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20話『大切な、ひと夏の思い出』

「ホント、診てもらわなくて大丈夫なん? ちゃんとお薬貰ったほうがマジいい思うんですけど」


 俺にとって馴染み深い、ギャル口調の夏野(なつの)が言った。


「医者は好きじゃない」


「言ってる場合かって」


 告白とキスを経た後、改めて神無月(かんなづき)関係のトラウマをすべて克服した夏野は、俺の申し出に応じて今日、旧友である空野六花(そらのりっか)と会うために病院を訪れていた。


 部屋はすぐ目の前。あとは扉をノックし、許可を得て中に入り、そして再会を果たすだけ。

 

 実際のところ、まだ夏野の人格統合はされていない。ので、このあと六花と会うことになるのは生来の美原夏野ということになるのだが、今は人格が切り替わっていないので様子が変わらない。


「あっちの夏野は?」


 率直に尋ねてみる。彼女に限ってここまで来て尻込みすることはないだろうが、緊張しているようならそれをほぐしてあげたい。


「起きてんよ。いつでも交代できる」


「分かった。約束通り、俺もそばにいる。心を落ち着けて、友達との再会を楽しもう」


 二人の夏野は記憶を共有している。

 だからギャル夏野経由でクール夏野に伝わるよう言葉をかけた――次の瞬間。


「――――」


 夏野の雰囲気が変わった。少し突っぱねたような固い表情で、彼女は口を開く。


「いいえ。白雪、私は一人でいくわ。君はしっかりお医者さんに診てもらって」


「それじゃあ約束を破ることになる」


「ううん、君との繋がりはここに感じてるから心配しないで」


 胸に手を当てて、祈るように言った。


「なんか……真正面から言われると照れるね」


「君、案外押しに弱いわよね。あの子のためにも、私がそういう顔を引き出してあげようかしら」


 夏野は得意げな表情を浮かべるが、しかし俺は知っている。

 一見してこの夏野はクールというか、どこか勝気な部分があるけれど、しかし意外と直球な好意に弱いんだ。


 それは自分の言葉も例外じゃない。


「内心照れてるくせによく言うよ」


 つまるところ、昨日キスしたあとにも同じく不敵な笑みを浮かべていた彼女なのだが、数分後には"なんであんなこと言っちゃったのよ私――"って具合にめちゃくちゃ赤面していた。


 そのことを思い出させるように言ってやると、案の定夏野は――。


「て、照れてなんかないわよ! いいからさっさと行きなさい!」


 すごいツンデレというかデレツンだった。


 まだ実感がないからか、平然を保っている感覚があった。

 心が芽生えた実感。何より空野六花がこの扉の向こうにいるという実感。


 しかし酸素を取り込むたびに感じる、病院特有の香り。

 これが私をあの冬の日に戻してくれる。

 病院は違うけど、季節は違うけど――この香りが、毎日のようにあの子のところに通った日々を思い出させてくれるのだ。


 手を伸ばして扉をノックする。


「どうぞ」


 中から聞こえた声に応じて、私は室内に入った。

 ほかの患者さんはいなかった。彼女一人に用意された個室。

 風に揺れる白いカーテンの向こう側には、青い海が見えて――そしてすぐに、目が合った。


 白いベッドの上に横たわった、触れれば消えてしまう泡沫のような彼女と。


「――久しぶりね、六花」


「夏野ちゃん! 来てくれてありがとう」


「ええ」


 自然なことか、それとも不自然なことかそれ以上の言葉が浮かばなかった。

 沈黙を誤魔化すように、私はベッドの隣に足を向けた。


 ――心配しなさんな。言葉に詰まったらウチがフォローしてあげっからさ。


 頭の奥で自分の声が響いた。自分の声だけど、口調も声色も全然違う――でもどこか安心する声。

 用意された椅子に座った私は、まっすぐに六花の目を見て口を開いた。


「会えて嬉しいわ。もう――会えないと思っていたから」


「あのとき突然いなくなってごめんね。治療のために転院することになったんだけど、治るかもって教えて、期待させて、結局……ってなったら余計に傷つけちゃうと思ったんだ」


