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7話『素敵な高校生活』

 放課後。午後の授業を適当に過ごした俺は、中庭で美原夏野(みはらなつの)を待っていた。

 この後の流れとしては、一緒に町へ繰り出し、どこかでスイーツを食べることになる。はずだ。


 まさか、ただスイーツを食べれば嫌なことを忘れられるとアドバイスしただけで、一緒に行くことを前提にされるとは……。

 振り返ってみればこれまでの人生、ギャルと呼ばれる人と接したことはなかったように思う。

 まだいまいち距離感が掴めないな。


 というか夏野はどうやって立ち入り禁止の屋上に入ったのだろう。

 あの扉は普通に考えれば普段から施錠されていただろうし。謎だ。

 まあそんな疑問はさておき、誘われた以上無視するわけにはいかない。


 だからこうして、もう三十分くらいベンチに座って持参した本を読んでいるのだが。


「……」


 スマホで時間をチェックする。

 さすがに遅いな。約束を破るタイプには見えなかった。ということは何かトラブルだろうか。


 待つことには慣れているが、幸いにも夏野のクラスは分かっている。

 迎えに行こう。


 そうして俺は再び校舎の中へと入った。


 夏野のクラスは二年一組。東校舎にある一年の教室の一階上だ。

 階段を登り、二階の廊下に出る。右はトイレを挟んで三組、四組の教室。となると一組は左の突き当りだ。


 廊下に活気はない。トイレの前に女子が一人いるくらいか。見た感じ少なくとも全クラス、ホームルームを終えている様子。

 念のため教室札を確認してから、二年一組の教室を覗く。

 

「……」


 夏野はいない。

 代わりに怪訝な視線を向けてくる生徒。男子が三人と女子が二人。

 俺はすぐ近くにいた女子の一人に声をかける。


「ねえ、夏野がどこに行ったか知ってる?」


「夏野? …………あぁ、美原のこと? 知らないけど」


 嘘だ。下唇を舐めた。嘘を吐くときは緊張するから、唇が渇くものなんだ。

 だがそれを指摘するにはまだ早い。

 俺は教室に入り、今度は男子のほうに声をかける。


「美原夏野の席ってどこ?」


「んー、あそこだけど」


 窓際の前から三番目。いい席だ。そして机の上には、まだ鞄が残っている。

 つまりまだ校内にいるってことか。


「あ、ちょっと!」


 その席に近づく素振りを見せると、最初に声をかけた女子に止められた。

 が、そんなことは関係ない。

 俺はその席に座り、躊躇なく机の中に手を突っ込んだ。



 ――見つけたのは教科書。それも酷くボロボロの、だ。



 ページを捲ると多くの落書きがされており、死ね、ブス、底辺、ゴミなどの言葉が雑に羅列されている。

 

 それを再び机の中に戻し、今度は夏野のものと思われる鞄を開ける。

 取り出したのは体育で使うジャージ。

 まるで当然とでも言うように、ハサミで切り刻まれている。

 

「……酷いな」


 美原夏野の悩み。それは男関係のことだと思っていたが、やはり、話はそう単純ではないようだ。


 彼女はいじめられている――それも現在進行形で。


 夏野の鞄を手にして、俺がこの席に近づくことに明らかな反応を示した女子に声をかける。

 

「もう一度聞くよ。夏野がどこに行ったか、知ってる?」


「……し、知らないって言ってるじゃん」


 明らかに動揺している。

 場所を知っていて、そのうえで嘘を吐く罪悪感があるからだ。

 俺は怯える女子の眼をじっと見て、圧迫感を与えることで答えを引き出させることに。


 次の瞬間、女子の視線が――僅かに左へ逸れた。


「もう分かった。嘘が下手で助かったよ」

 

