新天地へ・・・
ギオン公国の降伏調印式は、連邦軍が仮本営としていたゼイター伯爵のダリウム城で行われた。
連邦の王族では、王ファウスト、長男のゼイター侯爵、次男のギオン公国司法騎士アレックス、宮廷魔術師長の冴子たちが上段に座り、将軍や騎士団長が横にズラリと並ぶ。
式の進行役は戦の功労者である宮廷魔術師アジールが担った。
見せしめとして、ソドムを連邦王都まで連行して行わなかったのは、連邦出身のソドムへの配慮と・・・急ぐ理由があったようだ。
が、当事者のソドムは憔悴した様子もない。むしろ、この軟禁された期間の「飯と宿代が浮いた」などと考えていた。臣下のように片膝を着き、頭を垂れていても、彼にとっては旧主に礼を尽くすようなものだから、プライドが傷つくわけでもないのだ。「やらかして、叱責されている」程度の感覚なのだろう。
そんな能天気なソドムに対し読み上げられた文書には、ソドムから爵位を剥奪し、領地を召し上げ・・・更なる辺境にて隠居するよう書いてあった。
条件こそ厳しいが、命はとらないのだから温情ともいえるだろう。
調印後、連邦王ファウストは立ち上がり、自ら引導を渡すような形で高らかに隠居の地を告げた。
野太いその声は、初老の域に達しても、よく通る・・・。
「ソドム卿、そなたには旧領の東に隠棲してもらう。望みどおり不可侵条約も結んであるゆえ、我が軍は永久に攻め込まぬ。また、周囲は連邦の領土であるから、帝国の脅威もない。何とか岬に館でも建てて、ゆるりと余生を過ごすが良い・・・」そういって、不可侵の誓紙をソドムに渡し、同情なのか軽く肩を叩いた。
連邦王には、妻を侮辱されて激昂したソドムが【運のない被害者】に映ったのかもしれない。それと一騎打ちを逃した物足りなさもあるようだった。
物足りなさといったらゼイター侯爵も同じで、公国が攻めてくるのを待ち構えていたが、肩透かしを食らい欲求不満気味で機嫌がよろしくない。
アレックスは何気ない隠居地の言い渡しに疑問を持たなかったが、数秒して理解した。
(公国の東・・・、亡者がうろつく未征服の【死の岬】のことではないか!つまりは、死ね・・・ということ!)
あまりの理不尽さに青ざめるアレックス。父王を諫めんと立ち上がろうとした・・・と、その時にソドムと目が合った。
諦めたのか、冷静なのか表情を変えないソドムは、アレックスにだけ伝わる程度に首を微かに振る。
ソドムにとっては想定内だったのだ。自分が勝者ならば、わざわざ敗者に領土を割譲するだろうか。
(処刑できないのなら、危険地帯に行かせて死んでもらうだろう。そうでなくても、未征服の地を切り取らせるのならば、領土が減るわけでもなく、逆に開拓させることができ、頃合いを見て奪うこともできるわけだ。俺ならそうする、いつぞやの闇の信者どもにしたようにな)
アレックスはソドムの精彩ある目を見て、理解した。いままで死の岬を攻略できなかったのは、連邦の手伝い戦や、街の防衛に兵力を分散していたからであって、不可侵条約で攻めてこないのなら、街を空にして全軍で攻め込むことができるではないか、と。民に補給などの協力をしてもらえば、戦える兵はさらに増えて勝利は確実と思われた。
アレックスは何事もなかったかのように座り直し、視線を王に戻した。
連邦王の思考は、次の会議に移っており、臣下に目配せして移動を告げる。元からスケジュールが決まっていたため、ゼイターら王族は立ち上がり、将軍たちも連邦式の敬礼をした。
第二王子であるアレックスも会議に参加しなくてはならないが、ソドムへの処遇が曖昧なために不安を感じ、少し留まることを願い出て、許可された。
(今更、謀殺されることはないだろう。しかし、条件が緩すぎる・・・)
連邦王は宮廷魔術師アジールにソドムの処遇を一任して、別の会議のために皆を引き連れて部屋をでた。宮廷魔術師長の冴子は、去り際にチラリとソドムを見たが、バツが悪そうに目を逸らしてから、何事もなかったかのように王に続いた。彼女からすれば、秘密を守り チャンスも与えたわけだし、結果はどうあれ命が繋がったのだから「恨むなよ」という心境なのだろう。
アジール以外は、旧ギオン公国のソドム、アレックス、ポールの三人が今後の身の振り方を話し合うため残っている。
アジールは連邦王の代理として話すべく上段に移り、アレックスは連邦の序列に従うべく下段に降りて、ソドム同様に片膝を着く。
ポールは連邦所属の騎士なので合わせる必要はないのだが、敬服するアレックスにが膝を屈するならば、彼もそれにならった。
いきなり殴りかかってくるかもしれない元上司がいなくなり、ソドムの表情は確実に緩んでいる。
(いよいよ隠居かぁ〜。レウルーラは当然だが、シュラも連れて行かないとな。クフフ、時間とチャンスはいくらでもある…眷族シュラが、どこまで命令をきくのか試さないとな!おっと、いかんいかん。事が成就するまでは神妙な顔をしなくては!)
