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48話『流れに身を任せて、同じ屋根の下で』

 ――母親がある教団の信者となり、様子がおかしくなった。無一文で、ホテルを追い出され、家にも帰れない。


 自嘲するように哀しく微笑む生徒会長――風見織姫(かざみおりひめ)を、とりあえず立ち話もなんだからと館内に招いた俺は、彼女をリビングへと案内し、ジャスミンティーを用意していた。


 ジャスミンやラベンダー、カモミールなどを使ったハーブティーには気分を落ち着かせる効果がある。


 今の織姫が家庭内のストレスに押しつぶされそうになっていることは一目瞭然だ。

 だからとりあえず気持ちを安定させて、後々どこかのタイミングで吐き出させる必要がある。


「――どうぞ」


「……ああ、ありがとう」


 革張りのソファーに座る織姫。その手前にあるテーブルに、なるべく音を立てないようカップを置いた。

 紅茶を入れたカップを手に、俺は向かいのソファーに座り込む。


「いい匂いだ。ハーブティーにはストレスを軽減する効果があると聞いた覚えがある。気を遣わせてしまったね」


「気にしないで。飲んだら体が浄化されていくように、胸がすっと軽くなるよ」


 以前、林間合宿の際にとある三人に対して行った――暗示。

 それを再現するように、穏やかな声で織姫に言葉をかける。


 暗示や催眠術は相手に"かかってもいい"という意識がなければ成功しないものだが、今回その心配をする必要はないだろう。

 織姫は明らかにSOSを発している。学校では体調不良で倒れ、さっきは抱えている問題を何も誤魔化さず打ち明けた。


 きっといつもの彼女であれば、誰も巻き込まず一人で解決しようとしていたはずだ。

 つまり今は、それができないくらい深刻な状況だということ。


 葛藤したと思う。家庭の事情に他人の手を借りていいものか。

 誰かの力を借りることが、後々その人の迷惑にならないか。


 それでも彼女は選んだ。きっと本人でも不思議に思うくらいに、頼ること選択した。


 表層の意識だけでなく深層の無意識が働いたのだろう。

 だからこその俺だ。


 例の墓地で織姫の母親と対面し、いつか突然悪い宗教にハマるかもしれない――と、ある種の予言を残した俺から、何か問題解決の糸口が見つかるかもと思い、この館を訪ねた。


「今日はここに泊まるといいよ。一人で住むには広すぎるところだから。客室があるからそこを使って」


 幸い、普段は誰も訪れることのないこの洋館だが、時たま涼子さんが泊まりに来ることもあって、一室だけなら綺麗にしている客室があるのだ。

 

 家具も備え付けのものがあり、まあちょっとしたホテル感覚で使えるだろう。

 

「……ありがとう、冬馬君。なんてお礼をしたらいいのか……情けないな、私は」


「人は一人でも生きられるかもしれないけれど、意外とすぐ限界が見える。そういうときは他人の力を借りていいんだ。何も恥ずかしがることはないさ」


「まるで君はカウンセラーみたいだな」


「いや……受ける側だった時間が長いだけ」


 それから織姫を客室に案内した。

 未だ彼女が抱える事情の根幹的な部分は聞けていないが、無理に聞き出すわけにもいかない。


 話せるときが来たら話してほしい。いつでも聞くから。

 そんな言葉を告げて、俺はとりあえず今後の準備に取り掛かることにした。


 まずは風呂。

 洋館というだけあってここにはそれなりに大きな浴場があるのだが、普段は一人で入るには勿体ないからと水槽に湯を張らず、シャワーで済ませることが多い。


 しかし今日は織姫がいる。湯船に浸かって体の芯から温まれば、気分もいくらかほぐれることだろう。


 なんというかもはや織姫の世話をするホテルマンのような心持ちだが、とにかく彼女の心身回復を念頭に置いて、俺は浴場の掃除を行った。


 その後は夕食の準備だ。

 俺は、外食をすることが多い。

 というのも単純に凝った料理はできないという理由があるのだが、しかし今の織姫を連れて夜の町へ繰り出すというのは得策ではないだろう。


 美味しいものでも食べて元気を出す――という段階ではない気がする。

 きっと何を食べても味を薄く感じるだろうし、見知らぬ人々の声が鬱陶しくストレスに繋がることだってある。


 なら静かな洋館で、ゆっくり胃に優しいものでも食べたほうがいいだろう。

 そう考えた俺は、今日の献立を卵雑炊に決めた。これなら食べやすいし、具材に疲労回復効果のある生姜やニラなど入れてもいい。

 

