25話『悲しみを君に 少しのお別れだ』
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「未成年ながら拳銃を使って人を殺したにも関わらず、無罪になった少年A――その判決は悪い意味で、忖度された結果だと思ってるんすよぉー。君はどうですかね?」
先ほどボーンと名乗った大学生くらいの男が、改めてスマホのカメラを向けた。
確かライブ配信中だと言っていたな。
おそらくはモザイクや声の加工なども入っていない。
つまりどこかしらの配信サイトで今、俺という存在がそのままインターネット上に晒されているということだ。
何人が見ているかは分からないが、下手なことを言えば一生ネットの玩具――下手な脅しより凶悪だな。
俺を監視する女警官の宮下がこちらに来ようとしたので、手を出さないよう合図を送りつつ、視線をボーンに戻す。
「どうって?」
「君、彼の友達でしょ? 友達が裁判員の同情で無罪になったんです。ぶっちゃけ迷惑してますよね? テレビとか記者から話を聞きたいって言われたり、巻き添えで顔とか名前晒されたりしちゃったんじゃないっすかぁ? こんな目に遭うくらいなら牢屋の中で大人しくしてほしかったとか、公平に裁かれてほしかった――って思ってません?」
俺の目的はあくまでも、この男がどうして釈放された二人との合流地点を知っていたのか、ひいては誰がその情報を漏らしたのか――それをはっきりさせることだ。
なので馬鹿正直にこんなくだらない話に付き合う必要はないのだが――。
何者かによって差し向けられたこの男。
その意図に疑問が尽きない。
誰がどのような動機を持って行動した結果、この状況が作り出された?
どうにも――何かに試されているような気がしてならない。
「――――」
逡巡の末、俺は決めた。
いいだろう――同じ盤上に立ってやる。
拳を固く握り直し、眼前の男を睨む。
「出まかせを言うな、バーン。勝手にカメラを回して俺の気持ちを捻じ曲げるなよ。こんなことをしても無意味だ」
「おっと、かっこつけるならちゃんと目線くださいねー。それとぼくは、バーンじゃなくてボーンです」
「歩兵か。いいね、確かにそんな感じがする」
何者かに操られているという点において、これ以上ない名前だ。
「チッ……」
ボーンが小さく舌打ちをした。
それから口、スマホのカメラ、俺の順に指を向け、最終的には親指を地面に向ける。
どうやら俺が、ネットに晒されているという事実を正しく理解していないと思われたようだ。
「こほん」
気を取り直すように咳ばらいをしたボーンが、再び口を開く。
「いやいやいや、これは公平な裁きに必要なことなんです。君も知ってるでしょ? 少年Aの無罪は世間じゃあ賛否両論――どっちかと言えば否定派のほうが多い。殺人犯が野放しなのは危険だ。子供のうちからそんなことをする奴なんだから"いつかまた絶対やる"って、みんなが思ってる。実際、ぼくの配信でも批判的な意見が多い、ほら」
見せられた画面には、注視しないと文字が見えないほどの速度でコメントが流れていた。
配信タイトルは『【正義の鉄槌】少年Aに公平で公正な裁きを!【墓穴チャンネル】』。
目に入ったコメントをいくつか見たが、批判ではなく批難。意見ではなく暴言といった印象だ。
随分と盛り上がっているな。
少年A――もとい楓への誹謗中傷もだが、すでに俺への悪口も書かれている。
不細工だの、声や口調がキモイだの、頭悪そうだの。
見ていて気持ちのいい言葉は一つも書き込まれていない。
「……悪趣味だな」
「これが"民意"なんすよ。まあ、君への中傷まであったのは悲しく思いますけどねー。でもさ、悪いのは君だよ? 犯罪者を庇ったらこうなるのはトーゼン。むしろ自分で火中の栗を拾った以上、君に文句を言う権利は、なーい」
「それは君が決めることじゃない。思うのは自由だが、それを人に押し付けるのはよくないことだ」
