6話『美原夏野というギャル』
美原夏野編、開幕です。
✿
「――彼氏にフラれて落ち込んでるところ悪いけど、飛び降りは痛いからやめることをおすすめするよ」
高校生活二日目。
結論から言えば、俺は屋上でギャルと出会い、その秘密を知ることとなった。
だがまずはそうなった経緯を聞いて欲しい。
身体測定を終えて昼休みになると、俺は朝作ったサンドイッチを片手に、入学二日目でまだ知らない場所の多い校舎の探検を始めた。
この桔梗高校は歴史自体はそれなりにあるようだが、数年前に改装をしたおかげで古めかしい感じはしない学校だ。
ちらほらと歩き見したところ、教室も施設もどこか洒落ていてドラマなどの撮影をしたら映えそうな印象を受ける。
校則はそれほど厳しくなく、生徒の自主性を尊重するとかで例え髪を染めようが成績さえよければオッケーなそうで。
どうにも生徒に都合がよすぎる気もするが、まあそれも狙いの一つだろう。
ストレスフリーな学び場を作ることで生徒の学力を向上させ、そして教師のやる気もあげる。
よくある手だが実現させることは難しい。だからここの校長だか理事長は、かなりのやり手だ。
個人的には、もっと競争心を煽ってもいいと思うけどね。
昼休みが終わるまであと十分少々。昼食のサンドイッチはさきほど、それとなく町が見えて気持ちいい風が吹く、西校舎の非常階段で食べた。
あそこは人も来ないし、一人でゆっくり食べたいときにピッタリだ。
誇張無しにいい場所を見つけたと言えるだろう。
「……ん」
そうして校舎を見回った成果に満足した俺は、教室のある東校舎の一階へと戻るつもりだった……のだが。
その途中、立ち入り禁止とプレートが張り付けられた屋上への扉が目に入った。
もっと言えば、その重い鉄の扉が僅かに開いていることに気付いた。
「…………」
当然行くしかない。誰に見咎められることもなく、俺は扉を押して外へ出た。
白塗りになる視界。
それから真っ先に目に入ったのは、一人の女生徒。
長い茶髪が風に靡いて、その輪郭をぼやけさせる。一秒、二秒と見つめて分かったのは、彼女がフェンスに寄りかかる形で青空を見上げていたこと。
普段立ち入りを禁じているだけあって、設置されたフェンスは飛び降りを防止するようなものではない。
そして気になったのは彼女の履いている上履き。まるで投げ出すように踵から脱げようとしている。
それで俺は直感した。彼女は今、その場所から飛び降りるか否かの境界線上にいるんだ。
「――――」
ゆえに、俺は距離を詰めて声をかける。
「――彼氏にフラれて落ち込んでるところ悪いけど、飛び降りは痛いからやめることをおすすめするよ」
「っ! あ……あ~びっくりした。いきなり何? ってか誰よ」
突如として隣に現れた俺に驚いた様子の彼女。当然の反応だが、これで興味は引けただろう。
「いやあ、通りかかったら君が見えて。どうも、冬馬白雪だ」
と適当に話を進めながら、向かい合った彼女の外見を観察する。
身長は百五十八センチで、顔は整っている。目がぱっちりとしていて明るい印象。茶髪は地毛だな。染めたならもっと髪が痛んでるはずだ。
ブレザーのボタンは外れていて、ネクタイも緩め、スカートも短くしていて全体的に着崩している印象だ。
露出した足は細く綺麗だが、スポーツはしていない。
つまり、いわゆるギャル――というやつだろう。
「美原夏野、だけど。アンタ、同じクラスだったっけ? ごめ、覚えてない」
「いや、俺は一年三組」
「なんそれ、ウチは二年一組。タメでくるから同い年かと思ったじゃん。おもっきし年下じゃん。先輩には敬語使えし。……ま、今はどうでもいいけどさ」