 そんな見通しを立てた俺は、織姫に入浴を促し、買い出しに向かった。

 

 ふと一瞬、織姫の入浴後の着替えや、食後の歯磨きなどのことが頭をよぎった。が、そういえば彼女はキャリーケースを携えていた。

 おそらくはあの中に数日分の生活用品などが用意されている。


「――――」


 思えば先月の時点で、織姫は自宅ではなくホテルに泊まっていた。

 オープン前のモニター客というのは嘘ではないのだろうが、けれどそれは建前で、もうその頃から変わってしまった母親のいる環境から逃亡を図っていたのだのだろう。


 なのに今日まで彼女は誰にも――それこそ俺にも悟らせずに、気を張り続けてきた。

 ずっとモニター客として居座ることは不可能だろうから、ホテルを変えて、環境を変えて。


 そんなこと……いつまでも続くはずがない。実際に、もう破綻している。


「――――」


 拠り所となっていた祖母を亡くし、社長の娘という立場、打算的に近づいてくる人々、宗教団体に加入したことでおかしくなった母、学校では普段の勉学に加えて体育祭の運営準備などが重なった。


 ストレスフルなこの状況――改善する以外に救われる道はない。


 要点は間違いなく家庭環境。特に母親……だけれど、正直何も具体案が思いつかない。

 どころか逆に、俺が関わることで彼女に迷惑が掛からないか不安だ。


 だって結局、失踪した桔梗高校の生徒とその家族は、見つかっていないのだから。

 もし一連の失踪にホワイトキラー、つまり俺の因縁が関係しているのだとするなら、今度は織姫かその周囲の人間が失踪する可能性まである。


 しかし結論を出すだけのピースが揃っていないのもまた事実。


 ――とにかく今は、ただ流れに身を任せるしかない。


 無理やり納得して、買い物を終えた俺は洋館に戻った。


 ――異変を察知したのは、夕食の準備を終えたあとのことだった。


「織姫先輩、もうすぐ夕食だけど気分はどう?」


 客室の扉をノックし、そう告げる。が、数十秒待っても返事はなかった。


 念のためもう一度ノックをして、部屋に入る。

 ――いない。電気は消えていて、カーペットの上にはキャリーケースの中身が広げられている。


 まだ入浴中、だろうか。


「……」


 俺が買い出しに行き、戻ってくるまでおよそ四十分前後。

 それから調理には、慣れてないのもあっていろいろ手間取り、三十分ほど時間をかけてしまった。


 つまり俺は一時間と少し、織姫の姿を見ていないということになる。


 何か、虫の知らせではないけれど。


 弱った彼女の姿が脳裏によぎり、嫌な予感がした。


 ホワイトキラー、十七夜月事件、生徒の失踪――少し前まで考えていたことが逆流し、不安となって押し寄せる。


 俺は焦燥に駆られながら、浴場へ足を向けた。



「織姫……!」



 予感は――的中した。


 何度か呼びかけ、それでも返事がなかったので浴場の扉を開けた俺は……目撃したのだ。

 白いタイルの上にうつぶせで倒れている織姫の姿を――。


「……っ」


 すぐに駆け寄り、体を起こす。

 織姫は当然の如く一糸纏わぬ姿だったけれど、そんなことはどうだっていい。


 真っ赤な顔に触れると火傷しそうなほどの熱を感じた。呼吸はしているがかなり荒い。

 

「……とう、ま……くん……」


 意識はある。素人判断は危険だけれど、長湯してのぼせたとみていいだろう。

 だとするなら水を吸わせたタオルで額や首を冷やし、しばらく休ませれば回復するはずだ。


 あとで病院に行くことも視野に入れて……とにかくまずは移動させないと。

 

「ごめん、織姫先輩。ちょっと体に触れるから」


 もう手遅れかもしれないが、一応近くに転がっていたミニタオルで織姫の胸部を隠しつつ、お姫様抱っこをするように持ち上げ――。


「っ……重、!」


「お、おも、い……って……い、った……?」


「い、いや違う! 逆に俺の腕力が無さ過ぎて……!」


 肉体運動に向かないこの貧相な体を恨みつつ、結局織姫の体はお姫様抱っこではなく、背負って運ぶことになった。

 

 脱衣所で冷やしたタオルを使って熱を中和し、その後、少し顔色がよくなったところで客室に運んだ。

 ベッドに寝かせ、氷袋を用意してさらに一時間ほど様子を見る。

 

 その間、織姫はうつらうつらとしながら、自分のことが不甲斐ないとか、裸を見られたのが恥ずかしいとか、重いのは胸なんですとか、いろいろぼやいていた。

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