 俺は教室を出た。

 夏野はこの階にいる。あの女子の視線からして、思い当たるのはトイレ。


 教室にいた男子は夏野のいじめのことを知っている様子はなかった。

 男なら必ず周りの人間に自慢する。だから関わってるのは女子だけだ。

 つまり現場は女子トイレ。


 ゆったりとした廊下の反対側へ。

 目についたのは、さきほども見かけたトイレの前でスマホを弄っている女子。

 格好は夏野と近い。制服を着崩したギャル。だが友達ではないだろう。


 明らかに見張りだ。

 それにしてもアンバランスだな。見張りを付けるくせに、教室に近い女子トイレか。

 慎重なのかそうじゃないのか……まあいい。今は夏野を助けなければ。

 

「あ、ねえ、美原夏野がどこにいるか知ってる?」


「んだよ。邪魔、どっか行け」


 取り付く島もない。だが、嘘が下手なのは教室にいたやつと同じだ。


「困ったな。さっき先生が探しててさ、なんでも重要な話らしくて、学校中探してるんだ」


「……邪魔つってんだろ! 別んとこ探せよ」


「まあそんな怒らないでよ。俺は別のところを探すから、もし見かけたら職員室に来るよう伝えて。それじゃあよろしく」


 そう言って俺は見張り役の肩を叩き、それからすぐそばの階段を登る。

 そのまましばらく踊り場で待機。


「チッ。んだよ、うぜえな」


 さて――教師が探しているとなれば夏野は解放されるはず。


 そして待つこと数十秒。例の見張り役がきちんと伝えてくれたのだろう。

 意外にも早く、女子トイレから三人の女子が出てきた。


 そのうち二人はただの取り巻きだ。

 注意するべきは、見張り役も含めたほかの三人が視線を預ける一人。


「それで、教師が探してるって言ったのは誰なの?」


「男子だけど誰だかは……少なくともクラスは違う感じで」


「使えないわねぇ、まあいいわ」


「ごめんなさい。あ、言われた通り次に行くお店の予約済ませときま、って――ひゃああ⁉ 虫⁉」


 廊下に甲高い声が響く。


 なかなかいいリアクションじゃないか。実はさっき、見張り役の子の肩を叩いたときブレザーのポケットに、養護教諭との交渉に使う予定だった虫の玩具を入れておいたんだ。


 情けないとは思うが、今できる精一杯の抵抗。嫌がらせをされる気分はどうか、これで少しでも理解してくれたらいいが。


「落ち着きなさい。偽物よ。まったくうるさいわね。どうしてそんなものをポケットに入れているのよ」


「ご、ごめん。もしかしたらさっきのやつに入れられたのかな。うえ、キモ……」


「となると先生が探しているというのはブラフ……いえ、考え過ぎかしら。あんな女に味方する人なんていないわよね」


 せっかく答えに辿り着いたのにそれを手放すとは、あのリーダー役の女子、頭はキレるがよほどの自信家だな。


「ま、私が言うまでしばらく大人しくしておきなさい。追い込み過ぎて壊れたら退屈でしょう?」


「マジそれっす、七海(ななみ)さんの言う通り!」


「やっぱ七海さんはウチらとは違いますね!」


 取り巻き二人は持ち上げ要員。七海と呼ばれた彼女は周りを下げて自分を持ち上げるタイプ。

 見た目はきちんとしているし、欲をかかなければ成功する実力を持っているのに、つまらないことをするもんだ。


 そうして女子グループが階段を下りていったのを見届けた後、俺はさきほどの女子トイレに入る。


 数年前に改装したということもあり、中は綺麗だ。

 だが水道にはホースが放置されており、その先端は一番奥の個室に向かっている。


 水に濡れた床。何があったのかは、想像できる。


「…………」


 驚かさないよう足音を立てて、個室の前に立つ。


 扉を開けると中には――ずぶ濡れになった夏野がいた。

 

 酷い姿だ。冷たい水は全身を刺すようにして熱を奪い、小さな檻に閉じ込めることで人としての尊厳まで奪おうとする。

 華奢な体は小刻みに震えて、その目はとても暗い。


「……夏野」


 そう呼ぶと、夏野は顔を上げて俺を見た。

 分かっている。きっと見られたくないはずだ。

 でもこのまま放っておけば彼女は消えてしまう。そう思うほどに、弱っている。


「……うわ、ヤバ、なんでいんの? つか恥ず、ウチがシャワー浴びてんのバリバリ見られちゃったじゃん。で、なんでいんの?」


 口角を上げて笑顔を作ろうとする夏野。

 だが俺には分かる。それは強がりだ。

 裏切られ、いじめられた。だから他人を信じることに臆病になって、そして上っ面の同情を恐れている。

 

