14話『夏休みといえば海! 水着! そして大人の階段を……』
美原夏野編その2が始まります。
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それは七月があっという間に通り過ぎ、暑い日差しとセミの声が騒がしい八月――夏休み中のとある日のこと。
「――という理由で、横領事件の調査に何とかして加われないかと」
『話は分かった。何かうまい口実を考えておこう。ときに白雪君。最近の調子はどうかな? 相変わらずマスコミに張り付かれているようだが、そのことを気に病んでいないか心配でね』
「まあ、慣れてはいますけど、いい気分じゃないですね」
例の琴平陽光による横領事件の再調査に関わることはできないかと、風見織姫の父親であり大企業風見グループのトップ、風見宗玄に電話で相談していた俺は――。
『そうだろう。なので、マスコミ対策と気分転換を兼ねて、君とその友人を我が社が保有するプライベートビーチに招待したいと思っているのだがどうだろうか?』
突然、バカンスの話を持ちかけられたのだった。
「えぇ――⁉」
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という経緯があり、俺たちは今、県外にある風見グループのプライベートビーチに来ていた。
きちんと管理された綺麗な砂浜に、パラソル、チェア、テーブルの三点セットを並べ、穏やかな波の音を聞きながら読書をする。
振り返れば徒歩一分の距離にホテルがあり、冷房の効いた快適な空間、各種施設、天然の温泉などが利用可能。
しかもここは普段、風見グループの慰安旅行や接待などに使われているらしいが、今はちょうど誰も利用していないとのことで、すべてが俺たちの貸し切り状態――なんだ、天国はここにあったんだ。
「水平線が綺麗だ……」
なんて、ここ最近の暗い出来事とは無縁の光景をしみじみ眺めていると、後ろから砂を踏む音が聞こえた。
振り返るとそこにいたのは、俺と同じく水着に薄手のパーカーを着た琴平花灯だった。
「一番乗りにしては、大人しい海水浴ですね。泳いだりしないんですか?」
そう言いながら花灯は俺の隣に置かれたビーチチェアに座る。彼女は体が小さいから、なんだかミニチュアみたいで可愛い。
「泳ぐのは得意じゃないし、あんまり自慢できる体でもないしね」
手元に広げた文庫本に視線を戻した俺は、ページを捲るフリをしながら質問に答えた。
「不祥ですが同感ですね。さっき会長さんたちと一緒に着替えてたんですけど、なんかもう、わたしとは人としてのランクが違う感じがして……美原先輩も七瀬先輩もスタイルいいですし」
察するに、謎の敗北感を受けて一足先に逃げてきたのだろう。
夏野たちはまだ来ないようだ。
「確かに花灯は小さいけど」
「あ?」
「花灯はちんちくりんだけど」
「なんで悪いほうに言い直すんですか!」
「まあ――そういう小柄な人がタイプって人はいるんじゃないかな」
「そういう人種はすべからく変態だと思うんですけど……ロリコン的な意味で」
花灯がジト目で訴えてきたが、俺は狼狽えることなく、こう返す。
「断言してしまうには、世界は広すぎるよ」
外見ではなく内面を見てくれる人だって世の中にはいる。
花灯は人間の脆い部分を理解している子だから、未来は明るいはずだ。
「つーか、小さいって言ったら、冬馬くんだって男の子にしてはちょっと背ぇ低いじゃないですか。ほら、わたしたち身長一センチ足りない同盟ですし、もうちょっとこう傷を舐め合う方向で行きましょうよ」
「そんな同盟に入った覚えはない」
「いやでも、冬馬くんの昔のことは露呈してしまったわけですし、これは新たな同盟条件が必要だと思いましてね」
確かに以前、俺と花灯は周囲にバレて困ることがあるもの同士、協力して秘密を守ろうという同盟を結んだ。
実際のところ、あんまり大したことはしなかったけど。
「聞くところによると冬馬くんの身長は百六十九センチだそうじゃないですか。一方でわたしは百四十九センチ。ほら、ここに共通点を見出したんですよ。やっぱり、身長何センチ? って聞かれたときはサバ読みたくなりますよね! ね⁉」