 六花が悲しそうに言う。ああ、別に疑っていたわけではないけれど、その声や表情は紛れもなく空野六花のものだ。

 期待させることが残酷だという考え方も、少し不器用な六花らしい優しさ。


「でもあのとき、ちゃんとお別れを言わなかったこと、ずっと後悔してたんだ。だから本当にごめんなさい」


 頭を下げる六花。彼女は言う。言わなかったことで後悔していた、と。

 おそらく私も今日、ここに来なかったらそうなっていたのだろう。


「いいわ。細かいことを気にするのは、私らしくないし」


「あは、そうかも。……ありがとう。今回はちゃんとお別れ言えそうで、良かったなぁ……」


「六花」


 終わりを感じさせるような、しみじみとした言い方に、私は思わず彼女の名前を呼んだ。

 見たところ、その細い体には特に医療機器は付いていない。

 それはやはり、治療の余地がない、ということなのだろうか。


 ずきりと、新鮮な痛みが奔った。


「夏野ちゃん、ちょっと女の子っぽくなったね」


「何よそれ。昔の私が男っぽいとでも?」


「男の子っぽいっていうかクールで、孤高な感じ? でも今は、ちょっと可愛い。あの男の子のおかげかな?」


「そう、かもね」


「あ、照れてるー、可愛いー!」


「…………」


 我ながら不覚。きっと今鏡を見たら、そこには赤面した自分が映っているんだろう。

 まったく。心を否定しないことを決めたけど、こんな弊害があるなんて……。


 照れるな私。にやけるな私。もう一人の私、頑張って表情を抑えて。


 ――それ無理、ウチも結構恥ずかしい。


 頼りにならない……。


「ねえ、彼とは付き合ってどれくらい? キスとかってもうした? もしかしてその先も……?」


「う、うるさい! そういえばあなたってやたらと恋バナに飢えていたわよね。ほんと、いい迷惑」


「ごめんごめん。お友達を作りたいって言ってた夏野ちゃんがまさか彼氏までいるんだから、触れざるを得ないというやつですよ。うん、本当、良かった」


 これであたしがいなくても大丈夫だね――。

 静かに微笑む六花がまるでそう言っているように、思えた。思えてしまった。


 意図せず下を向いてしまう。

 自分が今どうするべきなのかが分からなくなって、それで。


 ――六花ちゃんがそう望んでんならさ、せめて強いとこ、見せたほうがよくね?


 そう、ね。私は昔から、良くも悪くも強さだけが取り柄のようなもの。

 だったらここで、六花が心配することは何もないって示さないと。


「今日ね、本当のことを言うと、来るべきかどうか迷ったの。あの日、あなたがいなくなった悲しみを――私は受け止めきれなかったから」


 唾を飲みこんで、拳を握って、私は再び六花を見た。


「けどあなたと出会わなければ私は、多分悲しいって感情も分からないままだったんだと思う。だから、あなたがくれた(もの)を否定したくなくて――ここに、来た。来れたの」


「嬉しいし、偉いね」


「だから、もう――もう――」



「もう、泣いてるよ」



 指摘されて、自分の頬を伝う涙に気が付いた。


 やはり堪えきれるはずがなかった。こうして向かい合って、言葉を交わすたび、笑顔を見るたびに、空野六花が自分の中でどれだけ大きな存在なのかを実感してしまう。

 それが失われる恐怖を覚えてしまう。

 

 辛い。苦しい。寂しい。悲しい。涙が出て、声が震える。

 これを受け入れなくちゃいけない。それが六花のためだし、六花の望みだ。


 でも、だけど――。



「どうしてまたお別れしなくちゃいけないの……そんなの……そんなのってないじゃない……!」



 世の中にはどうしたって変えられないものがある。

 これはただ、生まれたばかりの子供のように何も知らない私が、我が儘を言っているだけだ。


「うん、そうだね」


 けどそれを、六花は優しく見守ってくれている。

 

「――私、この数か月結構楽しい日々を送ってた。友達ができて、好きな人ができて、カフェでお茶したり、水族館やカラオケに行ったり、タコパやったり、体育祭もあってね、思い出が沢山できて……六花がいなかったらこの時間はなかった……」


