35話『いつか自分は、ここに帰ってくる』
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「――それで? どうしてここが自分の家だって黙っていたの。お友達はずいぶんと怒っていたわよ?」
「それは……」
結局、この幽霊屋敷が俺が現在暮らしている家であること。
つまりサラリーマンが見た幽霊が、曇った硝子に映った俺の影だったことはみなの知るところとなった。
涼子さんのおごりで出前を頼み、各々の昼食を終えた昼下がり。
茶色のソファー、長いテーブル、暖色の照明、暖炉が揃ったレトロモダンな雰囲気のリビングで俺は涼子さんと二人、紅茶を飲んでいた。
ほかの四人は今、この屋敷を探検している。
どうも俺が黙っていたことに腹を立てて、エロ本やらなにやら、隠しておきたいものを暴いてやろうという腹積もりらしい。
まあ、そんなものはないのでこうして安心してソファーに座っているわけだが。
「白状すれば、防犯のために、この屋敷に入ろうとする人がどういう思考でどのようなルートを選択するのか知りたかったんだよ。おかげで地下道も見つかったし」
そう答えると、涼子さんは呆れた様子でため息を吐いた。
ちなみに言っておくと、彼女は今日非番で普段ここで一人暮らししている俺の様子を見に来たらしい。
ワイシャツにぴちっとしたジーンズを履いて、普段は一束にまとめている髪も、お団子にしている。
飾り気はないがそれでも美人だと思う。
十七夜月家の血を持つだけあって、やはりどこか彼女と似ているんだ。
「それなら私がプロの観点から見てあげてもよかったのに。わざわざお友達に嘘を吐くなんてちょっと意地悪なんじゃない? せっかくの高校生活、もっと大切にしなさいな」
「…………はい」
しぶしぶ俺は頷いた。
自分の家――見た目は廃墟で、中は思ったよりも綺麗だという印象を持つ屋敷を、本当に自分の家と言っていいのか、俺は時々、あるいは常日頃から、疑問に思っている。
一昨年。中学三年の冬、俺はすべてを失った。
その後、一年間をとある病院で過ごした後、涼子さんのつてでこの屋敷を破格の値段で借りることになった。
家賃が格安な理由はよく知らない。もしかしたら本当に幽霊が出るから、という理由かもしれないが、少なくとも住み始めて約一か月、そのようなものを見たことはない。
とにかくだ。俺には、ここが自分にとっての『帰る場所』だと言い張るだけの気持ちが足りない。
「涼子さん、捜査の進展は?」
「……伝えられるようなことは何も」
「……やっぱり俺も、捜査に加わるべきだ」
「ダメよ。前にも言ったでしょう。警察に任せて、あなたは青春を謳歌することに専念しなさい。それが今の白雪の義務よ」
青春の謳歌。
俺が高校に入学したのは、病院から出るためだ。
――精神病院。大切な人を失い、心を失くした俺が行きついた場所。
けれど俺はここにいる。ホワイトキラーを捕まえ、必ず償わせるために。
そのためには精神疾患で無理やり入院させられるわけにはいかない。
だから俺は隣町に引っ越して、カモフラージュとして普通の生活を送っているのだ。
それを楽しんでしまったら本末転倒もいいところ。
「……」
結局、失踪した田中直紀も未だ見つかっていない。
俺はすべてを失った。けれどまだ何も終わっちゃいない。
日常の裏側に巣くう闇――それに決着をつけて、終わらせなければ、新たに始めることもできない。
――ピコーン。
スマホの音。どうやらメッセージが来たようだ。
相手は七瀬。
『書斎の本棚で見つけたわ』
次に写真が送られてきた。映っているのは紙。
『君の考えはお見通しだ』と書かれている。
そして最後にもう一度メッセージ。
『ゆ る さ ん』
どうやら俺が仕掛けた罠に引っかかったことで、久々に、プライドの高い七瀬の逆鱗に触れてしまったようだ。
何かを隠しているなんてことはないが、屋敷に来た楓たちが物を探し始めることは分かっていた。
お約束だし。
だからちょっとしたユーモアで仕掛けておいたのだが、愉快愉快。
「ふーん、楽しそうじゃない」
ぐいっと涼子さんが画面を覗き込んできた。
「彼女?」
「いや友達……でもないな。友達の友達」
さすがに脅してる相手、とは言えない。
「そう。じゃあギャルっぽい子のほうは? 白雪のこと好きそうだったけど」
「友達。彼女は作らない」
「なんだかあなた、将来ヒモになりそうで不安だわ……」
七瀬にも同じようなことを言われた気がする。
俺はそこまでダメ男に見えるのだろうか……。
「それじゃあ……私はもう帰るわ。邪魔しちゃ悪いしね。白雪、たまにはお墓参り行きなさいよ」
止める間もなく、涼子さんはそそくさと出ていってしまった。
お墓参りか。
そういえばあの日、織姫に会ったことで出直すことにしたものの、結局まだ行ってない。
何か、特別な理由があるわけではないけれど。
でも俺は彼女がこの世にいないことをまだ認められてないのかもしれない。
俺の時間はあの日で止まっていて、だから死を受け入れられず、この屋敷を自分の家と思えないのかもしれない。
――不意に、扉が開いた。
「おっす、一人で優雅にティータイムっていい御身分ですね、白雪くん」
皮肉交じりに言ってくるのは夏野。
「まったくだよ。ってあれ、あの人帰っちゃったのか。この間やってた格闘術とかちょっと聞きたかったんだけどな」
「高砂くんはどこを目指しているんですか……。というか今回の噂も原因は冬馬くんでしたね。なんていうかわざと自分から目立つことしてません?」
「冬馬、ずいぶんと私をおちょくってくれたじゃない。この借りは必ず返すから、覚悟しておきなさい」
彼、彼女らを見ていると、どこか心が落ち着く。
自然と笑みがこぼれる、ような気がする。
いつか――この屋敷を、自分の家だと思える日が来るのだろうか。
帰ってくる場所。それを作ってもいいのだろうか。
今の俺はただ、紅茶を飲みながら、雑談に混ざることしかできない。