なんかいつもよりぐいぐい来るなぁ。花灯もなんだかんだ、海を目の前にしてテンションが上がっているみたいだ。
しかし、花灯の言う同盟条件は実のところ――成立していない。
そう。四月の健康診断で俺は保健医を丸め込んでまで、身長を百七十センチと記入してもらった。
焦りがあった。危機感があった。
もしこのまま身長が伸びなければ、俺は一生嘘を吐き続ける人間になるのではないかと。
サバを読むことが前提になってるけれど。
でも――もう何も怖くない。
「花灯、人は変化し続ける生き物だ。俺はこう見えて、結構頻繁に部屋の柱とかで身長チェックをしているんだけど」
「いや何やってるんですか……」
「しているんだけど! 昨晩の観測点から実際の測定値を、ありとあらゆる公式に当てはめて解を出した結果――俺はすでに百七十センチの大台に突入していることが判明した!」
「な! なんですってぇ⁉ そんな馬鹿な! きっと夢落ちですよ! 卑怯だ! この裏切り者!」
「ふふふ、めちゃくちゃ言ってくれるじゃないか」
「こ、こうなったら冬馬くんの頭か足を少し削いで……」
やばい。なんだかとんでもないことを言い始めたぞ。
危機感を覚えた俺は、とっさにビーチチェアから飛び降り、花灯の肩を掴んだ。
「ま、待て花灯。今にも包丁か金槌を持ってきそうな素振りを見せるな……さあ、ほら、静かに目を瞑って、波の音に意識を集中するんだ」
「……?」
「イメージして。寄せては返す波。引いて、戻って、引いて、戻って……君の意識はクラゲのようにゆらゆら漂う」
「何言ってんですか」
ぱっと目を開けた花灯が、心の底から呆れた様子で呟いた。
ダメだったか……。
「あー……催眠術は難しいって話」
「はぁ……?」
六月三十日――あの日、俺が車内で男を眠らせることができたのは割と奇跡に近いことだった。
いくつかの偶然が重なって、本当に運よく催眠術が成功したんだ。
だがそれに対して、連続殺人鬼ホワイトキラーは――。
ヤツは楓の思考を誘導して神無月を殺させた。
楓の過去を調べていたとしても相当に難易度が高いはずなのにだ。
もしそれが純粋な実力によるものなら――あまりにも底知れない。
改めて思う。俺の復讐相手が、とてつもなく恐ろしい存在であると。
「……はぁ……」
ダメだな。
今は次の行動のための準備期間。きちんと休んでおかなくちゃならないのに、気を抜くとつい考え込んでしまう。
せっかくの海なのに。
「――白雪くーん。待たせたなー」
ふと、ホテルのほうから透き通る声が聞こえた。織姫の声だ。
顔を上げると、ほんのり艶やかな黒ビキニ姿の織姫と、麦わら帽子に水着とパレオを合わせた七海、赤と黄色をうまく取り入れたデザインのハイネックビキニを着た夏野が向かってきているのが見えた。
「人は変化し続ける――確かにそうかもしれませんね」
ビーチチェアの背もたれに乗った花灯が、夏野たちを見ながら言う。
「わたしは髪、結構伸びてきましたし。会長さんは逆に、少し短くして髪型を変えました。七瀬先輩もお姉さんや楓くんのことでいろいろあって。美原先輩も――前と比べて、ほんの少し別人っぽいです」
それらについて俺が何かを言うことはなかった。
みな誰もが、何かを抱えている。傷を、痛みを、苦しみを。
その中でもこうして必死に青春しようとしてるんだ。
だったらせめて、この時間だけは。
眩しいほどの青色に包まれたこの夏の日を――いつか帰りたいと思えるような、輝かしい思い出にしてあげたい。
「世間は騒がしいですが、ここではのんびりと遊びましょうね。冬馬くん」
「……ああ」
「では、わたしは日焼け止めを塗るのを建前に、会長さんの胸でも揉んで――って、んわ――――⁉」
何やら奇声が聞こえたので振り向こうとした瞬間、何かが俺の後頭部をがっしりと掴んだ。
あとから聞いた話によると。
足を滑らせた花灯がバランスを崩してビーチチェアと共に倒れる直前、とっさに手を伸ばして俺の頭を思いっきり掴んだらしい。
そのまま派手に転倒。
花灯は幸い無事だったが、一方で花灯によって頭部を掴まれたまま、砂の地面に顔を叩きつけられた俺は――見事に気を失ったのだった。
バカンス一日目。冬馬白雪、気絶。
相変わらずの不眠症も重なり、俺が目を覚ますのは、数時間後のことでした。