「待ち合わせしたから、迎えに来た」


「や、それ理由になってなくね? 論理破綻してね? 待ち合わせしたならふつー待っとけって。そりゃ結構待たせたんだろうけど、だからって迎えに来るとか、どんだけウチとの放課後にテンションぶちアガってんだっつー話じゃん」


 俺はブレザーを脱いで、それを夏野に被せた。


「風邪引くよ」


 それから向かいにあった掃除用具入れからバケツを取り出し、水道で蛇口を捻って水を溜める。


「……つかなんで分かったの。ウチがここにいるって」


「教室に行った。すまない、気付いてあげられなかった。俺はまだまだだ」


「つーことはあの教科書とか見たワケ? はっ、マジでダサすぎなウチ。いじめられてるの後輩にバレるとかもう人生一生の恥じゃん、死にてぇ……」


 バケツに水が溜まった。それを持って、夏野のところに戻る。

 彼女は未だブレザーを頭から被っている。泣いているんだ。声が震えているから分かる。

 バケツを足元に置いた俺は、ポケットから学生証を取り出した。


「夏野、俺は今、後ろを向いてる。こっちを見てくれ。俺の手にあるものを取るんだ」


「あぁ……? ったく、なんだっつの……」


 学生証には俺の名前と顔写真、そして生年月日が記載されている。

 

「これがなん……あ? 今年って何年だっけ。なんか……おかしくね、これ。や、知らないけど……アンタ、次の誕生日で十七歳になんじゃん。え、なんこれ?」


 気付いたようだ。


「俺は去年、一年間入院していたんだ。そして一年遅れて高校生になった。だから一応は夏野と同い年ってこと」


「……はぁ……そりゃまあ、バリ衝撃的カミングアウトってるけどさ。なぜに今」


「君の秘密を一つ知った。だから俺も一つ教えた。そして――」


 俺は近くに置いておいたバケツを持ち上げ、中の水をぶちまけた。

 ――自分自身に。


「ッ――……!」


「え、ちょ! え⁉ ちょいちょいちょい、なにやってんの白雪(しらゆき)くんー……? さすがにイミフすぎんかー?」


「ああ、さすがに効くね、いい眠気覚ましになったよ」


「……いやいやいやそれはキモいわ。シンプルドストレートに引く。やらかしじゃん。しかもどうせそれ洗濯するのどうせオカンでしょ、なに主婦の仕事増やしてんの? いやなんでウチが人んちのオカンの心配してんのっつー話だけどさ」


「洗濯は自分でやってる。何なら制服はクリーニングだよ」


「いやだからってほんとイミフすぎてキモキモのキモ………………や、ごめ。なんか知らんけど普通に結構嬉し……かったり? しちゃうかも、つって。なんでだろ、安心した。その……あんがと……って言うのも変かもだけど」


 水に濡れた夏野は俺のブレザーを羽織り直した。


「いやでも、マジなんで水被った?」


「あははは」


「いや笑って誤魔化せると思ってんの? バカ?」


 種明かし、というほどのものでもないが――人間、自分と同じ境遇の仲間が一人いるだけで不思議と楽になるものだ。

 だから俺は夏野と同じように水を被った。


 端的に言えば仲間意識を与えることで安心させた、といったところか。


 人を苦しめるのは孤独。孤独は心を蝕み、傷となり、拠り所を求め、それでもまだ孤独だったら――命を諦めてしまう。

 このまま行けば、美原夏野はいつか必ず自殺する。

 そんなことはさせない。


 俺は命を失う痛みは知らない。

 だが残されたものの痛みは理解できる。


 だから――冬馬白雪は美原夏野に手を伸ばす。

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