「押し付け? ははは! ぼくは別に独善的ってわけじゃないっすよ! だって今ぼくの配信を二万から三万人が見てるんすけど、これはぼくが人気者だからじゃーない。みんながぼくを通して彼に裁きを下そうとしているんだって! 君と話しているのだって少年Aの居場所を聞いて、直接会って世論を伝えて、償いの機会を与えてやるため! 国が裁かないなら民衆が裁くしかないでしょ! 犯罪者には正義の鉄槌が必要なんですよ!」
「……」
思わず言葉を失ってしまった。しかしそれはボーンの言葉に、神の教えを説かれたかのような納得を得たからではない。
むしろ逆だ。
今の俺は"呆れ果てている"と言ってもいい。
だがボーンはこの僅かな沈黙をある種の敗北宣言だとでも思ったのか、すかさず叩き込んでくる。
「ほら、教えてくださいよぉ。少年Aはどこに逃げようとしてるんすか? ああ、なんならもう一度コメ欄見ます? 世の中の意見が分かっちゃいますよ? えー、『少年Aに実刑を!』。『無罪なんて甘すぎる。極刑にすべき。それが妥当』。『相手の家族が可哀想! 死刑でいいよ』――」
突きつけられる言葉の刃。
しかし熱くなることはない。慌てず冷静に、考えることを止めるな。
今の俺がやるべきことはコメントの一つ一つに反論していくことではない。
この刃の雨によって削がれ、抉られ、それでもなお残る俺の主張を、絶好のタイミングで突きつけること――今は、雌伏のときだ。
「まだまだありますよ? 『子供の責任は親も取れよ。即座に謝罪しろ!』。『同情の価値ナシ』。『人殺しは絶対にしちゃ駄目。それ相応の報いを!』――おぉ、これは面白いコメントすね。えー、『少年Aの影に隠れてるけど、人を殺して無実になった少女Aもいる。二人は顔見知りどころか恋人関係』――これほんとかよ! ってことは殺人鬼カップルってこと⁉ これ知ってましたかぁ?」
「……」
「何とか言ってくださいよぉ。……じゃもちょっと、コメント読んじゃおっかな。『恋人もクソとかマジで社会のゴミ』。『ここまでのことをしたんだから叩かれて当然』。『罪の意識もないとか頭イカれてる』。『生かしておいても損しかない!』。『友達ならむしろ庇うなよ』。『実名報道するべき。相手は人殺し』。『のうのうと生きてるのが腹立つ』。『生まれてきたことが間違い』。ええっと、次は……ん、はっはー! 『よくわかんないけど犯罪者は死ね』、だって! ちょいちょいリスナー流石にそれは言い過ぎだって!」
悪意を持って故意に突きつけられる心無い言葉。
面白がって便乗し書き込まれた本心ではない言葉。
「これが世の意見ですよ。まあ人を殺しちゃった以上、ある程度は仕方ないと思いますけどねー」
それらはボーンによって扇動され、増長していく。
これほど多くの人が石を投げているのだから、自分も投げてもいいと思う人がいる。
自分のストレスを解消するために、他人を都合の良いサンドバッグを利用している人が。
そんな捻じ曲がった自称の民意が正義を主張する。
執行猶予でも罰金でも禁錮でも懲役でもなく、極刑に処せと訴えているんだ。
――人を殺したこの少年を、死刑にしろと。
大勢で一人を嬲るようにして、命の重さを忘れた意見を押し付けている。
「もう、充分だ」
ここまでされたら嫌でも分かる。
これが善悪の天秤を傾けるということ。人が人を裁こうとする光景。
現代の魔女狩りと形容されたっておかしくない。
ああ――期せずして俺は、答えを得た。
――冬馬くんはホワイトキラーに復讐することを目標としていますが、それって具体的にどういうことですか? 正体を暴いて警察に逮捕させることですか? それとも、自らの手で報復をすることですか?
あのとき答えられなかった俺への問いかけ。
それに対する後悔のない解答を、今、確かに掴み取った。
考えが決まった。主張が決まった。これでようやく俺も、議論に参加することができる。
「えー? なんですかぁ?」
軽く息を吸って、俺はボーンと相対した。
さあ、このふざけた魔女裁判をひっくり返させてもらおうか――!
