旅路の果て…
夕暮れ、ゼイター侯爵領をニ頭立ての馬車が急いで横断している。
馬車を駆るのは、小太りの中年男。今夜中に魔境【死の岬】への無茶な強行軍を依頼された彼は、被害者といえるだろう。死霊が蠢く夜には着きたくなかったので、馬の疲労などお構いなしで走らせていた。
その甲斐あって日があるうちに旧公国領に入ることができた。街道沿いに花が植えてあるので間違いない。そのような美徳と余裕があるのは、税金優遇されている旧ギオン領くらいなのだから。
今は土地自体、連邦に併呑されているため、かつていた国境の見張りや魔境警戒のギオン兵はいない。
【死の岬】付近には柵が健在だと聞いているので、それが見え次第 馬車を止めることになっていた。
座席には、現在 隠居地へ強制連行されているソドム。黒地の服を着ているだけで武装もしていない。貴族の赤マントは もはや不要なので、出発の際に窓から投げ捨ててきている。
同席している護衛は二人。双剣の使い手 旭日傭兵団長ラセツと団員の重装歩兵アズサが乗っていた。
力自慢の鉄球使いアズサが同席しているのは、明らかに逃走防止のためである。
馬車の前では、団員の槍使いアテネと、侍の芦間が騎馬で先行している。
わざわざ確かめていないが、しっかりと送り届けたか確認すべく、連邦の騎士団が馬車を追跡していると思われた。
もし遅れたり、逃すような行為があれば、それを口実に傭兵もろとも皆殺しにするはずだ。そうでなくても、襲撃してから証拠を捏造する可能性もあるので、馬車側は緊張しっぱなしである。
後盾であるアジールからの依頼でなければ断っただろう。報酬は一人当たり金貨十枚・・・傭兵稼ぎ数か月分の収入に匹敵する大盤振る舞いが、逆に疑惑を深めさせていた。
アズサは多弁ではないのだが、自らを落ち着かせるためにもソドムに話しかけることにした。連邦の大貴族ではなくなった男には、もはや敬語は不要であろうと普段の口調で
「あなたも災難だな。公爵から転げ落ちて辺境どころか魔境に追いやられるんだから」
割と激しく揺れる馬車で、ソドムはワインを片手に揺れを楽しむかのように身を任せ、正面の逞しい女戦士を見た。アズサは重装備で戦う際に、力いっぱい歯を食いしばっているからか顎のあたりの筋肉が発達していて、シュラのような可憐さは微塵もなく、「精悍」な印象しか持てず・・・話しかけられるまで置物程度にしか思ってなかった。
「ん・・・、ああ。禍福は糾える縄の如し、というからな。悪いことばかりではない」と言い、さり気なく座り直し 横のラセツに にじり寄る。
ラセツは、ソドムの周囲にはいないタイプで、「凛とした雰囲気」があり 実に新鮮であった。浮気する気は毛頭ないが、「この青髪の娘は、あちらの色も青なのだろうか・・・?」という探究心がなくもない。
一国の王から・・・ただのオッサンにクラスチェンジした今では、惚れられる要素がないのは自覚している。
加えて、彼女らには闇の力を見られているので、普通に考えてに好感度が上がっているとは思えない。
が、せっかく隣にいなくてはならない状態なのだ、密着や偶然もたれかかるくらいのハプニングは許容範囲ではなかろうか、とソドムは勝手に思っていた。いや、確信していた。
お堅いラセツは、セクハラじみた接触に発狂しそうなのだが、頑張って 笑顔をソドムに向ける。ソドム側から見えない左手が、悔しさで剣の柄を握りしめ「カタカタ」と音を鳴らす。
任務に真面目な彼女は芝居じみてはいるが、気を使って傍らに置いたバッグから大和の銘酒を取り出した。
「わ、我々も全力でサポートいたしますので、どうか お気を落とさぬよう・・・。そう!この幻の銘酒【竜王】でパーっといきましょう!!」そう言って、瓶のラベルをしっかり見せる。
(任務の為とはいえ・・・、金貨一枚の出費は痛い。念のため領収書はあるから、経費として認めていただければいいけれど)
「おお、いいね。大和の酒は半年ぶりだ。しかも、幻の酒とは・・・」ソドムは嬉しそうに頷いた。
(おかしい、武骨な仕事中毒のラセツにしては気が利きすぎる。そして、こんなに人を励ます陽キャではなかったはず)
不信感を持つソドムだが、顔にはださない。熱心に銘酒の説明と入手の困難さを語るラセツに合わせ、機嫌よく相づちを打っている。
にしても、説明は長かった。10分くらい語っていただろうか、もちろん終わるまでは飲ませるつもりはなさそうである。ラセツとしては、高い酒だと理解した上で、しっかり味わってもらいたかった。なんせ、一か月の飲食代より高いのだから。
しばらくして、馬車の速度が落ち、やがて止まった。それに合わせ、ラセツは どうでもいい説明を打ち切り、ソドムに大和の盃を渡し、
「どうぞ、御飲みください」と言って並々と酒を注ぎだす。不器用なのか・・・勢いよく注ぐものだから、ソドムは両手で受けるはめになり、
「ちょ、おい!注ぎすぎだ!」と声をあげた。それでも止めないので ついには表面張力ギリギリまで満たされた。
もちろん、どさくさに太ももと肩を密着させるのは忘れない。ラセツ、笑顔ながらも微かに眉間にシワがよった。ラセツ名物?である獅子舞スマイルほど醜くくはないが、なかなかできる表情ではない。
散々貴重さを叩きこまれたソドムは、絶対こぼさぬように持ち、慎重に口元へと近づけようする。
ソドムにしては珍しく真剣であった。しかも、最大限のもてなしに対して染み渡るような笑みも作らなくてはならず大変だ。
(月収の半分もする もてなしを無下にはできん。集中しろ、集中!)
