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全てを失った日

2015年 3月21日 土曜日 1時24分




小学校を卒業し、来月から中学生。中学校入学に合わせて引っ越しをすることになり、僕は今から緊張している。


「……寝れない。水飲も……」


春休みの間は父の実家に帰省することになった。実家と言っても家があるだけで祖父母は数年前に他界しており、今この家には僕と父母の三人だけだ。


「水、水…………父さん?」


この帰省は父が提案した。母と仲直りしたいと言っていた。散々殴って監禁しておいて何をバカなことを……とは思ったが口には出さず、子供らしい笑顔を作って「頑張って父さん」と応援しておいた。


「勇二っ……!?」


父が仲直りしたがっていた母は首に縄を巻き付けられてぐったりとしていた。小学校卒業したてのガキでも分かる、母はたった今父に絞殺されたのだと。




僕達は本来は四人家族だったらしい。僕が産まれる数年前、冬の日にアパートの外階段から落ちた母は流産した。僕の兄は産まれる前に死んでしまったらしい。


それから全てが狂い始めた。


母は結婚前から息子を欲しがっていたようで、待望の長男を流した母は精神を病んだ。娘の僕に勇二(ゆうじ)と名付け、男として振る舞うことを強要した。

一人称は「僕」に、スカートは禁止、オモチャは恐竜や車を、テレビ番組は戦隊モノ、出来る限り外で遊ぶ──などなど。母の思う男児を演じさせられた。服を汚したり膝を擦りむいたりして帰ると喜ぶので何度もわざと転んだ。


僕が息子らしく振る舞っても母は僕が息子ではないと思っていたようで、精神状態は年々悪化していった。父は母を溺愛していたので僕に母を気遣うよう言いつけ、上手くできなければ僕を殴った。

ある日、母の浮気が発覚して、父は母も殴るようになった。


小学四年生の頃だったか、僕は父に暴行された。僕は母に瓜二つだから、まだ自分を裏切っていない好みの女を手に入れたかったらしい。

兄の死から全てが狂い始めたと言った通り、僕の人生は始まった時から最低最悪だと、今日この日まで思っていた。




最低最悪だなんて大間違いだった。僕の人生はまだドン底にはついていなかった。


「どうしてこんな時間に起きているんだ!」


「の、喉乾いてっ……父さんっ、母さんどうしたの? 母さんに何したの!?」


父が母の首に巻きつけた縄の両端から手を離すと母はゴトンと音を立てて頭を床に打ったが、ピクリとも動かない。


「…………が……い……だ」


「父さん……?」


「この女が悪いんだっ!」


きっと既に死んでいるだろう母を蹴り飛ばし、父は僕の方へ向かってくる。足がすくんで逃げられず、両肩を掴まれた。


「この女は俺を裏切って他の男とできてたんだぞ!? 俺はそれを許してやろうと思ったんだ、なのにこの女は俺と別れたいとぬかしやがった! 俺は説得しようとしたんだ、俺は愛情を伝えたんだ!」


父越しに母の死体を見れば、めくれたスカートから見える太腿には大量の白濁液がこびりついていた。床にも同じ液体が飛び散っている。


「でもダメだった、この女はもう俺を愛していなかったんだ。だからっ……勇二、勇二は、俺を裏切らないよな、勇二は俺を愛しているよな?」


ここで首を横に振ったら死ぬ。沈黙しても死ぬ。どもっても死ぬ。


「もちろん……」


「……父さんのこと、好きか?」


「好き、だよ。父さん……」


父に抱き締められて安堵し、父が母の元へ向かって冷静になった僕は「別に死んでもよかったんじゃないか?」と思い始めた。


「重いっ……クソッ……」


父は母を庭に運ぶと車に向かった。戻ってきた父はポリタンクを持っている。衝動的に殺してしまったように言っていたが、最初から殺して燃やして埋める予定だったらしい、いや、もしもの備えか。


「と、父さん……」


「……部屋で寝ていなさい」


動かない母に灯油がかけられていく。死んだ母を見るうち、僕の脳裏に母との思い出が蘇ってきた。

ヒーローごっこで遊んでくれた。公園に連れて行ってくれた。遠足の日にはお弁当を作ってくれた。

普段がヒステリックなものだったからこそ、ドラマで見るような母親のように振る舞った一瞬は僕の脳に強烈に焼き付いていた。


「や、やめて……父さん。ねぇ、やめてよ……やめてってば!」


気付けば父に体当たりをして母を起こそうとしていた。灯油の匂いが不快だ、父に体当たりをした時に僕にも少し飛び散ってしまった。


「母さんっ、母さん起きて! 母さん!」


「勇二っ……! どけっ!」


「痛っ……や、やだ、母さん……!」


首根っこを掴まれて引きずられ、庭の端に投げ捨てられた。止める暇もなく母に火のついたマッチ棒が投げられた。瞬間、火が地面を走り、僕に向かってきた。


「え……? ゆっ、勇二っ!」


母と同じように炎に包まれる。息を吸えば喉が焼け、叫び声は一瞬で消えた。


「勇二っ! 勇二ぃっ!」


何も見えないが父が僕を呼ぶ声は聞こえる。この音は消火器だろうか。今、僕に何かを被せた? あぁ、これは水かな……? 父は僕を助けようとしてくれているようだ。


「き、消えたか……? 勇二……」


父が慌てているのは足音で分かった。立ち止まった父が電話をかけ始めたのも分かった。


「は、はい、娘が……その、マッチで遊んでしまって、庭で……はい、灯油を置いていて、その、大火傷を、はい……」


救急車を呼んでいるようだ。だがこの家は山中にある、隣家が数キロ先にあるような場所だ。僕はそれまで生きていられるだろうか。


「ふぅっ……勇二、救急車が来るまでかなりかかる……父さんは母さんを別の場所に移してくる、すぐに戻るからな」


また慌ただしい足音が聞こえて、それすらも消え、虫の声だけが聞こえていた。


「はぁっ、はぁっ……救急車は、まだだな……よし」


何分経ったのだろう、父が帰ってきた。酷い苦痛の中にいるからか僕の体感では数時間経っているように思う。


「勇二……大丈夫、大丈夫だからな」


父は母が燃えた場所で新聞紙や雑誌を焼き始めた。サイレンが聞こえるとその火を消し、救急車を迎えに行った。


「こっち! こっちです! 早く娘を……!」


もう意識を保てない。僕がこの先も生きていけるかも、どこの病院に運ばれるのかも、父が捕まるかどうかも分からない。


「と、ぅ……さ……」


最後の力を振り絞って声を発すると父は右手を握ってくれた。


「勇二っ……勇二ぃ、ごめんな、ごめんなぁ……」


全身が痛い、熱い、体内まで渇いている。僕はこのまま死ぬのだろうか。

ポロポロと涙を零している。僕を心配している。いつもこんなふうなら僕はもう少し楽しく生きられたのに。

僕を殴らず、僕を犯さず、ただただ愛してくれる父となら、もっと生きたい。

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