「君の配信を見ている人数は分かった。なら実際にコメントをしているのは? その中でさっき語っていた暴言を書き込んだのは何人だ?」
「……知らないっすよ」
ボーンが僅かに声のトーンを低くした。
当然だ。触れられたくない部分を指摘されれば、誰だってそうなる。
けれどその反応が逆に命取りとなった。
やはりボーンにとって、この配信にとって、それは紛れもないウィークポイントなのだ。
「日本の人口はおよそ一億。その中の二万から三万人だ。規模を大きくし過ぎたか? だが水波市の人口約五十万人で考えても、視聴者の数は一割以下。わざわざコメントをする人はもっと少ないだろう。それを世論――大多数の人間が支持しているとは言い難い」
「あれぇ、もしかして標本調査という言葉をご存じでない?」
「いいや、だからコメントしている人の正確な数を聞いているんだ。分かるのか? 分からないのか? でなければ、仮にアカウントが別でも、同一人物が悪意ある言葉を書き込んでいる可能性は否定できない」
「……はぁ? じゃあなんですか? 仮にそうだったとして、このコメ欄に書かれていることや、少年Aの死刑を求めて集まった五千人の署名は、少数意見だから正しくないってことっすか?」
「少数意見を多数意見だと誤認させて主張するのが卑劣だと言ってるんだ。それに、大勢が賛同していたとしても、法の外で死刑を求めるのが正しいとは限らない。民衆が正しいと言えば何もかもが正しくて、許されることなのか?」
「『少年Aは人を殺した。同じように殺されても文句は言えない』。『民主主義なんだからありでしょ』。『人を殺したんだから自分が殺されるのも当然』――」
ボーンが手元のスマホに視線を移し、淡々とコメントを読み上げていく。
が、しかし、俺には分かる。
その声音には僅かに動揺が滲んでいる――。
「法で裁かれた結果が無罪だ。公平に判断し、無罪足り得る理由があったからそうなった。それに納得できない人がいるのは理解する。さっきも言ったが、そう思うのは自由だ。だがそれで死刑を求める署名をおこなった? 五千人が集まった? 仮にそれが認められて、少年Aが死刑になったとして、署名した人は誇らしい気持ちにでもなるのか? 大勢が一人を寄ってたかって攻撃し最終的には死に至らしめる――俺にはそれが殺人と何も変わらないように見える。なあ、何が違う……? 何が公平な裁きだ――ッ⁉」
「……『仮にお前の家族が殺されて、犯人が無罪になったとしても同じことが言えるのか』。『これだけ言って分からないとか低脳過ぎる』。『主張は権利。間違ってるなら否決されてそれで終わり。何も問題ない』――」
「ああ、だからこれが俺の意見であり、問いかけだと思ってくれていい!」
そうだ。俺の言葉もあくまで一つの主張。
ただこういう考え方もある、というだけのことに過ぎない。
だけど――それを無視できると思ったら大間違いだ。
「ボーン、事件の情報はある程度開示されている。少年Aは連続殺人鬼によって四人の少女と共に拉致監禁されて、殺されそうになった。極限状態の中で、自分とほかの四人が死ぬか、相手が死ぬかという状況を突きつけられたんだ。もう一度言うぞ。少年Aは連続殺人鬼に殺されそうになって反撃したんだ」
「はあああああ……ッ?」
「次に少女Aの事件。事の始まりは彼女が銀行強盗に巻き込まれたことに加え、巨大地震の発生だ。救助がいつ来るかも分からない状況で、拳銃を持った男たちと瓦礫の隙間に閉じ込められ、そして銀行強盗の一人が発狂し、人質を全員殺すと言った。それを止めようと男たちが争った結果、拳銃が少女Aのもとへ転がり、そして引き金が引かれた。引かなければ隣にいた祖父が、そのほかの人質が、何より自分が殺されていた」
ボーンは無言のまま、俺と目を合わせようとせず、バツが悪そうな顔でスマホを見ている。
「命を救われた大人たちは、少女Aを殺人犯にさせないために殺人を隠蔽することにした。それは善意からくる行動だったが、一方で少女Aは罪の意識に潰されかけても、真実を誰にも告白できずにいた。ゆえに、日常生活に支障をきたすほどの大きなトラウマを抱えることになった。少年Aもそうさ。罪の意識がないというのは――勝手な憶測だ」
「…………ああー」
じろりとボーンが俺を睨んだ。コメント欄を見ていて、何か反論を組み立てたのかもしれない。
静かに、俺は言葉の続きを促した。
「……一応聞いてたけど、君だいぶ頭おかしいこと言ってるの分かってます? 要はこういうことっすよねー? 『二人は殺人を犯したけどそれは人を救うためでした。だから責められる謂れはない』。言い換えれば『人を救うためなら人を殺してもいい』ってことだ。ああー、『相手は人殺しだから殺しても問題なかった』とも言ってる!」
「――いいや、違う!」
ボーンの解釈を俺は真っ向から否定した。
「ッ……」
そこに悪意があったのかは分からない。
また自身の意見を正当化するための印象操作なのかもしれない。
それとも純粋に、そう思わせてしまっただけなのかもしれない。
だとしても――だからこそ、そこだけは絶対に誤解させてなるものか!