飲む前に出立時から気になっていたことを、ソドムはおもむろに質問した。
「そういえば、現地で野営するにしろ、拠点を作るにしろ荷物が少ないようだが?」と、盃を慎重に維持しながら横のラセツに顔を向ける。
ソドムの視線を感じながらも目を合わせず、口元あたりを見ながら ラセツはぎこちなく微笑んで、首を縦に振った。
ラセツの合図に反応したアズサが素早くソドムに飛び掛かり、むんずと彼の両手を掴んだ。当然、秘蔵の酒は盃ごと宙に舞う。
「隙あり!意外にちょろいな、アンタ!」と、アズサがシタリ顔で言う。
生粋の戦士ではないソドムは、彼女の怪力を振り払うこともできずに、身動きが取れなくなった。剣での勝負なら圧倒できるだろうが、力比べでは どうにもならない。
せっかくの酒が飛び散り放心状態だったラセツだが、任務中であることを自らに言い聞かせ、手際よくバッグから手枷を取り出し、「ガシャリ」とソドムの両腕にに嵌めた。
その表情は計画通りになった達成感と、騙し討ちした罪悪感、高級酒が霧散したことなどが混在していて、精彩を欠いている。
ソドムを拘束している手枷は金具以外の大部分が木製とはいっても、岩に打ち付けた程度では壊れる代物ではないのは一目でわかった。ならば、抵抗して体力を消耗するより、ソドム得意の交渉とデマカセで きり抜けるのが賢明だろうと思い、冷静に目を閉じて状況を聞く。
「さて、これは・・・どういう事かな・・・?」
返事はない。それどころか、せわしなく荷物をまとめ馬車を降りた音が聞こえた。
そこでソドムは悟り、「ラセツ、お前もか!」と心で叫ぶも、早とちりの可能性もあるのでグッと気持ちを抑える。
旭日傭兵団は、宮廷魔術師アジールから魔境前でのソドム拘束をあらかじめ命じられていて、その際にソドムの口車に乗せられぬよう速やかに馬車から離れるよう言い含められていたのだ。
労せず領地を手に入れたアジールは、逆恨みでソドムに復讐されないため、ついでに連邦の将来の禍根を断つ為、どうにかしてソドムを始末しておきたかった。
ただ、不可侵条約と連邦の面子があるので、連邦軍はソドムに手出しできない・・・刺客を雇うこともできぬ。
が、数日前に今回の謀略をある者から持ち掛けられ、決行したのだった。
傭兵を使い、人気のない場所でソドムを拘束し、部外者に引き渡し処分させる・・・。これならば、直接手を下すこともなく済み、ソドムは隠居先である魔境で健闘むなしく敗亡した・・・と繕うことができると企んだ。
そして、世間にバレる前に帰路の傭兵たちを、騎士団に命じて始末するのだ。ソドムが魔境で野垂れ死んだというシナリオでも良し、勘のいい者が所在を疑うも良し。仮に人為的な事を疑われたとしても、雇われの者が小銭欲しさに貴族を襲うという話は珍しくもないし、犯行後は姿をくらますのが普通ゆえに、犯人が行方不明になっても誰も不思議には思わない。
計画通りにソドムを乗せた馬車は、魔境の手前にポツンと取り残された。
日が暮れ始めた森に手枷をつけられた状態でいるのだ、腹をすかせた肉食獣の群れに子羊が迷い込んだようなもので、あり得ない現実にあっけにとられるのは一瞬のことであり、不可避の凄惨な未来が待っているのは間違いない。
だが、ソドムは動じない。
「もしかしたら・・・。もしかしたら、放置プレイの一種で激しいツンデレの可能性は0ではない」などという甘い考えが、ほんの少しよぎっていた。
一緒に取り残された小太りの御者が、外側からゆっくりと馬車のドアを開けて、
「さあ、着きましたぞソドム卿・・・」と声をかけてきた。
なんとも情けない格好のソドムだが、着いたと言うのなら降りなくてはならず、目を開け御者を一瞥する。聞き覚えのある声だとは思っていたが、なかなかの扮装に口元が緩んだ。
「ガッハハ~!ようこそ、黄泉の国へ!持つべきものは友垣よのぅ。このように計画が上手くいくとは、笑いがとまらんわ」と、御者に扮していたハンドレット元伯爵は満面の笑みでソドムの肩を叩いた。体型こそ太ったままだが、心労のせいで少し頬が痩けている。
ハンドレッドは財を失い 身一つの逃亡生活で、目立つ豪奢な身なりからボロ布のような衣服を纏い、相当苦労してきたようだった。
茶色の服は叩けばいくらでもホコリがでそうな汚れ具合であったが、落ちぶれれば落ちぶれるほど、彼の執念は強くなり、目的を達成した今、喜びはひとしおであった。
「連邦領で派手な宴をするわけにもいかぬ。時間はいくらでもらある・・・死の岬の先端までお付き合い願おう。・・・そこの酒を拾い飲み、せいぜい寛がれよ」
ハンドレッドは歓迎の喜びを込め乱暴にドアを閉め、魔境・死の岬奥へと馬車を向かわせた。
ラセツは、森の闇に消えてゆく馬車を遠目で見ながら唇を噛んでいる。
仕事と割り切り、皆で祝杯をあげて後悔はないのだろうか?
今さらながら、雇い主を敵にまわして、姉の義理親を救出しに向かうべきか・・・苦悩していた。
どちらにしても、アジール配下の追手との戦いは避けられず、運命は変わらないのであるが、本人は知る由もない…。
「倒」へと、つづく