年下かどうかはさておき、美原夏野と名乗った少女の様子は、わかりやすく落ち込んでいるようだった。
「んーで、さっきのは? アンタはなんでウチが失恋中だって思ったん?」
気怠い雰囲気のまま夏野はフェンスに背を預けるようにして、視線を空に投げた。
とりあえず話してみ? といった感じか。
「君は薄く化粧をしていて、爪も髪も綺麗に整えている。明らかに誰かに見られることを意識した容姿だ。彼氏がいても不思議じゃない。そんな普通なら順風満帆であろう君が何かに悩むとしたら、男関係かなって」
「……ふぅん」
「けど――今話してみて分かったよ。フラれたとか浮気されたとかではないね。失恋って口にしたときに余裕があった。つまり、相手はどうか分からないけど、少なくとも君には恋愛感情はなかった。どうやら話は意外と複雑みたいだ」
俺が話すと、夏野は少しだけ口角を上げた。目はあまり笑っていないが。
「複雑、ねぇ。や、意外とそうでもないよ、知らないけど。……んでさ、ウチがこっから飛び降りるほうの理由は? ただフェンスに寄りかかって景色を見てるだけだったかもよ?」
「確かに。青空を見れば嫌なことを忘れられるっていうし一理ある。でも君は上履きを脱ぎかけていた。人間は本能的に高所を嫌うから、よっぽどリラックスしてるか、逆に投げやりになってるとき以外は、そんなことしないよ」
「……それだけ?」
「それだけ」
「なんつーか、アレ? 根拠、薄くね? もっとこう、何かないわけ? アレしてたら危険だから云々みたいな」
「ない。というか夏野自身、例えば天変地異レベルの風に背中を押されたら飛び降りよう、くらい気持ち半分だったんだろ? でも、気が変わって本当に飛び降りられるくらいなら、間違って恥を掻いたほうがいいさ」
俺は結局、先入観を口にして相手の反応を見ているだけだ。
だからまずはコミュニケーションを行うこと。それが重要なのだ。
「ふーん。ま、いんじゃない、そういうの。つかアンタの言うこと、ぶっちゃけ結構当たってて引いてるんだけど。もしかしてエスパー的なアレ?」
「まさか。この世界に超能力とか魔術とか、そういうのは存在しないよ」
「あ、それな。同感。ってかスルーしかけたけどさっき名前呼んだよね。距離近。や、まあいいけどさ」
流し目で俺を見る夏野。その目には寂しさが満ちている。きっと、今の俺もそうだ。
俺たちは知っている。
現実は悲しいほど残酷で、自分にとって都合のいい超常の力なんか存在しないことを。
「はぁ~あ、や、別に恋人とか思ってなくてさ。友達としてならって感じで、向こうもそれでいいって言ってくれたんだけど……裏切られるってマジぴえんな」
「考え方次第さ。君を裏切ったんだ、きっと次も裏切る。早めに縁が切れて良かったと思えばいい」
「わかりみ深過ぎ。アンタいい人じゃん。なんだっけ、白雪? かわよ。あ、こう言われるの嫌だった?」
「いや別に、気にしないで」
「りょ」
ちょうど会話がひと段落したところで――始業前のチャイムが鳴った。
「あー、そろそろ戻ろ。授業とか全然気分じゃないけど真面目が一番っしょ?」
「……ああ、最後に一つ。今日の放課後、どこかで美味しいスイーツでも食べるといいよ。そうしたら嫌な気分も吹き飛ぶ」
「んじゃ放課後中庭集合ね。待たせたら奢らせっからそこんトコよろ、後輩君」
夏野は上履きを履き直し、ぺたぺたと足音を立てながら屋上から校舎の中へ戻っていった。
一人屋上に取り残された俺。
「……ん?」
もうすぐ授業が始まる。早く戻らないと。
だが足を動かすより先に思考が回り始めてしまう。
「……もしかして今、誘われた?」
一陣の風が吹き抜ける。
桜は散ってしまったが、風は温かく、どこか甘く――春の香りがした。