれてよかった。美味しいパンを焼いてくれ」


説明書を読み込んで、レシピ本だとかも買わなければ。もし不味いものが出来たら、焦がしたりしたら、父に何をされるか分からない。練習したいけれど、明日にでもパンを出さなければ「せっかく買ってやったのに」と殴られるのは目に見えている。


「……本当にありがとう、父さん」


でも美味しいパンが焼けたら父が褒めてくれるかもしれない。機嫌が良ければ頭を撫でてくれるかもしれない。頑張ろう。




入院生活で曜日の感覚が薄れていた。

僕は昨日、父が仕事に出たら病院に携帯端末を取り戻しに行くつもりだった。しかし今日は四月二十六日の日曜日、仕事は休みだ。


「勇二、復学は二十八日からだ」


「火曜? 分かった」


昼食後、父が不意に呟いた。月曜日から学校だと思っていたが、火曜からなら明日病院に行こう。


「鞄や制服や教科書は部屋のダンボールのどれかに入っているはずだ、見たか?」


「ぁ……み、見てない」


怒鳴られるかと身構えたが、父は「そうか」とだけ言って左手の携帯端末に視線を落とした。会話が終わったと確信してから立ち上がり、昼食の食器を片付けた。


「皿洗い終わったし、部屋片付けてくるね」


「そろそろ夕飯の買い物に行った方がいいんじゃないか? 買い置きはもうないぞ」


「え……ぁ、そ、そっか……じゃあ、買い物行ってくるね」


この街の地理も何も知らないのに、火傷のせいで左半身が上手く動かないのに、一人でスーパーにでも行って二人分の食料品等を買ってこいと言うのか。

…………父はそういう人だ。せめて帰った後「どうして酒を買ってこないんだ」と殴られることのないように祈ろう。


父に何となくの場所を聞き、どうにかスーパーまで辿り着いた。結構遠回りをした気がする、もう足が痛い、荷物を抱えてこの道を帰ると思うと憂鬱だ。


店内掲示を見て安い食品を調べ、冷蔵庫の中身を思い出し、献立を考えていく。スーパーの陳列などを覚えるよう意識しつつ回っていく。


必要な物をカゴに入れたらレジを通して袋詰めを行うだけ。左手は重い物も小さい物も掴めず、前のようにはいかなかった。それでも頑張って終わらせると硬貨が落ちた高い音が連続した。


「すっ、すいません! すいません、すいません……!」


振り向けば背の高い青年が謝っていた。褐色の肌に、適当に切られた黒髪、そして何より印象的なのは四白眼と言ってしまいそうな三白眼。

体格と強面からは想像も出来ない姿勢の低さで謝る青年は精算中に財布を落として小銭をバラ撒いてしまったようだ。


「……お待ちのお客様ー、こちらへ」


この時間は急いでいる人が多く、青年の後ろに並んでいた者は苛立っているし、誰も小銭を拾う手伝いをしようとはしない。

恐ろしい印象の彼に関わりたくなくて僕も知らないフリをしようと思ったが、僕の足元にまで小銭が転がっているのが見えて観念した。

百円玉に五十円玉、五百円玉もある、青年は僕に背を向けているし、このまま盗って帰れないこともないな。


「あの、こっちにも落ちてましたよ」


悪い思考を振り切り、近辺にあった小銭六枚を拾い集めて青年の元へ行く。


「へっ? ぁ、ありがとうございます……!」


見た目の割に気が弱いのだろうか。声が裏返ったり吃ったり目を逸らしたり……人見知りだけで言えば僕より酷いかも。


全て集まったのだろう。青年は精算を済ませ、僕と同じに袋詰めを始めた。別にそれを眺めてやる義理もないので重たい荷物を抱え、スーパーを後にした。

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