42話『それはいわゆる、休日デート』
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美原夏野は、俺――冬馬白雪に恋愛感情を抱いている。
というと、なんだか俺が自意識過剰な男のように思えるかもしれないが、しかし事実なのだ。
俺が持ち得る洞察力――つまるところ視線や仕草、ちょっとした態度を見ることで、そういった分析結果を最初に出したのは、彼女が七瀬七海による独裁から救われた四月十二日のこと。
先手を打つように、これからも友達としてよろしくと言ったあの日のことだ。
無論、俺とて女の子から好意を寄せられるのは嬉しい。
けれどまだ十七夜月さくらを失ったことに決着がつけられず、誰かと必要以上に仲良くなることへの恐れがあることもまた事実。
だから友達という距離感を保っていこうと、そういう姿勢を露わにしたのだが。
俺がいつまでも痛みを抱え続けるのと同じく、夏野もまた、ここ一ヵ月、俺への好意を捨てきれなかったのだろう。
どころか、想いは募るばかりだったのだろう。
五月十六日。林間合宿を終えて数日後の日曜日。
告白を手伝ったお礼として貰ったチケットを片手に、俺は『新水波水族館』の入り口前でゆったりしていた。
今日は夏野とのデート。
別に夏野のことは嫌いじゃない。
話していて楽しいし、放課後に喫茶店『バタフライウインド』で一緒に過ごす時間も、とても大切に思っている。
だからこそ余計に、失ったときのことを考えると胸が苦しくなる。
「――ごめん、お待たせ」
顔を上げると、いつのまにか夏野が待ち合わせ場所に到着していた。
「や、奇跡的に偶然、ちょうど今来たところ」
「なんその返し。逆に気ぃ使ってんのみえみえじゃん」
小さく笑いながら返す夏野。
彼女の今日の私服は、グレーのキャミソールの上に前結びのワイシャツを着て、下はショートパンツで細く綺麗な足を露出させている。靴は厚底のサンダル。
以前ワイシャツ好きな一面があると暴露した俺に合わせたような、涼し気なコーデ。
一方で俺はワイシャツに黒のジレベスト、カーキ色のチノパンにスニーカー。
会うたびに別のお洒落コーデをしてくる夏野と比べると、まああまり変わり映えのない私服だ。
「んーじゃ、行きますか。水族館とか久しく来てないかんね。ぶっちゃけマジあがってる。イルカのショーとか超楽しみ」
「ああ、俺もだ。ショーに備えて下に水着を着てきたよ」
「や、なんで一緒に泳ぐ気満々なの。なんでスタッフ側になってんの……」
なんて取り留めのない会話をしつつ、水族館に入る。
正面は噴水広場のようになっており、ここを起点として魚が見たい人は東側の建物へ。ショーを行う会場は北側。あとは食事ができるイートスペース、お土産などの物販コーナーがある建物が西側にある。
「建物を見る限り、ここって結構新しいみたいだけどどれくらい前にできたの?」
日曜日ということもあって、それなりに人も多い。
はぐれないよう、周囲の邪魔にならないよう肩と肩がこすれるほどの距離感で夏野と歩いていた俺は、ふと気になったことを口にした。
「白雪くんって今年からこの町に越してきたんだっけ? 水族館自体は前からあったんけど、二年前にバカでかい地震あったじゃん? あれに台風とかのコンボで結構被害受けて。んで、いろいろ立て直しとかあったってわけ」
「へー、大変だったんだね」
「そりゃもう、水槽とか割れるし水生生物プリズンブレイクしちゃうし、てんやわんやだったって話よ」
大きな地震。日本は地震大国と言われるだけあって、小さいものから中くらいのものまでなら日常茶飯事だが、二年前というと確かに大きかった記憶がある。
確か休日で、俺はさくらと家にいて……と、いけない。
デート中にほかの女のことを考えるなど言語道断。
今日の付き合いをデート、と認めてしまうといささか思うところはあるが、それでも失礼に変わりはない。
まあそのことを俺に教えてくれたのもさくらなんだけど……。
「……」
それから俺たちは、まるで幼少期に戻ったような気分で、サメやらマンタやらの巨大生物を見に向かった。
仄暗く涼しい室内に入ると、出迎えてくれるのは淡い青に染まり踊る生き物たち。
小さな魚から大きな魚まで――海の一部をそのまま切り取ったような水槽の中を自由に泳いでいる。
巨大な水槽、正面には子供たちが座り込んで神秘的な光景に見惚れている。
「……すげー」
「……ああ、すごい」
なんとも子供じみた感想ではあったけれど、やはり普段は見れない生物の姿をこうも大きく見せられると圧倒されてしまう。
優雅に泳ぐジンベエザメ、少し離れたところで泳いでいる名も知らない小魚、とん、とガラスにぶつかるマンタ。
こうしてみると、俺はどうも魚方面に関する知識がかなり薄いようだ。
知名度がそこそこある魚、それこそカクレクマノミくらいしかイメージが湧かない。
ので、巨大な水槽もそこそこに、名前と解説が載せられたアクアギャラリーのほうへと足を向ける。
「へー、すご」
「ふーん」
なんていうか美術館に行って、すごそうな絵画をすごそうと褒めるような感じだった。
知らない名前の生物がいて、たまに知っている名前があって。けれど知らない生態があって。
「なんかウチら、語彙力消失してね? 白雪くんほら、なんか魚に関する雑学とか持ってないの」
「雑なフリだなぁ。残念ながらないよ」
「そ、ま、いんだけどね。こういう静かで落ち着く感じも、性に合ってるっつーか」
確かに夏野は、見た目はかなりギャルしているけれど、その見た目も人見知りで友達がいない自分を改善しようとした産物だ。
夏野には、にぎやかな雑踏を友人たちと愉快に練り歩くよりも、木漏れ日の下で読書でもしているほうが合っているのかもしれない。
「青は見ていて落ち着く色だからね。俺もこの雰囲気は嫌いじゃないよ」
「それな。……あ、ちょいちょい白雪くん」
「ん?」
何かを見つけたのか、夏野が俺の手を引いて歩き出す。
ギャラリーの一角。
そこにいたのは、メキシコサンショウオ――一般的にはウーパールーパーと言われるものだった。
「やば、え、なんこいつ。激カワじゃん。持ち帰っていい?」
「確か一般的なものは三千円もあれば買えたと思うけど」
「おいおい、そんな情報仕入れちゃったらもう買うまで秒読みじゃん……うわぁなにこの顔。いわゆるキモカワ。妙に愛嬌あるなぁお前ぇ。噂には聞いてたけど生で見たの初めてだよ……エッモ」
「そこまで喜んでくれたら、こいつも満足だな」
「ウパルパちゃんマジカワだ……。ってか、こいつら結構種類豊富じゃん。ほらこっちの、体が白なのは同じだけど、目とか赤いし」
そういえばそれに関する知識は持っていた。
ウーパールーパーの種類には、シロウサギと同じように、人間と同じように、アルビノ個体が存在している。
「……」
以前、アルビノについてのことはさくらから教えられていた。
彼女自身がそうだったから。
またもや俺は、彼女のことを思い出してしまった。
これも一種のホームシックのようなものなのだろうか。
それとも俺がただ、昔好きだった女をいつまでも忘れられない女々しい男なだけか。
いずれにしても限られた自由を謳歌する生き物たちを目にして、どこかセンチメンタルになる俺を、夏野はじっと見つめていた。