 白雪は――私が青春を取り戻してくれたというけれど、私だって、彼に青春というものを取り戻してもらった。

 世界のことを好きになれたのだ。


 そして。


 忘れてはいけない。無いものは決して取り戻せない。

 失われた青春。取り戻せた青春。

 それを生み出してくれたのは、ゼロをイチにしてくれたのは――六花だ。


 彼女が心を育んでくれなかったら、私はここにはいない。


「楽しいことだけじゃないけど、辛いこともあるけど、それでも生きることを好きだと思えるのは、六花があのとき声をかけてくれたからよ」


「あたしもだよ、夏野ちゃん。ずっと学校に行けなくて、友達ができなかったあたしの、唯一にして最高の親友。勇気を出して声をかけて、本当によかったって思う」


 涙があふれる。とめどなく、心からあふれてくる。

 ああ――。


「六花……私、もっと、もっとあなたと思い出が作りたい……作りたいのに……」


「また離れ離れになっちゃうけど、大丈夫だよ。ベタだけど夏野ちゃんが覚えてる限り、あたしは心の中で生きてる。だから、ずっと忘れないでいてくれるかな」


 悲しむことを覚えた。

 人と関わることを覚えた。

 生きることの喜びを覚えた。


 だから――私の答えは決まっている。


「ええ。約束する。私は絶対にあなたを忘れない」


「自分を好きになってくれる?」


「もちろんよ。あなたがくれた私を、手放したりなんてしない……!」



「えへへ、嬉しいなぁ。うん、これで明日、安心して"退院"できるよ」



 安心させることができた――それは私にとっての救いだ。

 胸が張り裂けそうな感情の奔流を穏やかにして、この終わりの時間に染まっていくことを認められる、私にとっての一番の言葉。


 って。

 

「――ん、え? あー、え? 今、退院って言った?」


「うん、言った」


「それはその、ほかの病院に移るとか?」


「ではないかな」


「自宅療養になるってこと?」


「でもないかな。普通に水波(みななみ)にある前に暮らしていた家に戻って、少ししたら学校にも行くよ」


 ――えあ?


 脳みそが蕩けたような錯覚を覚えた。

 何も考えられないというか、私が受け入れるどうこうではなく、むしろ向こうのほうから道を逸らしてきたというか。


 魂が抜け落ちたような間の抜けた顔で呆けていると、背後から扉の開く音が聞こえた。

 入ってきたのは白雪だ。


「……騙すような真似をしてごめん、夏野」


「は……?」


「六花と初めて会ったとき、落としたスマホを拾う際に彼女の足を見たんだ。正確には靴だね。彼女の靴は砂で汚れていた。車椅子に乗っているにも関わらずだ。そして近くにはリハビリ施設があった。多少の飛躍はあるが、俺は直感したよ。彼女の病気は日常生活に支障をきたさないレベルにまで治療されている――と」


 六花はうんうん、と数度頷く。


「で、昨日その裏付けを取り、明後日――つまり明日には、六花がここでの療養生活を終えて水波市に帰ることを知った」


 なんだろう、段々と怒りが湧いてきた。


 ――白雪くんって、こういうところあるよね。


 つまりはだ。白雪は六花の病気がもう治っていることを敢えて伏せて、さらには私が過去の自分を乗り越えるための、絶好の壁役に仕立て上げたのだ。

 この様子だと、六花もそれを了承していたようだけど。


「一応聞いておくけど、これ私のため?」


「そう――って肯定しちゃうと君が怒りづらいだろうから、俺のお節介ってことで」


「今人生で初めて他人をぶちころ――がしたくなったわ」


「すまない。この埋め合わせはあとで……ッ、と、あ――」


 不意の出来事だった。白雪が椅子の足か何かに躓いて大きく体勢を崩した。


「――!」


 私はとっさに体を動かして、キャッチ。白雪が頭を床に打ちつけるのを防いだ。



「まったく――君って結構弱いわね。私が守ってあげないと、かな?」



 白雪を半ばお姫様抱っこするような体勢で、私は言ってやった。

 もうすでに内心恥ずかしかったが、しかし意外にも先に顔を赤らめたのは白雪のほうだった。


「それはちょっと、男として情けない……」


 もしかしたら前にも似たようなことがあったのかもしれない。

 まあ彼のことだ。ここで指摘してもどうせ、熱があるからだとか言ってはぐらかすだろう。


「そう。なら――」


 私は白雪の体をそっとボーリング玉のように転がして、それから手を差し出した。


「ありがとう、白雪。おかげで私は一つ成長できたと思う。これが大人の階段を上るというものかしら。――夏の醍醐味ね」

 

 私は弱い自分を受け入れた。

 これからは泣いて、笑って、沢山のことを――青春を謳歌するのだろう。


 冬馬白雪――私のことを想い、手を差し伸べてくれたこの男の子と一緒に。


「あ、雨――」


 白雪にも、六花にも、多くのものを貰った。

 きっとそれはまだ返しきれてない。私はそう思う。

 だから――。


 こんな夢のような日々が、終わらなければいいのに。


 白いカーテンの向こう側。曇天に包まれていく世界を見つめて、私は我が儘を言った。

 言ったつもりで、声には出ていなかったけれど。

夏野編、了。

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