2話『目を逸らさず、考えることを止めるな』
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日曜日の夕方。俺はリビングにいた。向かいのソファーには、夏野たちを無事に家まで送り届けた涼子さんが座っている。
本来警部補という立場にある彼女のことだから、警護の申し出が完了した時点で捜査本部へと戻るものかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
というのも今回の事件は"ホワイトキラーの再来"――涼子さんはこの一件に関して、犯罪者を追う立場でありながらも、俺と同じく『あの日』に家族を殺された被害者でもあるのだ。
十七夜月初蘭――十七夜月さくらの母であり、十七夜月牧葉の妻であり、涼子さんの妹。
身内が関わっている事件は、捜査から遠ざけられることが多い。
家族を殺された憎しみから冷静な判断が下せない。捜査の障害となるかもしれない。ありがちな理由で言えばそんなところか。
かれこれ数時間、涼子さんは俺と織姫の警護という名目で洋館内に滞在している。
「――で、涼子さん、頼んでた件だけどどう?」
ほぼ自宅待機のような状況もあってか、スーツのジャケットを脱いで楽にしている彼女に、そう問いかける。
すると涼子さんは下顎に少し力を入れて不満そうな顔をしながら、呆れた声で答えた。
「無理。今回の事件――警察庁の人間まで出張ってるんだから、一介の高校生が捜査に参加することは不可能よ。そもそも白雪、あなたの洞察力は認めるけれど、本当にホワイトキラーを捕まえられると思っているの?」
「ああ。少なくともヤツに関しては、俺が一番近いところにいる気がするんだ。もちろん俺が捜査の素人だってことは理解してる。けどホワイトキラーだけは――俺だからこそっていう感覚があるんだよ」
「できることならその自信をへし折ってやりたいわ……」
「捜査資料の入手は?」
捜査資料を外部に持ち出すことは、ましてやそれを一般人に見せることは固く禁じられている。
バレればクビになるのは当然として、法的措置を受けることもあるだろう。
なので、これは本当に駄目元の質問だったのだが――しかし涼子さんはスーツの内ポケットから取り出したスマホを、ロックを解除した状態でテーブルに置いた。
「鑑識のときの写真が一部、ここに入っているわ」
「え、いいの? てっきり断られるかと」
「断りたいわよ。でも私はほぼ捜査から外された形だし、できることをしたいの。それにこれは、あなたの能力がどこまで活用できるかのテストでもある。自信があるなら、力を示してみなさい」
そう告げる涼子さんの声音は、どこか重い。表情を見る限り、やはり俺がこれ以上深く関わることを認めきれない部分があるのだろう。
当然だ。
保護者であり警察官。難しい立場だけれど、それでも俺を守る位置にいることは共通していて。
けれど結局、どちらも果たせないでいる。
捜査から外され、ただ待つことしかできない――そんな今の涼子さんの心にはやりきれない気持ちが大きく渦巻いているんだ。
「……」
わがままを言ってごめん、と頭を下げてからスマホを手に取る。
画面を覗き込むと、そこには遺体と現場の鑑識写真が何枚か並んでいた。
「織姫ちゃんには見せないでね。知らなくていいことだってあるんだから」
「ああ」
意を決して写真の一枚を拡大表示した。
映っていたのは、カーペットと見間違うほど鮮血に塗りつぶされたフローリングの床と、そこに並べられたバラバラの遺体。
「っ――――」
胃液が喉元までせり上がってくる感覚がして、思わず唾を飲みこんだ。
ゆっくりと息を吐き出す。
大丈夫だ。俺は知っている。バラバラにされた人間の体なら一度この目で見たじゃないか。
眠ることができなくなるほど、この網膜に刻み込んだじゃないか。
鼻先につく血の匂い、人間だったとは思えないほどに分割された肉片――この目で見て、この手で触れた記憶があるんだ。
この程度で音を上げるわけないだろう。
そう自分に言い聞かせ、無意識に逸らしていた目を、再び写真に向けた。
これは菊代家の写真。
両親とその息子。頭部がない三つの遺体は、体のいたるところを切断されながらも、まるで生け作りのように原型を模して並べられている。
四肢はそれぞれ手首、肘、付け根、足首、膝、付け根で三分割され、胴体は上下に二分割。
服は着ていない。切断された部分以外に傷は見当たらず、各部位にはリボンが結ばれ、ピンク色の薔薇が供えられている。
まるである種の芸術品のようだ――が、少なくとも人間としての尊厳はすべて、文字通り殺害されてしまっている。
「……」
画面を操作して、次々に写真を確認。新たな情報を得るたびに思考は加速していく。
新たに表示させたのは常盤家の遺体。発見場所はどこかの廃工場で、遺体の状況は切断されている箇所は同じだが、菊代家のものと比べて腐敗が進んでいる。
血痕の量からして犯行現場もここだな。リボンと薔薇は見当たらない。
そして最後であり一連の事件の始まりでもある田中家――遺体の発見場所はどこかの事務所跡。常盤家の遺体に比べて腐敗がさらに進み、骨が剥き出しになっている部分が多数。
こちらも血痕から、この場所で事が行われたと見ていい。リボンと薔薇はない。
田中と常盤、両家の人間はおそらく失踪してからすぐに殺害された。
……疑問だ。ホワイトキラーはなぜ彼らに目を付けたんだ?
