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44話『安心したまえ、私は水着を着用している』

 午後一時ちょっと前。俺と夏野はイルカショーを見物するため、『新水波水族館』の北側にある会場に来ていた。


 会場はそれなりに大きく、立ち見も含めれば千人近くは収容可能だろう。

 すでに大勢の人が待機している。


 イルカがパフォーマンスをしてくれるプールも広く、また事前に聞いた話では前列のほうはかなり水が飛んでくるらしく、できれば雨合羽などを着てほしいとのことだった。


「白雪くん水着装備してんだから、もっと前でよかったんじゃね?」


 と茶化すように言ってくる夏野。


「あれは冗談」


「えぇ⁉」


「分かってるくせに……」


「……バレたか」


 とか何とか言っていると、会場に聞き覚えのあるクラシック曲が流れてきた。

 ショーマストゴーオン――幕は上がったらしい。


 イルカと共に現れたパフォーマー。ドルフィントレーナーと言うんだったか。


 透明なアクリル板越しに見える水中から、イルカに足を押され、そのまま水上に躍り出るまでの優雅な姿が見られた。


 文字通り、流れるようにイルカに体を支えられ、水面を素早く移動していく。

 今度は別のトレーナーとイルカのコンビが現れ、交差するようにハイジャンプ。宙を舞う。


 入れ替わり立ち代わり、音楽のリズムに乗りながら見せるパフォーマンスは会場を盛り上げ、自然と拍手が起こる。


 俺もその一人だった。

 水中を鮮やかに泳ぐイルカと、一体化するように息の合ったトレーナー。

 見事な信頼関係が築かれているのが見て分かる。


「ああいうの、どうやって教えてるんだろうねー」


「聞いた話だと餌を用意して、こういう動きができたら餌がもらえるっていうのを学習させるらしいよ」


「……ちょっとイメージと違ったなー。ビジネスライクじゃん……」


「まあイルカは賢いっていうからね。案外ドライなのかも。でも少なくとも今パフォーマンスしているコンビは、ちゃんと互いを信頼してる」


 トレーナーが頭を撫でれば、イルカが嬉しそうに甲高い声を上げて。

 それから次のパフォーマンスへの移行が極めてスムーズに行われる。まるで互いが互いの思考を、行動を読みきっているようだ。


 一朝一夕では決してそうはならない。

 積み上げた練習、経験、それこそが可能にするのだ。

 人々を魅了する濃密な時間を。


「わーわー」


「やーやー」


 子供のように声で出して、拍手をして、圧巻の光景に見惚れる。

 そして、およそ二十分後。ショーは歓声に包まれながら幕を閉じた。


「どすか、これで林間合宿楽しめなかった分、取り戻せた?」


「え?」


 席を立つ観客を横目に、夏野がさらっと言った。


 ……ああ、そうか。


 今回のデートはてっきり、夏野が俺との距離を詰めるために誘われたのだと思っていたけれど――多分そういう側面もあったのだろうけど――でも一番の目的は、林間合宿で散々な思いをした俺を楽しませることだったのか。


 だったらその目論見は最初から成功していたよ。

 夏野と一緒に居るといろいろなことを考えてしまうけれど、それでも、楽しくないなんてことは絶対ないんだから。


「ああ、楽しかった。ありがとう、夏野」


 だから、できる限りの笑顔を浮かべて俺はそう返した。

 すると夏野は頬を赤らめて目を逸らし、一言。


「……ん、よかった」


 さて会場も空いてきたことだし、そろそろ西館へ戻って物販でも――。

 