「俺は殺人を絶対に容認しない……! だが法の外で人が人を裁くことも、開示されている情報を知らずに一方の面だけ見て勝手なことを言うのも、公正じゃないって言ってるんだ! こんなのは私刑――正義でもなんでもない魔女狩り、あるいはただの我が儘でしかない! 相手が犯罪者なら、浴びせた暴言は犯罪にならないのか? 事件の詳細を知らないで出た意見は価値あるものなのか? この国が法治国家である以上、個人が『善悪の天秤』を大きく傾ける行為は、絶対的な被害者と加害者の関係を逆転させかねない――危険なことなんだよ……!」
俺は桔梗高校に入学してから、過ちを犯した者を糾弾してきた。
しかし楓が神無月を殺し、汐音の過去を知り、花灯の考えを聞いて――十七夜月さくらの手によって養われた俺の善悪の基準は、徐々に変化しつつあったんだ。
ただ正しいだけの正しさは相手に寄りそえない暴力と同じ。
楓や汐音は罪を犯したが、同時に彼らが引き金を引かなければ救えない命があった。
大切なのは一方向から結果を見て思考を止めることではなく、事実を多角的に、公平に見極めること。
そこで初めて真実というものが明らかになり、法という枠組みに入れられる。
その正否を決められるのは法だけ。人が人を裁くことはできないんだ。
――これが俺の答え。
つまり俺はホワイトキラーへの復讐を、ヤツの正体を暴いて警察に突き出すこと、と定義する。
俺には責任がある。
命を託された責任が――だからホワイトキラーの正体は必ず突き止めるさ。
だがそのあとは法に任せる。
そうでなければ、司法が存在する意味が、ないのだから。
「……事件の詳細を知り、公平な立場から見て、それでも少年Aを悪だと思うならそれでいいさ。だが法の外で正義を自称して裁きを下しても、今度はそれを悪だという人が現れるだけだぞ。次、攻撃の的になるのは、今この配信にコメントしている人やボーン――君だろう。少なくとも俺はそう考える。これが俺の意見だ」
「……ああ、そうですかぁ」
「ついでに言わせてもらうと、俺は裁きがどうとかじゃなくて、きちんと罪が償われるかどうかを重んじたいな」
結論から言ってしまえば、俺の意見を受けたボーンが、これ以上の議論をおこなうことはなかった。
ただ数十秒、静かにスマホの画面を見つめていた彼は、突然内ポケットからもう一台のスマホを出して、無言で配信を終わらせた。
「――? カメラを止めたのか?」
「まあねー。君の言いたいことは分かった。仕事は終わったよ。そんじゃこれでー」
「ちょ、ちょっと待て!」
何事もなかったかのようにこの場を去ろうとするボーンを、俺はとっさに止めた。
冗談じゃない。まだ俺は本来の目的を果たしていないんだ。
踊らされるだけ踊らされて用済みじゃあ困る。
「誰からこの場所のことを聞いた? 仕事ってなんだ? 答えろ……!」
「……ああいいよ。そう聞かれたら答えていいって話だ。ぼくは数週間前にある依頼を受けた。それは今日この場所で君に話を聞くこと。理由は知らない。興味もない。けど準備は大変だったよ。署名もさっきのコメント欄もサクラってわけじゃないからね。でも相応のお金を貰っちゃったから、文句は言わなかったよ?」
俺に向き直ったボーンは先ほどまでの動揺がすべて演技だったと言わんばかりに、余裕綽々といった態度でそう語った。
いや、実際に演技だったのだろう……。
「……依頼主は誰だ?」
「月並みな解答で悪いけど顔も名前も知らない。むしろぼくは君の自作自演かとも考えてるんだけどね。あー……でも、一度電話越しに声を聞いたかな。相手は女。声は少し冷たい落ち着いた感じだったよ」
女……冷たく落ち着いた声となると、トーンが少し低いと言うことだろうか。
ダメだ。印象では曖昧過ぎる。特定までいけない。
とすると、ホワイトキラー候補者の声を聞かせるのが手っ取り早い――と考えた直後。
「じゃ、ぼくが知ってるのはこれだけ、以上。シーユー」
「あ、おい! 待て――!」
隙を突いての全力疾走。俺じゃあ追い付けないだろう。
不覚。……逃がしてしまった。
「――追いますか?」
不意に後ろから声をかけられた。
振り向くとそこにいたのはグレーのスーツを着た女警官。
「宮下さん……」
一応俺の中のイメージでは、声は少し高い部類の人だ。
印象には一致しないし、それにボーンを止めようとしたので黒幕ではない、と思う。
「いえ、大丈夫」
「そうですか。先ほどの配信、車内で見ていましたが、君の意見は見事でした」
「それは……どうも」
とはいえ相変わらず俺に疑いの目を向けてくるんだね。
宮下は涼子さんの部下だ。
もし本当に警察内にいるホワイトキラーの協力者が涼子さんなら、部下である彼女が間接的に関わっていたとしてもおかしくはない。
一瞬、現状を話すべきか迷ったが、やはりもう少しだけ俺自身で真実を見極めたい。
ここで警察を頼らないのは、先ほどの俺の主張と矛盾する部分があるので、どうにも複雑な気分だが。
と、苦笑いを浮かべていると、スマホに着信が入った。
相手は、非通知。
もしかしたら配信の影響かもしれない。
俺の電話番号がどこかから漏れて、匿名掲示板に貼られて、それによる迷惑電話がきたのだと思った。
「もしもし」
『――――美原夏野を誘拐した』