何が目的で俺に接点がある人物を?
「……待てよ」
自分のスマホを取り出す。
そして遺体で発見された人物の名前を何パターンかに分けて検索してみる。
正直それほど自信があるわけじゃないが、ホワイトキラーが狙ったのは俺に関連した人物ではなく、ホワイトキラー自身に関連した人物なのかもしれない。
結果的に、俺がヤツに近い存在だから巻き込まれただけで――。
とりあえずそういう先入観を持って思考を走らせる。
そして――結果が出た。
「これだ。ライターである菊代修二が出したネット記事……デザインをしたのが、ウェブデザイナーの田中文雄。田中直紀の父親。これが両家の繋がり」
「ええ……そうよ。当時あなたを庇う記事を出し、ホワイトキラーを批判した菊代修二。その記事のデザインを担当していた田中文雄。だからヤツは今回、その報復に出た――」
「――と、警察は考えているんだね」
涼子さんが頷く。とりあえず一つ、警察の考えに辿り着くことができたぞ。
「けど常盤家は? 名前を検索してみたけど、特に結果が出ない」
「それはまだ調査中。でも三つのうちの二つに共通点があった。必ず何か出るはずよ」
ならそれは一旦置いて、次は菊代家に戻ろう。
この一件だけ、明らかにほかと違う点が存在する。
一つは現場だ。ほかの二件の犯行が、人の来ない封鎖された場所で行われたのに対し、菊代家は発見されやすい自宅が現場となった。
失踪から殺害というこれまでの手順を踏んでいない。
言ってしまえばこの殺人は犯人にとって、人知れず行うものではなく、発見されることを望んで行われたものなのかもしれない。
そして切断したパーツに巻きつけたリボン。これは十七夜月事件の再現と判断していい――が、ピンク色の薔薇はあの日の現場にはなかった。
花を置く意味、花言葉だろうか。
一般的な薔薇の花言葉は愛や美と言ったものだが、ピンク色のものには上品、感銘、感謝といった意味がある。
「……」
――いや待て、一つ見落とした。
この現場は明らかに十七夜月事件を意識している。にもかかわらず異物である薔薇は混入させられた。
この薔薇には他者へアピールしたい何か特別なメッセージが含まれている、と俺は思う。
言い換えればこれは自己顕示欲の表れだ。抗えない欲求が形となった姿。
他者にアピールしたい自分。それは自信からくる行動。
だとするなら――足りないものがある。
余計なものがあるのと同時に一つ、この十七夜月事件の再現には足りないピースが存在しているんだ。
それは――。
「菊代家には一人、弟か妹の生き残りがいるね」
あの事件の再現だと言うなら、俺と同じ立場の子供がいないとおかしい。
一家惨殺。頭部を持ち去られた遺体。そして一人だけの生存者。
それがあの事件を"十七夜月事件"たらしめているのだ。だから絶対にいるはずなんだ。じゃないと意味がないから。
「……ええ。あなたという前例があるから、大々的に報道はされない方針だけれどね。菊代結――まだ十歳の女の子よ」
悲しげに告げられる言葉。全身が強張っていくのがはっきりと分かる。
当時の俺は十五歳。子供だ。失くす痛みに慣れてはいたけれど、それでも俺の心には穴があいた。
全身の血の気が引いていき、体が端から崩れていくような深淵に飲まれた。
それと同じものをまだ十歳の子供が背負うだなんて、あまりにも酷だ。
だが――俺が嘆いたところで、怒りを覚えたところで、何も始まらない。何も終わらせることはできない。
落ち着け。冷静になれ。考えることを止めるな。
「もう一つ質問。この薔薇の花、造花? それとも生花?」
「生花よ。ちなみに言っておくと花言葉は感謝とかそういうの。ヤツからの皮肉でしょうね。でもそれがどうかした?」
「……この薔薇にはもっと別の意味がある」
舞台の再演に紛れ込んだ異物。何の意図もない偶然だとは言わせない。
花の意図。
造花は言うまでもなく造り物。生命のない完成された芸術品だ。
一方で生花は生き物。成長し、花を咲かせ、そしてやがては散り往くもの。
完全性と不完全性、狙われた田中家と常盤家、常盤家とホワイトキラーの接点、花を咲かせた生花、殺人の順番――。
「『――神の子よ。今はまだ、そのときではない』」
今ならその言葉の意味が分かる気がする。
「……え?」
「涼子さん。犯人はホワイトキラーじゃない」