上段のアジールは戦功をあげても服装は黄土色の魔術師ローブのままであるが、思い描いた絵の通りに事が運んだことによる自信が加わり、大魔術師のような威風が漂っていた。
王の代理として、かつての公爵と王族であるアレックスに命を下すのだから、その気分たるや天にも昇るようであった。
(直轄地を任されただけとはいえ、領主は領主。これで、宮廷魔術師の中でも頭一つ出たというもの・・・。このエロバカ公爵とコウモリ伯には随分と踊ってもらった)
下段にいる者共を見下ろし上機嫌のアジール。しかしながら、ソドムからにじみ出る膨大な魔力と、ファッションと押し切られた彼の赤き眼が気がかりで仕方がない。
(今回の戦で一番得をしたものは連邦であるが、その中で労せず利を得たのは・・・この俺。伯爵をけしかけたのは事実であるし、頃合いを見て進軍したのも、タイミングが良すぎたやもしれぬ。後にソドムに疑われても仕方がなかろう)
相手の心を見透かそうと、つい凝視してしまったアジールだが、ソドムからの憎悪を感じることはできなかった。むしろ、解放されたことによる喜びのようなものが漂っている気がしないでもない。
惑わされまいと、アジールは目を強く瞑る。
(その手には乗らんぞ。この男は一代で王になったほどの食わせ者。窮状を逃れるために自分をも偽っているのだ。思い出せ!コイツは明らかに怪しい危険人物!そして、妙に人心を掴むことに長けている。やはり、禍根は断つべき・・・)
「さて・・・、ソドム卿。貴公には今日中に彼の地にお移りいただきたい」と、第一声から無茶な事を言った。距離的には馬車で夜中には着くかもしれないが、亡者が蠢く魔境へ軍も連れずに向かえというのは非道すぎる。
「承知した。然らば、これにて・・・」
ソドムは、即座に応じて立ち上がる。アレックスは素早く義理父を制し、アジールに食って掛かった。王族としてあるまじき反応である。
「亡者が蠢く岬へ・・・単身乗り込めというのは謀殺と変わらぬと思いますが・・・いかが!?」
素直に従ったソドムであるが、そこはアレックスが止めてくれることを計算に入れての話で、本気で行くつもりなどない。ちょっとからかってみただけだった。
(アレックスは親思いのいい子に育った。からかった俺の罪悪感よ・・・)
これにはアジールも少し狼狽し、
「いやいや、これは誤解を招く発言でありました」と詫びて、手を叩き配下を招き入れた。謁見の間に現れたのは、戦士四人。
「ご安心召され、場数を踏んだ傭兵を護衛につけ、頑丈な馬車で向かっていただきます。実のところ・・・、連邦王が王位を譲り傭兵になると言って駄々をこね始めましてな・・・。処分の決まったソドム卿に関わり合ってる場合ではないのです。形だけでも早々に退去していただきたい。よろしいですな?」とアジールは詰め寄るように言った。そこにはソドムが断らないだろうという自信があった。
ソドムは後ろにいる傭兵を見て納得して、アレックスにアジールの人選の良さを説明する。
「心配するな、半年前に護衛してくれた者たちで信頼できる。青髪の団長はラセツといってな、シュラの妹で腕もたつ。これならば、後続軍が来るまでは十二分に踏みとどまることができるであろう」と、険しい表情に微かな笑みを見せる。
(アジールめ、女ばかりの旭日傭兵団を護衛につけるとは・・・気の利くヤツだ!よし、決めた。存分に甘えるぞ、俺は!)