「おや、冬馬君ではないか」



 と思ったところで、少し離れた場所から声をかけられた。


 呼ばれたほうに顔を向けるとなんとそこには生徒会長――風見織姫(かざみおりひめ)の姿があるではないか。


 しかも、めちゃずぶ濡れ。

 お嬢様っぽい清楚な白いワンピースが見事に肌に張り付いている。おかげで大きな胸が強調されて、ある意味すごい。


「え、織姫先輩? どうしたの、その格好」


 なかなかに悲惨な姿だが、それでも彼女は普段通り凛々しく、堂々と歩いてくる。


「ああ、実はさきほどのショーで前列に座っていたんだがね。テールキックとやらで水がこう、軽い津波のように押し寄せてな。おかげでこの様さ。ははは」


「着替えとかは?」


「ない。だが安心したまえ。私は水着を着用している。多少濡れたところで気にはならんさ」


「なぜ水着……」


 まさか本当に着ている人がいるとは思わなんだ。


「いやなに、最近ちょっとホテル暮らしをしているんだが、洗濯のローテーションで少しミスをして下着がなくなってしまったんだ。でまあ、仕方なく」


「どうして水着なんか持ってたのさ」


「なに、私は時折、気分転換でスイミングをすることがあるのさ。……ところで、そちらの美原君とはデート中かね? だったら邪魔をしてすまない」


「え」


 夏野が疑問の声をあげた。その理由は一つ。


「ウチ、会長さんと会ったことありましたっけ?」


 俺が知る限りでも、夏野と織姫が会っているところを見たことはない。

 ならどうして顔と名前を知っているのか、彼女はそれが不思議なようだ。


 すると織姫が不敵な笑みを浮かべた。


「私は生徒の顔は大方記憶している。それに美原君は最近少し有名だからな。二年の女王、七瀬君の懐刀だと耳にしたが?」


「ッスーーーー、や、それ違うんで。懐刀でも何でもないんで、ただの勘違いなんで。ウチはただの美原夏野っす……」


「ふ、そうか。私は風見織姫だ。改めてよろしく。最近の趣味は、夜中の空腹時に揚げ物を食べるASMRを聴くことだ」


「いやニッチすぎません? しかもなんで自分の胃袋いじめるみたいなことやってんすか。ドM?」


 自称ボッチの夏野のことだから、結構人見知りするものかと思ったが、意外にも会話は弾んでいた。

 しかも織姫の密かな嗜好も看破していた。

 

「ふふ、では私はこれにて失礼するよ。冬馬君、デートを邪魔して悪かったね」


「風邪引かないようにね」


 そう言って織姫は文字通り水に濡れた黒髪をさっと払い、行ってしまった。

 

「夏野?」


 俺たちも行こうと、言おうとしたところでふと何かを思うように腕を組む夏野が目に入った。

 今日一番の真剣な表情だ。

 何を考えているのだろう。


「……会長さん、胸めちゃデカすぎよな……マジでメロンじゃん、アレ」


「……確かに」


 俺が深く頷いて同意を示すと、おい、と脇腹をどつかれた。


 そういえば――一週間ほど前の幽霊屋敷探索、もとい俺が現在生活をしている洋館に向かう途中、夏野から何かおすすめのアニメを教えてもらうことになっていた。


 そのことを思い出した俺と夏野は、『新水波水族館』を出たあと、アニメ、ゲーム、コミック、CDなどを幅広く取り扱っている総合ショップに向かうことにした。


 と――いうことで、昼下がり。お店に到着。


 なんというか圧巻だ。

 右を向けばCDやDVD、正面はゲーム、左はコミックやライトノベルはずらりと並べられている。


 そりゃあ俺もアニメ作品や漫画作品の一つや二つ熱中したことはあるけれど、しかし胸を張れるほど好きとか詳しいとか言えるほどの作品はない。


 だからこそ、まさに無数の星々のように『作品』が並んでいるこの光景は開いた口が塞がらない。

 カルチャーショックだ。


「ふふふ、そんじゃあどこから案内しますかね……。ここはウチの独壇場、何でもござれってわけよ」


「……とりあえずじゃあ、お任せで」


 右も左も分からない身だ。とりあえずここは先人に倣い、予算内でよさそうな本とか映画があったら一つくらいは何か買ってみたい。


 生き生きとした軽い足取りで先を行く夏野のあとを、一歩遅れて俺は行く。のだが。


 ――どん、と。さながら図書館のように並んだ棚を曲がる際、俺は人とぶつかった。


「きゃっ――」


「っ――」


 相手は女の子。

 年齢は同じくらいで、半袖のゆったりとしたパーカー、短パンと涼し気な格好だが、しかし黒い帽子とマスクで顔を隠している。


「ごめん、大丈夫? 怪我は?」


 床に尻餅をついた彼女に右手を出した。

 その際に意図せずして顔を覗き込んだのだが、目元が見えて――。


「――ん、七瀬?」


 名前を呼んだ。すると女の子は、悲鳴にも似た声を短く上げて、みるみる顔を青くしていく。


「な、なんで私のこと……知って……」


 違う。目の形は俺の知る七瀬七海にそっくりだが、声のトーンが違う。

 長い間誰とも話していないかのような少し掠れた声。


 見れば、体は肉がないと言ってもいいほど異様に細く、そして手の甲にはタコがある。


 女の子は慌てて立ち上がり、俺の横を通り過ぎようとするが。

 

「――待って」


 反射的に引き留めた。

 彼女の表情には明らかな怯えがあったけれど、しかしそれでも俺は、しっかりと目を合わせて言葉にする。


「いいかい、世の中には悲しいことが沢山溢れている。でもそれと同じくらい君に優しくしてくれる人がいるはずだ。――自分を見限らないで」


「…………」


 結局、女の子は何も言わず、走り去るように俺から逃げていった。

 彼女がどこの誰かは知らないけれど、それでもどこか以前の自分を見ているような危うさが、目に焼き付いた。


 この出会いが起点となり、語られるべきストーリーとなるのは、一か月半後のことだった。

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