「ああ!山賊集団相手に大立ち回りした方々でしたか。でしたら一安心です」安堵するアレックス。
アジールが頷くと女傭兵たちはソドムの近くまで来て、出発を促した。
「では、ソドム卿を頼むぞラセツ」
「はっ、お任せ下さい」ラセツはそう言って一礼し、ソドムにも深々と頭を下げた。それを受け、ソドムも踵を返し軽く挨拶をする。
「すまんな、また世話になる」これからの事を思い、つい口元がほころぶ。
(ということは旭日傭兵団の後ろ盾はアジールだったということか。てっきり冴子かと思っていたが。いずれにせよ、俺やシュラの闇の力をアジールに報告していないということは、口が堅い信頼できる奴らだな。俺だったら密告して報酬を得るかもしれん)
ソドムは生真面目さを評価しつつ、利用しやすい…とも思った。
この時、前途に不安がないソドムは自衛の武具すら要求しなかった。よほどラセツ達を信頼していたのだろう。
数日で合流するだろうから、ソドムは特に別れを告げずに部屋を出て行った。
アジールは、去るソドムの背をジッと見つめている。
(存外あっさりと引き下がったな…。抵抗してくれたら誅戮できたのだが)
完全に退出したことを確認してから口を開いた。
「アレックス殿下、ギオン公国の件は これで終わりです。お気は済みましたかな?」
そう言うと、アジールは上段から降りてアレックスに歩み寄った。
「さて…、かつてない重要な会議が控えております、参りましょう」
アジールが手で促したが、アレックスは応じない。
「いや、私は急ぎ公国に戻り兵を集めますので、これにて失礼致します!」
若さゆえ…、感情を抑えられず、損得勘定など毛頭なかった。
軽くため息をついて、アジールは引き止めた。
「殿下、なればこそ…会議に行かなくてはなりません」
アレックスは焦る気持ちを抑え、王位よりも義理父が優先だと言った。
アジールはことさら口調を穏やかにして説得を試みる。
「よろしいですか?公国は滅び、土地も軍も連邦に帰属しておりますので、今行っても兵を集めれませんぞ。連邦領の兵を募るには、会議に行き 国王になるしかないのです」
(ゼイター侯爵はアレックス殿下に王位を譲ると以前から公言しておる。つまり、若造を担いで後見人に納まれば、冴子を失脚させて宮廷魔術師長になり、宰相として実権を握ることもできるやもしれぬな。そこまで上手くいかなくとも、気性の荒い連邦王がいなくなるのだ、十二分にツイている)
「左様、王位を継承してこそ出来る事もありましょう」と、ポールも賛同した。長年、アレックスを連邦王にするため尽力してきた彼としては、千載一遇の機会を逃すつもりはない。
(どうやら、アジールは殿下 推しのようだな。あわよくば宰相に・・・とでも考えているのだろうが、私が軍務を受け持って外敵を駆逐できるのであれば問題はない。むしろ、民の不満が暴発した時の生贄にもできて好都合。いずれにせよ、このような状況になったのはソドム卿のおかげ・・・連邦の意向としては見殺しにするだろうが、落ち着いたら墓ぐらいは建ててやらねばな)
二人に諭されて、アレックスも考え直す。彼には野心がないのだが、敬愛する義理父の命を救うためなら王位だろうが利用しようと思った。それがソドムを助ける一番の近道であり、連邦王になってソドムから教わった事を政に活かすというのも親孝行である、と自分を納得させた。
「・・・わかりました。皆が望むのであれば王になりましょう!」アレックスは決意を秘めた目で二人を見つめ頷いた。
(もちろん、王位に就いたら開口一番、死の岬攻略を命じますが)
「殿下・・・」老将ポールは言葉を失い、溢れ出る涙を手の甲でせき止めてうずくまった。
無理もない、ギオン公国などという わけのわからない辺境の弱小国に付き従って十年。苦難もあったが、それ以上に希望が見えなかったのが辛かった。
広大な領土を持つ長男ゼイター侯爵とは競争にもならない土地、しかも本当に隠居するかわからない狂人ソドム公爵の下にいたのだ、アレックスを連邦王にするなど夢のまた夢・・・絶望に近かった。失意のあまり、ソドムを陥れるため手を汚したこともある。
ともあれ、報われる日が来た・・・それも唐突に。そう思うと、つい涙が出てしまうポール。
アレックスが寄り添って、共に行こうと声をかけた。
「心配ばかりかけてすまなかった。私は王になります。今まで通り補佐してください」
ポールは涙を拭き、立ち上がった。
「もちろんです。ソドム卿とゲオルグ殿もおられませんから、私が全力でお支えいたしますぞ!」と、力強く言った。
少しでも取り入ろうと、アジールがウンウンと貰泣きしながら同調し、
「殿下、ポール殿・・・参りましょう」そう言って、会議の場へ手を取るように先導していった。